案外平穏だった?今期の断食月
断食月中はポイント10倍?
6月4日~5日、中東をはじめとする各地のムスリムが断食月明けの祝祭に入った。筆者の知る限りでは、2004年か2005年ごろから断食月の期間中はイスラーム過激派やその模倣犯の活動が活発化し、治安上の危険性が高まるという予断や憶測が盛んに唱えられるようになった。論理的には、1年365日の全てがどこかの誰かにとってテロ行為を正当化しうる「記念日」として政治的意味を持ちうる史実や暦上のめぐりあわせに該当するため、上記のような予断や憶測も「それなりに」扱えばいいだけである。しかし、「イスラーム国」についていうならば、2015年6月に当時の報道官が演説を発表し、「断食月中の義務的行為(注:この場合はジハードを意味する、と解釈する)の価値は他の期間の10倍」と扇動してくれたため、この種の扇動に影響されやすい模倣犯と、それに便乗する「イスラーム国」の広報、さらに広報に過剰反応する報道機関の動きにはずいぶん気を遣うようになった。「イスラーム国」は、2015年半ば過ぎには運動としての盛りを過ぎたため、2016年以降はたいした広報・扇動をしなくなる。それでも、2015年6月の演説は、現在でも筆者の周辺では「ポイント10倍キャンペーン」として話題となり、今でもこれを信じる模倣犯の出現に警戒が欠かせない。
好機を逃す「イスラーム国」
西暦では2019年5月6日に始まった今期の断食月だが、「イスラーム国」にとっては広報の好機でもあった。というのも、4月21日にはスリランカで連続爆破事件が発生し、断食月入りの1週間前には自称カリフのアブー・バクル・バグダーディーの動画が公開された。スリランカの事件はキリスト教徒の復活祭の礼拝を狙ったものだったし、バグダーディーの動画の公開の時期も、断食月を目前とした素晴らしいタイミングだった…はずだった。しかし、実際にはスリランカの事件についても、バグダーディーの動画の内容についても、豊富にあった広報の題材の全てをきれいに取りこぼし、政治的・社会的訴求力の乏しい駄作に終わった。スリランカの事件については、「イスラーム国」が世界的に活動できる力を持っていることを誇示するという意味でも、キリスト教徒への攻撃・脅迫という意味でも中途半端で、少なくとも実行犯と広報部門との連携はないも同然だった。バグダーディーの動画も、スリランカの事件についてのコメントを急遽挿入したように見える雑な作りだった上、目前に控えた断食月の「だ」の字も言わない、内容の乏しい動画だった。要するに、今期の断食月の直前から終わりにかけての「イスラーム国」の広報は、彼らにとっての好機をみすみす取りこぼす結果に終わったのである。
もちろん、「イスラーム国」だけでなく世界中のイスラーム過激派は、彼らなりに世間の関心や支持をひきつけるための活動に全力で取り組んだはずだ。しかし、そんな努力も、同時期の世界情勢、中東情勢を前にすっかり埋没してしまったようだ。例えば、イスラーム過激派のプロパガンダを大々的に拡散してくれるはずのアラビア語の主要報道機関は、5月末にマッカで立て続けに開催されたアラブ連盟、GCC(湾岸協力会議)、OIC(イスラーム諸国会議機構)に時間や紙面を割き、イスラーム過激派にもシリアでの戦闘にも、まさに見向きもしなかった。出資者や権力者に迎合する報道がいいとは言わないが、イスラーム過激派の盛衰と報道機関の動きが連動していることは是非意識してほしい。
今後の展望
これから先も、イスラームの宗教的な行事も、「テロ」の口実や対象になるような政治・経済・社会的なできごともそうだと思って見ていればいたるところにあふれている。また、2016年のバングラデシュでの襲撃事件の重要容疑者とされる日本国籍に有名私大元教員の例を待つまでもなく、いろいろな意味でイスラーム過激派に甘い日本を足場に、別のどこかの作戦の広報・兵站支援をしている者がいることも否定できないだろう。「イスラーム国」やアル=カーイダが増長した原因が、実は彼らが攻撃を起こした国や地域にだけあるというのは誤りである。自国やその権益が直接攻撃されるまで足元にあったイスラーム過激派の活動しやすい環境を放置した、或いは紛争地への戦闘員の送り込みを放任した諸国にこそ、顧みるべき点が多い。今期の断食月の「戦果」から明らかなように、「イスラーム国」は今や「拡散・発展」ではなく「衰退・滅亡・後片付け」の段階にある。散らかした当事者にしっかり「後片付けさせる」が何よりの対策となる。