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巨人ドラフト3位/佐々木俊輔[日立製作所]の転機とは?

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

 左打席の佐々木俊輔。失礼ながら、ややがに股だ。

「大塚(直人・日立製作所のベテラン)さんから"さんざんだったな"といわれたんです。自分でも、納得できる結果じゃなかったので、そこから下半身をうまく使えるようにいろいろ試したんです。その結果が、あのフォームになりました」

 社会人1年目の昨年。東京スポニチ大会はコロナ感染で出遅れ、「同じルーキーの東(怜央)が活躍して焦った」が、和久井勇人監督から「打席での積極性と、第1打席での出塁率」を評価され、1年目から一番に定着した。だが都市対抗(対日本新薬)では、1打席目に内野安打こそあったもの、あとは三振2つと外野フライ。自分がもどかしかった。

 なにかを変えなくては、と一念発起し、大塚の助言で構えからバットの出し方まで変えた。そこで「どっしり構えられる」がに股にたどり着いたのだ。すると、日本選手権のJR九州戦ではバックスクリーンにホームラン。確かな手応えと自信を得た。

 2年目の今季は、体重が82キロと入社時から10キロ増。俊足巧打に加え、パワーがついて長打力もアップしている。

 帝京高時代、甲子園出場はない。だが東洋大では、入学してすぐのリーグ開幕戦から出場機会を得た。秋は壁にぶち当たったが、2年になればふたたび「出られるだろう」と安易に考えていた。

自分の練習量が恥ずかしい

「そこに、1学年下で松本(渉・龍谷大平安高出、現日本生命)が入ってきたんです。自分と似たタイプの、左打ちの外野手ですね」

 その松本が練習する姿や考え方を見て、佐々木は目を丸くした。まず、バットを振る数がケタ外れだ。疲れているはずなのに、録画した動画を入念に見直すことも手を抜かない。リーグ戦が始まると、スタメンは自分ではなく松本。だから、定位置をとるつもりの2年時、佐々木は春秋通じて途中出場が6試合あるだけだ。

「松本はとにかく、自分がやってきた練習量が恥ずかしくなるくらい練習をするんです。そこからはアイツと一緒に練習し、動画を見るようになりました。あれが転機だったかもしれません」

 それまでなら、全体練習終了後にティーを打って終わっていたのが、夕食後にも必ずグラウンドに出るようになった。「部屋でのんびりするくらいなら」と、筋トレにも汗を流した。3年春はコロナ禍でリーグ戦が中止になったが、「転機」から開花したのは3年秋だ。フル出場し、.333という打率でリーグ3位に入っている。

 逆方向にも打球が伸びるのが佐々木の特長だ。「帝京のグラウンドはライトが狭く、それで自然と逆方向に打つようになったのかも」と佐々木は笑うが、もっと出塁率を上げたいという。

「1打席目はなにも考えずに初球から打てるんですが、なまじヒットを打つと、2打席目以降はつい配球を考えすぎちゃって。甘い球を見逃して悔やむくらいなら、考えないほうがいいかもしれませんね」

 目を覚ましてくれた松本より一足先に、プロの世界に飛び込む。

ささき・しゅんすけ○1999年11月6日生まれ○外野手○右投左打○東京都出身○帝京高—東洋大○174センチ82キロ

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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