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ドラフト候補カタログ【2】水野匡貴(ヤマハ)

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

「持ち味は球の強さ。また、まっすぐもですがフォーク、カーブ、スライダー、ツーシームという変化球も、思い切って腕を振ります」

 ヤマハに入社した2018年。自らの特徴を明確に自覚しているのだろう、水野匡貴ははきはきと答えた。

 藤枝明誠シニア時代は、南関東選抜として台湾遠征を経験した大器。静岡高に進むと1年秋からベンチ入りし、2年時には先輩エースと二枚看板のはずだった。だが5月に左足首を骨折し、夏を棒に振ることに。ただその間、とくに体幹などをみっちり鍛えるとフォームに安定感が増し、「タマ自体が変わりました」。故障をバネに、春の東海大会出場に結びつけている。

 明治大では1年秋からマウンドに立ち、本格化したのが4年秋。2回戦の先発として3勝(通算7勝)すると、防御率も4位に入っている。水野によると、「プロを目ざすには大学3年がめどと思いましたが結果が出ず、社会人という選択肢を考えました」。それが、小学生時代に試合を見た記憶のあるヤマハへの入社につながった。入社前には、「東京ドームで、NTT東日本とトヨタ自動車の一戦を見ました。都市対抗のレベルの高さを感じましたね」。

社会人投手唯一のU23代表を経験

 昨年のヤマハは都市対抗出場を逃したが、水野自身はチーム最多の公式戦53回3分の2を投げて防御率1.17を記録。U23ワールドカップの日本代表に社会人からはただ一人選ばれ、貴重な経験も積んだ。

「外国人選手はスイングが力強いし、外角でも少し甘いと軽々と逆方向へ持っていかれる。レベルの高さを肌で感じました。ただ、プロの投手からトレーニングの意識や知識を聞いたのは、オフに参考になりました」

 大学時代から、体重が増えないことが悩みだったが、ウエイトに力を入れ、食生活を改善することで体つきも明らかに変わった。周囲からは、「球の強さが増したといわれます」。伸びのあるストレートは、最速148キロに達する。今季チームは都市対抗に出場も近藤卓也、静岡高の後輩である池谷蒼大らの成長もあって、なかなか登板機会に恵まれていない。ただ大学時代には、「プロ入りへのめど」とした3年ではなく、4年時から結果を残して社会人入りしたのだ。決して、まだ遅くはない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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