二度目の死刑確定後に寝屋川事件・山田死刑囚がつづった獄中手記
2020年12月1日に死刑確定者の身分に
〔はじめに〕以下に掲載するのは、2020年12月1日に二度目の死刑が確定した寝屋川中学生殺人事件の山田浩二死刑囚(獄中結婚して、現在の名前は水海浩二)が大阪拘置所で書いた手記だ。執筆したのは12月15日。既に死刑確定処遇に移されているため、妻と弁護士以外とは面会も手紙のやりとりも認められないという状況下で書いたものだ。 相模原事件の植松聖死刑囚もそうだが、外部交通権が制限されるため、確定死刑囚の声が外部の社会に伝わる機会はほとんどない。死刑囚の実態はブラックボックスに置かれているのが実情だ。 しかも山田死刑囚の場合は、二度の死刑確定という極めて異例の経緯を経て現在の処遇になっており(その詳しい経緯についてはこれまで何度も報じてきたので割愛する)、その現実を知ることは社会的意味も大きい。その手記を全文、ここに掲載する。 なお掲載した写真は山田死刑囚の手記の現物だが、描かれているイラストは最後に書かれている妻との関係をイメージしたもののようだ。 (編集部) 今これを書いているのは12月15日火曜日だ。僕が死刑確定者への法的身分に資格異動して丸2週間が過ぎた。 そう…12月1日の火曜日の午前中に弁護士面会があり、それが終わって、弁護士室から居室に戻ったのが午後12時過ぎだった。居室に戻り昼食の準備をしようと思っていた時に、いきなり普段あまり見ないような金線の偉いさんクラスの職員が僕の居室まで来て「ちょっと出て来て! すぐ終わるから…そのままでいいから…」と、約2年程前どっかで聞いたようなセリフを言われた。 その瞬間そのセリフの意味、そしてこれから何が起こるのか、本能的に感じた。正直その瞬間「マジかぁ~!と思った」。今さっき弁護士の先生から面会時に「今の身分は?」と聞かれ「まだ未決の身分です」と答えてきたばかりなのに、めっちゃ最悪……。時計の針を巻き戻したい気分だったが、巻き戻せないのが現実やし、巻き戻したって何も変わらないだろう。 その後僕は調べ室まで連行され、そこで僕の法的身分が死刑確定者になると言い渡された。人の人生でリアルにこのような言い渡しを受ける事なんてほとんどないが、僕は2019年5月28日に続き、生涯2度目の死刑確定を言い渡された。こんなん全然自慢にならへんけど…。そういえばあの日も火曜日やったなぁ。告知された時間は朝食後やったけど…。こんな自慢にもならず有難みもない言い渡しを2年連続で受ける事になるなんて、マジ、シャレにならへん。「身から出た錆」「自ら蒔いた種」「自業自得」……それを言われたら返す言葉はないけど、あぁ…。 2020年3月に2度目の控訴を取り下げてしまってまたひとつ僕の人生の中に「後悔」という言葉を刻んでしまってから、もしかしたらまたその時はやって来るのでは? と想定することがあったけど、正直ないと信じてこれまで生きて来た。今の僕は一人の身ではないし、僕が歩む道はこの道の方ではないと信じてたけど、また進むべき道を間違えてしまった。 けどその道のアスファルトに一歩足を踏み締めてしまった以上、今は回れ右する事は出来ない。回れ右前を進め! 1! 2!の号令が聞こえない限り間違った道に向かって、僕の両足はたがいちがいに歩き出すことになる。 怖くないと言えば嘘になるけど、立ち止まっている暇なんて僕にはない。むしろ僕だけの意志で立ち止まることなんか出来ない状況。僕一人だけの問題ではなくなっている訳だから、軌道修正を良い形で出来るように前進していくしかない。曲がりくねりの険しい道のりになると思うけど、その道の先に待っている幾つもの小さな光に向けて進んで行こう。 今はまだ小さな針の穴のような光やけど、少しずつ大きな光となるようにしたい。光の奥にあるその景色をこの僕の2つの目で見るまでは、まだまだ国家に殺される訳なんていかない。まだ遠過ぎて見えないけれど、たがいちがいに歩き出した僕の両足で一歩ずつ確実に、ただそれだけを信じて行く。