箱モノではないラーメンパーク“筑紫通り”の一角で豚骨三昧
福岡のラーメン激戦区の一つに「筑紫通り」がある。
博多駅のヨドバシカメラマルチメディア博多横から春日原方面へと伸びる約7km間に新旧の実力派ラーメン店が点在。通りから少し入ったところまで含めると筑紫通りエリアでのラーメンの選択肢は多岐に渡る。そして、このラーメンストリートの中でも特に密集しているのが“那珂”(なか)界隈だ。「達磨ラーメン」と「元祖赤のれん雄ちゃんラーメン」(以前は福一ラーメン)が隣り合い、道を挟んだ前には重鎮「一心亭」。筑紫通りを車で走りながら、それら“いかにも旨そうなシブい”外観に興味をそそられながらも未体験という人も多いかもしれない。いやいや、絶対にもったいない。下記看板を見かけたら即ドライブイン!である。
筑紫通り「達磨ラーメン」の真髄を知る
「達磨ラーメン」は1983 (昭和58)年創業。福岡には博多ラーメンといえばの名店で全国区の「博多だるま」や「天ぷらのだるま」もあるが、筑紫通りに構えるこちらは全くの別店で、漢字で「達磨」。通りを行き交うドライバーやサラリーマン、工事関係者の胃袋を満たしてきただけでなく、この界隈のラーメン店は現在の「ららぽーと福岡」の場所にあった青果市場(現在はアイランドシティ)で働く人と共に歩んできた歴史がある。「達磨ラーメン」、「元祖赤のれん雄ちゃんラーメン」(以前は福一ラーメン)、「一心亭」もそうだし、惜しまれつつ閉店してしまった「中屋ラーメン」もたくさんの労働者に愛されていた。あくまで“日常食”としての王道博多ラーメン。筑紫通り沿いに現存するレジェンドたちの一杯は、「ラーメンのトレンド? そんなん知らんバイ」と、凛とした風格で卓上から語りかけてくるようだ。
店内の一角、“立入禁止”と書かれた扉の奥で黙々とスープを炊く男。寸胴の中には、下処理段階でまだ原型が残っている豚の頭。別の釜に目をやると、分厚い豚皮や背脂が折りたたむように組み上げられている。
ひたすら豪快。そして、武術の達人のようにゆるくスキのない構え、無駄のない動きで豚骨と対話する。この人こそ、店主の古川修作さん(1961年福岡市出身)。兄と父が1983 (昭和58)年に開いた同店を1999(平成11)年、本格的に継いだ。それまでの建設関係の仕事からラーメン店への転身。
古川さんは家業のラーメン店の味作り、経営の面もすべて見直し、いちから独自の一杯を作り込んだ。厨房においても建設現場での経験を生かし、より“濃厚豚骨”を煮出しやすい環境、設備へと自らの手で改良。「豚骨ラーメンは結局、濃くないと旨くないとよ。そう思わんね? けれどそれはギトギトした油の濃さじゃなくて、たっぷりの骨を使ってこその“濃さ”やけどね」と古川さん。
ラーメンのスープは、3本の寸胴を使い豚頭、背脂、豚皮を段階的に乳化させていく手法。濃厚で荒々しい。しかし、ラードを全く使っておらず、豚皮などで重厚感を出しているため、きついギトギト感はなく飲みやすい。塩気もバリっと効かせてあるので、特に汗をかいた日は体に染みまくる。やっぱり旨い。
筆者は古川さんともう20年以上の付き合いになるが、今も昔も変わらずいい意味で“とんがったラーメン職人”だ。自分の仕事に絶対的な自信をもち、素材においても一切の妥協をしない。納得する骨や肉を業者が持ってこないと、容赦なくどやして突き返す。そんなタイプの古き良きラーメン屋のオヤジなのである。激動の時代だからこそ、そんな真っ直ぐ前を向く豚骨ラーメンが心に刺さる。
休憩中の古川さんと昔話を楽しみながら「古川さん、ますます暖簾の達磨の顔に似てきたな」とニンマリなる。
同店をヘビロテしている筆者も実感しているが「達磨ラーメン」の一杯は時代を重ねるごとに、使う骨の量を増やして“濃く”なっている。店主が年齢を重ねるとより飲みやすく“あっさり”となる方が多いし、加えて骨の値段も高騰する中で「なぜに濃く?」と聞いてみると。「濃い方がうまいから」。ただ一言。
腕組みをしている達磨のイラストは、手も足も出ない普通の達磨ではなく、“手も足も出る達磨”、つまり攻めの姿勢を貫く意味合いで創業時に作られたもの。
現在63歳の古川さんは相変わらずパワフルで、ますます店頭の達磨に似てきた。
【達磨ラーメン】
住所:福岡県福岡市博多区那珂3-22-27
時間:11:00〜18:30
休み:第2・4・5日曜
席数:18席(カウンターのみ)
駐車場:12台(無料)