【日本ファッション史】肌着から外着へと進化していった!小袖は日本人にどう着られていたの?
古代より日本の衣服には数々の変遷がありました。
平安時代の貴族たちが纏った十二単の華麗さから、中世の武家社会に適応した実用的な服装への移行をします。
しかし、ここで注目すべきは、小袖の登場です。
初めは内衣として用いられたこの衣服が、室町後期には外衣へと進化しました。
その形は、袖が細く筒状で、男女とも対丈(身丈と同じ長さ)のものが主流であったといいます。
12世紀末から13世紀初頭、鎌倉時代にはすでに「小袖」という言葉が記録に残されています。
装束の下に着用される肌着としての小袖は、次第にその役割を拡大し、やがて単(ひとえ)や衵(あこめ)の役割をも兼ねるようになりました。
ここで小袖が単なる内衣から外衣としての地位を確立するまでの道のりは、実に興味深いものがあります。
江戸時代に入ると、文化の中心が武家から町人へと移り、衣服にも独特の変化が現れます。
裕福な町人たちは華美な絹織物や珍しい染色を競うようにまとい、その象徴として小袖が脚光を浴びました。
町人文化の象徴であった小袖は、座業を中心とする町人の生活にぴたりと適合したといいます。
仕事着と生活着の区別が不要であった町人にとって、小袖の実用性と美しさは欠かせないものであったのです。
また、江戸初期の小袖の形態は現代のキモノとは異なり、身幅が広く、袖幅は狭かったです。
これが次第に細身で裾が長く優美な形へと変わり、「おはしょり」や振袖の風習が生まれます。
その変遷は、時代の美意識の移り変わりを如実に反映しているのです。
興味深いのは、小袖に対する人々の美的感覚です。
18世紀後半、「いき」という美意識が町人文化の中で結晶化し、衣服にもその影響が及びました。
「いき」は、心意気や気品を示す言葉として始まり、やがて渋い色合いや洗練されたデザインを好む美意識を指すようになったのです。
こうした江戸の美学が小袖にも反映され、特に女性の衣装には豊かな装飾が施されました。
金銀の摺箔や刺繍がふんだんに用いられた布地は、町人たちの遊び心と高い審美眼を物語っています。
小袖は単なる衣服にとどまらず、社会的な意味も持つ存在でした。
未婚女性が着る振袖に対して、既婚女性の「留袖」は、人生の転換を象徴する服装です。
また、男性の小袖は形状の変化こそ少なかったものの、そのデザインや色彩に時代の趣味が色濃く反映されていました。
こうして小袖の物語を追ううちに、その背景にある文化と歴史が浮かび上がってきます。
江戸時代に花開いた町人文化がもたらした衣服の進化と洗練。
それは、我々が現代のキモノを通じて感じる日本文化の根幹にほかなりません。
小袖が持つ美しさと実用性、その融合は今なお私たちを魅了し、江戸の風を運んでくるのです。
まさに、小袖とは時代を越えた日本の美の象徴であるといえます。
参考文献
シリンガル・レイハン(2013)『衣服から見る日本』広島大学国際センター日本語・日本文化研修プログラム研修レポート集 , 28期 : p1-19