【日本ファッション史】どんどん豪華になっていった!昔の人たちはどのような服を着ていたの?
歴史の流れをひも解くと、服装というものは、その時代の息吹を映し出す鏡のようなものです。
まず飛鳥時代。埴輪の着る服を目を細めて眺めることで、当時の装束の雰囲気をなんとなくつかむことができます。
百済から輸入した裁縫技術が反映された衣服は、打ち合わせが左前という、なんとも控えめでありながら誇り高い仕様でした。
そして『養老律令』による衣服の三分類――礼服、朝服、制服――は、唐の影響を色濃く受けながらも、日本独自の秩序をも感じさせるものだったのです
平安時代に突入すると、装束文化はぐっと華やかさを増します。
唐風様式から国風文化へのシフトは、雅さと優美さを追求する精神の現れでしょう。
特に「束帯」という装束は、当時の美意識の結晶です。
幅広い袖や繊細な色使い、グラデーションの妙に、平安の風流が凝縮されています。
その一方で、朝廷から庶民に至るまでの服装にも次第に変化が生じ、自由な発想が芽吹き始めました。
そして鎌倉時代、武士の台頭により装束の豪華さが一層求められるようになったものの、戦国の世が始まると装束文化は一時的な停滞を余儀なくされます。
しかし、安土桃山時代には再び華やかな装束が日の目を見、派手なデザインが人々の目を楽しませました。
この時代の服装は、まるで舞台衣装のようにドラマティックで、見る者を惹きつけたに違いありません。
こうして日本の装束は、時代の波に揉まれながらも変遷を続け、その雅と豪華さを伝えてきました。
未来の歴史家たちは、この流れにどんな物語を紡ぎ加えるでしょう。
参考文献
シリンガル・レイハン(2013)『衣服から見る日本』広島大学国際センター日本語・日本文化研修プログラム研修レポート集 , 28期 : p1-19