藤井王位、苦闘の末に王位戦第1局逆転勝利 渡辺九段、千日手指し直しで完璧な試合運びも最後に詰みを逃す
7月6日・7日。愛知県名古屋市・徳川園において、伊藤園お~いお茶杯第65期王位戦七番勝負第1局・藤井聡太王位(21歳)-渡辺明九段(40歳)戦がおこなわれました。棋譜は公式ページをご覧ください。
6日9時、藤井王位先手で始まった対局は7日15時44分、80手で千日手が成立しました。藤井王位にとっては、通算13回目の千日手となります。
16時14分に始まった指し直し局は21時13分、136手で藤井王位の勝ちとなりました。
藤井王位は苦闘の末に、今シリーズ1勝目をあげました。
第2局は7月17日・18日、北海道函館市「湯元 啄木亭」でおこなわれます。
渡辺九段、後手番で千日手に持ち込む
七番勝負開幕に先立つ振り駒の結果、第1局の先手は藤井王位となりました。
後手の渡辺九段は角筋を止めて駒組を進め、定跡形をはずれた相居飛車の序盤となりました。
藤井王位が右四間飛車に構えたのに対し、渡辺九段は右玉で待機策を取ります。近年のタイトル戦は互いの研究が一致すると、一気に終盤の入口前後にまで進むこともよくあります。しかし本局はそういう展開とは対照的に、なかなか戦いのおこらない、じりじりとした進行となりました。
44手目、渡辺九段は角を引いて待ち続けます。
45手目を藤井王位が封じて1日目は終わり、指し掛けとなりました。
渡辺「指し掛けのところは(相手に歩を交換されて)一歩持たれてちょっと失敗してると思ったので。どれだけ待てるかっていう・・・」
渡辺九段は局後にそうコメントしていました。ただし客観的に見れば、先手からの動きをうまく封じるのには成功していて、後手番の作戦としてはうまくいっていたのかもしれません。
明けて2日目。依然戦いは起こらず、互いに自陣の駒を繰り替え続ける進行が続きます。
藤井「こちらが動いていかなくてはいけない将棋だとは思ったんですけど。昼食休憩明けたあたりから、消極的な手が続いて。仕掛けていく機会を逸してしまったかなという気がしていました」
藤井王位は角、渡辺九段は金を上下に動かし続け、やがて同一局面が4回目に。規定により、15時44分、千日手が成立しました。
持ち時間8時間のうち、残りは藤井50分、渡辺2時間10分。後手の渡辺九段にとってはわずかに不利な後手番で千日手に持ち込み、さらには時間も多く残したわけです。ゲームプランとしては、大成功といってもよさそうです。
指し直し局は先後を入れ替え、渡辺九段が先手となります。規定により、残り時間が少ない藤井王位の側が1時間になるように双方10分ずつを足します。
記録係・上野裕寿四段「指し直し局の残り持ち時間は、藤井先生が1時間。渡辺先生が2時間と20分になります」
渡辺九段、指し直し局でリード
千日手成立から30分の休憩をはさんで、16時14分。立会人・藤井猛九段が指し直し局開始の合図をします。
「それでは時間になりましたので、渡辺九段の先手で対局を始めてください」
先手の渡辺九段は、相掛かりを選びました。序盤の早い段階で機敏に動き、藤井陣に生じた隙間に角を打ち込みます。
藤井「(27手目)▲8二角から▲2六飛車の組み合わせを少し軽視していて。すでに少し苦しい気がしたので。どうやってがんばるかということを考えていました」
進んで中盤戦。渡辺九段は角銀交換の駒損ながら、53手目、飛車を成り込みます。形勢はほぼ互角。ただし残り時間は渡辺1時間1分、藤井10分で、相対的に渡辺九段が大きな差をつけていました。
54手目、藤井王位は手にした角を自陣に打ちつけて粘ります。
渡辺「あのあたりは少しいいのかなと思ってたんですけど。そのあと、ただ(56手目)△6四歩突かれてみると、ちょっとわかんなくなって。そのあとはなんか、あんまりいい手が指せなかったような気がします」
藤井「早い段階で苦しくなってしまって。そのあと、粘り強く指そうと思ってやっていたんですけど。ただ、龍を作られて徐々にそれが難しくなってしまったかなという一局だったかなと思います」
形勢はほぼ拮抗したまま、中盤戦が続いていきます。
64手目、藤井王位は当たりになっていた龍を縦に引いて逃げました。藤井王位には珍しく、迷いがあるような手つき。ABEMAで解説を担当していた鈴木大介九段は、思わず驚きの声をあげます。
鈴木「ものすごい迷ってましたね」
渡辺九段も少しずつ時間を使っていき、両者ともに時間が切迫する中で、いよいよ終盤を迎えました。
藤井王位は当たりになっている龍を逃げて粘るのではなく、相手の銀と刺し違え、寄せ合いに出ます。
藤井「(85手目)▲8七歩に△8四龍と引いてもなかなかチャンスが少ないかなと思って(△4六龍と)切っていったんですけど」
コンピュータ将棋(AI)が示す評価値は、渡辺九段よし。そしてこのあと、劇的な最終盤を迎えることになります。
指運の世界
91手目。渡辺九段は手にした飛車を藤井陣の一段目に打ち込みます。二段目の龍とともに強力な「ニ枚飛車」で寄せ形を作りました。
ここで藤井王位には2つの選択肢がありました。ひとつは飛の利きをさえぎるため、一段目に歩を打って受ける順。もうひとつは渡辺玉を寄せにいく順。時間がない中、藤井王位は後者を選びました
藤井「▲7一飛車と打たれて、最初、単に△6一歩と打つつもりだったんですけど、▲同角成と取られたときに先手玉が詰まないと思ったので。その順が効かないと負けなのかなと思いました」
藤井王位は渡辺玉に迫ります。しかし詰みはありません。
102手目。藤井王位は一転して自陣に歩を打ち、受けに回りました。渡辺九段も最後の1分を使って、あとは両者ともに一分将棋。渡辺九段は藤井玉を追い込んでいきます。
渡辺99% ー 藤井1%
ABEMAの中継では、評価値を「勝率」に換算した数字がそう表示されています。つまりは、渡辺九段勝勢。しかしそれはAI同士が最善を尽くした場合の「勝率」であって、時間など、さまざまな制約のある人間同士の対戦では、そう簡単にはいきません。
がっくりと落ち込んだ様子の藤井王位。気を取り直すかのように、角を手にして王手龍取りをかけ、相手の「ニ枚飛車」のうちの1枚を消しにかかります。
渡辺「ちょっといきなり最終盤になるような展開になったんで。いや、全然読めてはいなかったんですけど。ちょとまずいのかなと思ってた変化もあったんですけど。本譜は勝ちなったなと思ったんですけど」
111手目。渡辺九段は角の王手に、3八の玉をどこに逃げるか。逃げ場所は5か所。その中で、まっすぐ引くのがもっとも簡明な勝ち方でした。
鈴木「これ大事なのは2七とかに逃げないことですね。△3七歩成▲同玉でやっぱり(6九の)馬が2五に利いて、若干・・・。まあそれでも(藤井玉は)詰みますけど。▲3九玉と引くのが急所ですよね」
藤井王位は、盤面を見ず、湯呑を手にしてお茶を飲んでいました。そして湯呑を置き、盤面に視線を戻さず、うつむきます。
上野「50秒、1、2、3、4、5、6・・・」
記録係の上野四段が秒を読む中、渡辺九段は玉を上がりました。
鈴木「へえ・・・。びっくりしました」
この順でも渡辺九段に勝ちは残されていたので、失着というわけではありません。しかし藤井玉を詰ます条件は難しくなります。
感想戦では、このあたり駒は動かされないまま、両者は早口で手順をたどりました。
渡辺「いやあ、引き(▲3九玉)だったっすね(苦笑)。(王手龍取りが△4七角ではなく)△7四角なら引きのつもりだったんだけど、なんでこっち(▲2七玉)に上がってんのか。うーん・・・(首をかしげる)」
藤井王位は手順を尽くします。鈴木九段が解説した通り、王手で歩を成り捨て、藤井陣に残る6九馬を2五の地点に利かせたあと、もう1枚の角で龍を取りながら、自陣9二へと成り返ります。
渡辺玉も受けなしに追い込まれ、あとは藤井玉が詰むや詰まざるや。そしてAIは詰みがあることを示していました。しかしそれもまた難しい順です。
渡辺九段からの龍の王手に対して、118手目、藤井王位は銀を合駒に打って受けました。時間がない中、もっとも勝負になる順を選べたのもまた、藤井王位の終盤力があればこそです。
鈴木「ここが勝負どころでね」
渡辺九段も、ここで藤井玉に詰みがあることは感じていました。有力な王手は何通りかあります。しかしもし詰ますことを考えるのであれば、正解手はわずかにひとつ。同龍と切っていくしかありません。
鈴木「切ってね。切りそうだね」
上野「50秒、1、2、3、4・・・」
そこまで読まれたところで、渡辺九段は駒台の銀を手にします。
鈴木「えっ!?」
119手目。渡辺九段は藤井玉の頭に銀を打って詰ましにいきました。そして――。「勝率」の表示は一気に巻き戻りました。
渡辺28% ー 藤井72%
解説していた鈴木九段は、何度も驚きの声をあげます。
鈴木「ええーっ!? こんなのってある!?」
リアルタイムで観戦していた人の多くは、この前後の短い時間の中で、なにが起こったのか、理解が追いつかなかった人も多かったでしょう(筆者もその中の一人です)。あとで振り返ってみれば、この前後数分の形勢の推移は、あまりにも劇的でした。
119手目、渡辺九段が選んだ王手では、藤井玉はきわどく詰まない。感想戦で、藤井王位は詰む順を指摘していました。
藤井「あ、なんかバラして(▲4一同龍△同玉▲5二金△同金▲同桂成△同玉▲6四桂)」
渡辺「あ、バラして(苦笑)。そうか。え、上は? 並んでんの?」(持駒を並べて打っていけば詰み、の意)
藤井「上が抜けない・・・」
渡辺「ああー。そうなんすか。それ馬(藤井陣に守りによく利いてそうな9二馬)がいるから。そうか・・・。バラして桂打って。何枚持ってるんですか? 5枚?(金金銀銀銀で5枚)銀銀で普通に尻金(▲7一銀△6三玉▲7二銀△6四玉▲6三金)ぐらいでいいってことですか。ああ・・・(苦笑しながら宙を見上げる)。馬、関係ないってことね」
藤井「確かに7七桂がすごい・・・(上部によく利いていて藤井玉の脱出をはばんでいる)」
渡辺「いやなんか、詰みそうだなとは思ったんだけど・・・。いや、でも、これそうか。初手(▲4一同龍)間違えるともう詰まないのか。あれ、銀打った(▲3二銀)あとって、なんか詰んでた?」
藤井「あ、いや、わかってなかった・・・」
渡辺「やっぱりそうなんだ。いや、初手間違えると詰まないのか、これ」
渡辺九段はここで一度、勝ちを逃しました。しかし、勝負はまだついていません。
120手目。王手で打たれた銀を、玉で取るか、それとも金で取るか。藤井王位は正確に金で取りました。
123手目。渡辺九段は龍を引いて王手をかけます。藤井王位は駒台に乗る飛金銀のうち、どの駒を打って合駒するかの3択。飛は詰みで渡辺勝ち。金は勝敗不明。銀なら詰まずに藤井勝ち。秒読みの中、選ばれたのは金でした。
鈴木「もうわけわから・・・ええーっ!?」
またもや鈴木九段の叫び声。
渡辺53% ー 藤井47%
「勝率」の表示は再び巻き戻ります。
鈴木「ウソでしょ!?」「ここはいわゆる指運(ゆびうん)ですよね」「藤井さんにして、ここの指運を間違えることがある。それだけ、びっくりしたんでしょうね、藤井さんも。あまりの展開に」
この段階にきて、まだ複雑きわまりない局面です。
上野四段は秒を読み続けます。「50秒」のあとに「1、2・・・」とカウントアップが始まり、「9」までの段階で指せればセーフ。「10」まで読まれると、時間切れで負けとなります。
125手目。渡辺九段は右手を伸ばし、王手で金を取って、歩を成ろうとします。このとき歩がうまく裏返らず、横に立ちました。
渡辺「あ、すみません」
渡辺九段はあわてて裏返します。筆者も長い間、渡辺九段の対局を見てきましたが、こうした光景は記憶にありません。
126手目。藤井王位は玉でと金(成歩)を取ります。
ここで渡辺九段はどう指すか。鈴木九段は「ウルトラC」という順を指摘。筆者の手元のソフト(2024年世界コンピュータ将棋選手権優勝「お前、CSA会員にならねーか?」)で確認したところ、鈴木九段と同じ読み筋を示していました。すなわち▲3四歩△2四玉▲3五銀(銀を捨てる好手)△同玉▲2五金△同馬▲4五金△2四玉▲2五歩(王手で1枚目の馬を抜く)△1三玉▲9二龍(2枚目の馬を取る)。手順に2枚の馬を消去して、先手優勢です。しかしこれもまた、なんとも難しい順です。
渡辺「うーん」
秒読みの中、渡辺九段は頭に手をやったあと、龍を切り、金を取って王手をかけます。
鈴木「これは・・・!?」
渡辺14% ー 藤井86%
龍を切るからには、藤井玉を詰まさないと負け。しかし詰みは・・・。きわどいながらも、藤井玉は詰みません。形勢は再び、藤井王位勝勢となりました。
127手目。渡辺九段は歩を打って王手をかけます。そしてうつむく藤井王位。このシーンだけを見ると、藤井王位が負けのようにも見えます。
藤井玉の動ける位置は5か所。そのうちの4か所は詰み。しかしわずかに左上、1か所だけは詰みません。
上野四段が「7」まで読んだところで、藤井王位は玉をかわします。そこは唯一詰まない、左上の地点でした。
次の瞬間、右手で頭を抱えてうつむいたのは、渡辺九段の方でした。駒台には「金金金銀桂歩歩」と豊富な持ち駒が並んでいます。しかしそれを順に打っていっても、藤井玉は詰まない。
渡辺九段はため息をつき、宙を見上げ、そして左手で頭を抱え、またうつむき、そして一瞬、ひたいに血管を浮かべ、悲痛きわまりない表情を見せました。
千日手局を含め、ほぼ完璧に近いゲームプランで営々として積み上げてきたものが、わずかなミスで瓦解してしまう。そこが将棋のおそろしいところです。
「将棋は残酷なゲーム」
そんな常套句があります。敗者の姿が、これほどまでに残酷に映し出される競技は、そうないかもしれません。勝ちまであともう少しというところでの大逆転は、レベルの差はあれど、将棋を指す人であれば、誰しもが経験することです。渡辺九段の姿を見てわがことのように、身につまされるような思いがした人も多いでしょう。
「7」まで読まれ、131手目、渡辺九段は金を打ちます。王手。そしてまた宙を見上げ。頭の後ろで両手を組みました。
渡辺九段の姿を見て、昨年の王座戦五番勝負第4局を思い出した人も多いでしょう。
永瀬拓矢王座(当時)は勝利まであと一歩と迫りながら、わずか一手のミスで勝利を取り逃がし「藤井八冠」の誕生を許しました。
もちろん、おそるべきは、渡辺九段や永瀬九段を相手に、そうした逆転を呼び込む藤井王位の底力でしょう。大山康晴15世名人、中原誠16世名人、羽生善治九段といった過去の永世王位たちは、こうしたきわどい勝負を何度も制してきました。藤井王位もまた、そうした系譜につらなるであろう大棋士なのは、改めていうまでもありません。
藤井王位の応手は1通りしかありません。しかし54秒まで考え、しっかりとした手つきで玉を引いて逃げました。
藤井玉が詰まないことは、次第にはっきりしてきました。このあたりが、投了のタイミングなのかもしれません。
渡辺九段は「7」まで読まれ、銀を手にして王手を続けます。
鈴木「いやあ・・・。渡辺さんでも投げきれないときがあるんですね。普段の渡辺さんなら絶対、こういう無駄な王手はしないですからね」「でも、心の整理をつけているというかね。そんな感じに見えますね」
藤井王位は取るしかない銀をすぐには取りません。そして「6」まで読まれたあと、静かに取りました。
渡辺九段は金を打ち、さらに王手を続けます。そしてペットボトルのまま「お~いお茶」を飲みました。
渡辺九段が王手で打ってきた金を取れば、藤井玉は詰みます。しかし藤井王位は誤ることなく、静かにかわしました。
鈴木「なんか、投げきれない渡辺さんを、初めてかもしれないぐらい。二十年ぶりぐらいに見てる気がしますね」
渡辺九段は盤面を見ず、しばらく宙を見上げ続けました。その間に、気持ちの整理はついたのでしょう。
上野「50秒、1、2・・・」
そこまで読まれたところで、渡辺九段は深く一礼をしました。
渡辺「負けました」
藤井「ありがとうございました」
ほどなく苦笑いを浮かべ、早い口調で感想を述べる渡辺九段。それに応じる藤井王位にも、喜びの表情はありませんでした。
藤井「結果は幸いしましたけど、内容としては反省するところが多かったと思うので。まずはしっかり振り返って、また集中して第2局に臨みたいと思います」
渡辺「ちょっと詰みがわかんなかったですね。最後詰みがあるなら、詰まさなきゃいけなかったですね。最後の詰みのところがちょっと、見えなかったですね、対局中は」
両者にとっては、不本意な内容だったのかもしれません。しかし多くの観戦者にとっては、手に汗をにぎる、名勝負だったのではないでしょうか。
かくして藤井王位は苦闘の末、王位5連覇、永世王位資格獲得に向けて、大きな1勝をもぎとりました。
両者の対戦成績はこれで藤井21勝、渡辺4勝となりました。
本局の敗戦は、渡辺九段自身にとってはもちろん、多くの渡辺ファンにとっても残念なものだったでしょう。しかし七番勝負はまだ開幕したばかりです。
渡辺「また、気を取り直して。始まったばかりなので気を取り直して迎えたいと思います」
最後に拙著『棋承転結』から渡辺現九段の言葉を引き、本稿の結びとしたいと思います。