MF宮澤ひなたがなでしこジャパン初先発。オランダ戦で輝いたWEリーグのスピードスターの原点は?
アイススケーターが水面を滑るように滑らかにピッチを走り、ボールを持つと、挑むように相手に仕掛けていく。
青いユニフォームに身を包んだ背番号23が、雨のピッチに映えた。
11月29日にオランダと対戦し、0-0で引き分けたなでしこジャパン。得点力不足が改めて浮き彫りとなったが、その一方で、右サイドを活性化したMF宮澤ひなたのプレーは、なでしこジャパンの攻撃のバリエーションが広がる希望を感じさせた。
国内では傑出したスピードを持ち、マイナビ仙台レディースの攻撃の核となっている。スペースへの鋭い動き出しは常に相手の脅威となるが、周囲を生かせるのも強みだ。プレーはシンプルだが、選択肢は豊富で、その一つひとつがたしかなスキルに裏付けられている。
宮澤は2019年のフランスW杯や東京五輪でも最終メンバー候補だったが、選出はならず。だが、その挫折も成長の糧にしてきたことを、ピッチで証明しようとしている。
25日のアイスランド戦は、後半途中から出場し、積極的な守備で流れを引き寄せた。しかし、結果は0−2で敗戦。
「ゴール前に相手が多く、まずは打たないと相手が(前に)出てこないですし、出てきた中でどういうサポートを作るのか。裏に抜ける選手がいることもそうですが、(相手陣内を)斜めに突っ切って走る形もあっていいのではないかと感じていました。自分がサイドにいるときにFWの選手が抜けてくれて、そこで自分がもう一度中に入っても面白いかなと思ったのですが、(味方との)距離感が遠くて難しいところもありました。オランダ戦はもっとゴール前での厚みや迫力を持ってゴールに向かっていきたいです」
「相手がトラップで一歩離した瞬間は常に狙っていますし、そこはもう一歩寄せられると感じました」
アイスランド戦後にそう語っていた宮澤は、22歳の誕生日翌日に行われたオランダ戦で代表初先発。どんなプレーを見せてくれるのかと期待が高まった。
前半14分、右サイドのスペースに出されたボールを全力で追い、対面するサイドバックにスピード勝負を仕掛けると、その後はドリブルやカットインからのスルーパス、裏への抜け出しなど、多彩な形でチャンスを演出。強靭なフィジカルを持つオランダの選手たちに走り負けず、常に先手を取ろうとするアグレッシブさは頼もしく、今後への期待を抱かせた。
ただし、ラストパスは相手の長い足に引っかかることが多く、ファウル覚悟で止めにくる相手の深いタックルを受ける場面も。アイスランド戦で課題に挙げていた「ゴール前での精度」や「相手との距離の取り方やスピードの使い方」は、強豪オランダとの対戦でさらに更新されたことだろう。
【“迷い”を乗り越えて】
WEリーグがスタートした今季、宮澤は日テレ・東京ヴェルディベレーザからマイナビ仙台レディースに移籍。2位躍進の原動力となっている。気持ち的にも充実したシーズンを送っているだろう。だが、ここまでは決して平坦な道のりではなかった。
中学時代のポジションはボランチだった。当時、宮澤を指導していた柄澤俊介監督(SEISA OSAレイア湘南FC監督)は、いずれはFWにコンバートすることを視野に入れていたが、「スピードは後からついてくるとわかっていましたが、器用さは後からついてこないですから」と、中央でプレーするための基本的なスキルを習得させた。
その後、両サイドのウイングのポジションも経験し、両足を使えるようになった宮澤は、高校で同監督にFWに抜擢されると一気にブレイク。スピードの緩急を駆使したドリブルや鮮やかなミドルシュートなど、見るものをハッとさせるようなプレーで高校女子サッカー界に衝撃を与えた。
そして、卒業後の2018年にベレーザに加入。同年1月に現役高校生としてなでしこジャパンの候補入りを果たすと、ベレーザで1年目からレギュラーとして国内3冠に貢献。18年のリーグ新人賞を受賞した。そして、同年8月のU-20女子W杯では全6試合に出場して世界一の原動力になった。当時のU-20代表を率いていたのが、なでしこジャパンの池田太監督だ。
キャリアの階段を一気に駆け上がっていった宮澤が壁にぶつかったのは、その年の終盤だった。なでしこリーグで対戦相手にスピード対策をされ始め、マークが厳しくなったこともある。同時に、ボールを持った時の選択肢の多さが宮澤を悩ませていた。当時、ベレーザはほとんどが代表候補で複数のポジションをこなせる選手が多く、周囲の状況は目まぐるしく変わっていく。それは、宮澤にとって未知の感覚だった。
当時、このように葛藤を口にしていた。
「自分が仕掛けた方がいいのか、味方の選手を待った方がいいのか、シンプルに出した方がいいのか、どの選手を生かしたらいいのか…と悩んでボールを取られてしまうことがあります」
だが、この“迷い”がもう一つの転機だった。
宮澤は当時の永田雅人監督(現ベレーザヘッドコーチ)の下で、サイドやトップなど複数のポジションを経験。試合中に起こり得る様々な状況を想定して体の向きやトラップの位置など、細部まで技術を磨き、プレーの選択肢を広げながら判断のスピードを上げた。
地道なトレーニングを積み重ねる過程で、先発落ちも経験した。だが、明確な目標があったからだろう。成長の手応えを語る宮澤の言葉はいつも淀みなく、とにかく前向きだった。
宮澤は進化の過程で、躍動感を再び見せ始めた。昨季末の皇后杯では4連覇に貢献。そして、WEリーグがスタートした今季、マイナビ仙台への移籍を決断した。その理由をシーズン前にこう語っている。
「もう一度新しい場所で自分の力を見直して、原点に戻って一からアピールしたいと思い、(移籍を)決めました。自分がチームを勝たせるぐらいの気持ちで、新しい仲間と優勝に向かってチャレンジしていきたいと思っています」
マイナビ仙台を率いる松田岳夫監督は、「ドリブルで運べるし、スピードがある。テクニックもあってゲームも作れる。そういう選手が中央を切り裂いていくことが相手にとって一番嫌だと思いますから」と、攻撃の核として、中央で自由を与えた。
実際、今季の宮澤は動きもプレーも予測不可能で、何かしそうな雰囲気を常に漂わせている。WEリーグでは、ここまで9試合に先発して1ゴール3アシストを記録。第4節のちふれASエルフェン埼玉戦では、MF長野風花が送った60m超のロングフィードに陸上選手のようなスプリントで追いつき、ゴールを決めた。目を見張るような美しいカウンターだった。
「仙台ではFWだけど落ちてプレーしたり、後ろからビルドアップに参加したりと、中央で自分らしくプレーすることに自信を持つことができました。どんなところにも顔を出して、『次は何をするんだろう』とワクワクするような選手になりたいと思っています」
宮澤のもう一つの原点は「見ている人に勇気や元気を与えること」だ。当たり前のようにサッカーができることへの感謝も、折に触れて口にしてきた。屈託のない笑顔と、変わらず謙虚なその姿勢が、多くのファンを魅了してきたのだろう。
WEリーグと代表で存在感を増してきた宮澤が、これからどんな選手になっていくのか、楽しみは尽きない。
*表記のない写真は筆者撮影