マルチカルチュラルな「助っ投」が静岡で狙うジャパニーズ・ドリーム
今シーズン、プロ野球(NPB)の二軍に大きなうねりが起こった。イースタン、ウエスタンの2リーグからなる二軍リーグに2チームが新たに加入したのだ。そのうちのひとつは長らく独立リーグのルートインBCリーグに加盟し、プロ球団としての運営実績のある新潟アルビレックス。このチームはメインスポンサーに食品通販会社を迎え、その名に「オイシックス」を冠し、イースタンリーグに加入した。
そしてもうひとつは、まったくの新球団としてウエスタンリーグに加入した、くふうハヤテベンチャーズ静岡だ。成長企業支援事業を手掛けるハヤテグループがNPBの審査を受け、二軍のみの新球団設立にこぎつけた。
ゼロからのチーム作りとあって、このチームには元NPB、独立リーガーなど様々な経歴をもった選手が集まっている。その中には、ジャパニーズ・ドリームを夢見てはるばる海を渡ってきた外国人選手もいる。彼らの役割はもちろん「助っ人」としてチームを勝利に導くことではあるのだが、それ以上に、このチームでの活躍を踏み台に、メジャーリーグに次ぐ、世界第二のパワーハウスである日本のトッププロリーグ、NPBの一軍でプレーするというミッションが彼らには課されている。
今シーズン途中にくふうハヤテに入団したWBCオランダ代表にも名を連ねたフランクリン・バン・グルプもそんな選手のひとりだ。この春の侍ジャパンシリーズでヨーロッパ代表にも名を連ねた彼にとって、静岡でのプレーは、今年2度目の来日である。
マルチカルチュラルな出自のジャーニーマン
「オランダ人」ながら流暢な英語を操る彼だが、生まれはカリブ海に浮かぶオランダ領シント・マールティン島だ。そこはアンドリュー・ジョーンズ(元ブレーブス、楽天など)やウラディミール・バレンティン(元ヤクルトなど)を産んだキュラソー島のあるアンティル諸島とも随分と離れた小島である。その小さな島は国境線によってさらに南北に分けられ、国境を越えた北半分はフランス領サン・マルタンとなる。そんな環境に生まれた彼にとって地球を飛び回ることは特別なことではなかった。
「フランス語は話せないんだけどね。島ではオランダ語と英語が話されていたし、もともと父がアメリカに住んでいたんだ。だから同じオランダ領のアンティル諸島のキュラソーで話されているパピアメント語はあまり話せないね。でも、パピアメント語はオランダ語とスペイン語、ポルトガル語のクレオール(混成語)で、僕のママはドミニカ出身だからスペイン語は話せるんで、キュラソーの連中ともコミュニケーションに困ることはないね。これから日本語も覚えなくちゃね」
と笑うバン・グルプは、3歳でシント・マールティンで野球に出会い、7歳で母親の母国の野球大国、ドミニカに移住し、少年時代を過ごした。そして高校卒業後はアメリカに渡り大学に進んだ。そんな彼がマルチなアイデンティティを持つようになるのは当然のことだった。
「パスポートはオランダとドミニカのふたつをもっているんだけど、オランダにはフーフトクラッセ(オランダのトップリーグ)のアムステルダム・パイレーツでプレーした2、3か月しか住んだことはないし、今はアメリカに住んでるのでアメリカ人みたいなものだよ。でも、カリビアンでもあるし、ドミニカ人の血も引いているからWBCでは実はドミニカ代表でもプレーできるんだ。自分が何人かって言われると、難しいな。オランダ人かって言われると半々ってとこかな。ディシプリン(躾、教育)はドミニカで得たし、高等教育はアメリカだろ。野球をしっかり学んだのもアメリカだしね。でもまあ、英語が話せればどこに行ってもコミュニケーションは取れるよ」
プロの世界に飛び込んだのは2017年のことだった。サンフランシスコ・ジャイアンツからドラフト指名を受けた彼は迷わず契約。21歳でプロデビューを飾った彼はルーキーリーグで5勝を挙げると、翌年にはメジャーリーガー予備軍の集まる2Aのマウンドに上がるなど順調なプロ生活のスタートを切った。パドレスに移籍したプロ3年目の2019年には、オランダ代表の一員としてプレミア12で国際大会デビューを果たしている。
しかし、メジャーの壁は厚かった。2020年シーズンはコロナ・パンデミックによってマイナーリーグのシーズンは休止。パドレスではその翌年までプレーしたが、シーズン後にリリースされてしまう。2021年はマリナーズと契約したものの、A級止まりだった25歳の右腕にメジャーリーグはそれ以上の居場所を与えてくれなかった。
その後は、「母国」であるオランダやアメリカの独立リーグ、そしてオフにはドミニカやベネズエラのウィンターリーグとプレーする場がある限り世界中を飛び回った。チャンスさえあれば、もっと上位の舞台でプレーできることは、昨年春のWBCのオランダ代表のメンバーに選ばれたことが示していた。中南米各国のウィンターリーグチャンピオンが集う冬野球の祭典、カリビアンシリーズにも「キュラソー代表」のメンバーとしてここ2年連続して出場している。
より大きなチャンスを求めて日本へ
昨シーズンは筒香嘉智もプレーしたアメリカ独立リーグ最高峰といわれるアトランティックリーグのロングアイランド・ダックスでプレー。オフはドミニカとベネズエラのウィンターリーグでプレーした後、2月初めのカリビアンシリーズにはキュラソー・サンズの一員としてマイアミのローンデポパークのマウンドにも立った。そしてシーズン前の3月初旬にはヨーロッパ代表チームのメンバーとして大阪で侍ジャパンとのテストマッチに臨んだ。第1戦の5番手として日本のトッププロと相まみえたフランクリンは、1イニング2/3を被安打1の無失点で切り抜けると手ごたえをつかんだ。
「侍ジャパンとの対戦はよく覚えているよ。最後、セカンドゴロに打ち取ったんだけど、森下(阪神)は印象に残っているね。対戦はしてないけど、万波も素晴らしいバッターだと思ったよ。村上(ヤクルト)のことは今や世界中のベースボーラーが知っているよ」
テストマッチが終わると、欧州代表メンバーの多くが所属するメキシカンリーグの複数のチームから声がかかった。独立リーグに戻るよりはかなりの好待遇が期待されたが、彼はそのオファーを受けるのを潔しとしなかった。彼が狙いを定めたのは日本だった。代理人を通して新球団くふうハヤテに売り込みをかけ、見事日本行きの切符を手にした。
初めての日本のリーグでのプレーだが、情報収集は抜かりない。
「昨年のWBCではキューバと対戦したんだけど(勝敗は4対2でオランダの勝利)、モイネロ投手を覚えているよ。彼は今大活躍なんだろう。それにエスピー(エスピノーザ・オリックス)とはパドレスのマイナーで一緒だったんだ。彼とはたまに連絡を取っているよ。オールスターに出場した時には、おめでとうって伝えたよ。それにモイネロのチームメイト、ヘルナンデスのことも知っているよ」
彼らからNPBの情報はすでに得ているのだろう。それにこの3月の自らの体験も踏まえてバン・グルプは、一軍でのプレーに自分が値すると自信を持つ。
「100パーセントやっていけるよ」
バン・グルプに先発の機会を与えているくふうハヤテの赤堀監督(元近鉄)は、もう少しスピードが欲しいと条件をつけながらも、世界の舞台に何度も立っているバン・グルプがNPBレベルのピッチャーであることを認める。残念ながら、来日が遅かったこともあり、今シーズン中のNPB一軍「昇格」はならなかったが、今後のピッチング次第では、このオフにも12球団いずれかから声がかかる可能性がある。
「その時」を信じてバン・グルプは静岡でマウンドに立ち続ける。
(写真は筆者撮影)