西日本の遅い梅雨入り 少雨と言っていると豪雨の例も
令和元年の梅雨入り
令和元年(2019年)最初の梅雨入りは、5月14日に奄美地方から始まりました。
その後、沖縄、九州南部が梅雨入りし、6月7日には東日本から東北南部まで梅雨入りしました。
しかし、九州南部を除く西日本は、まだ梅雨入りをしていません(表1)。
オホーツク海に高気圧がようやくでき、日本付近に冷たくて湿った空気を南下させたのは数日前からで、現在はオホーツク海高気圧が弱まり、日本列島を大陸育ちの乾いた高気圧が通過中です(図1)。
梅雨前線は、日本を通過中の高気圧に押されて大きく南下しています。
東日本は、曇りや雨の日が続いているといっても、梅雨前線の雨ではなく、上空に寒気が入ったために大気が不安定となり、対流活動が活発になったことで降っている雨で、長続きしません。
また、沖縄県の西端にある先島諸島では、梅雨前線が停滞しているため、雷を伴った雨が続いていますが、沖縄本島では梅雨前線から少し離れますので、同じ沖縄県でも晴れ間が多くなっています。
西日本の梅雨
各地の10日間予報を見ると、6月14日~15日に本州南岸を低気圧が通過することで雨が降りますが、その後は晴れの日が続く予報です(図2)。
このため、6月14日~15日の段階では梅雨入りにならない可能性があります。
となると、西日本の梅雨入りは6月20日以降ということになります。
近畿などで梅雨入りが特定できなかった年が、過去に一回だけあります。
それは、昭和38年(1963年)の近畿と四国です。
この年は、春先から初夏のような晴天が続き、7月中旬に大雨が降り、まもなく真夏の天気になったため、近畿と四国は「梅雨入りは特定できない」ものの、「梅雨明けは7月13日」となりました。
いつ梅雨に入ったのかわかりませんが、梅雨が明けたのは7月13日ということです。
昭和38年(1963年)を除くと、梅雨入りが遅かったのは昭和42年(1967年)です(表2)。
昭和42年(1967年)も、春先から初夏のような晴天が続き、7月上旬に大雨が降り、まもなく真夏の天気となって7月13日に梅雨明けとなりました。
「昭和42年7月豪雨」
昭和42年(1967年)7月上旬(7日~10日)の大雨は、「昭和42年7月豪雨」と、気象庁が命名するほど大きなものでした。
本州の南岸に停滞していた梅雨前線に、台風第7号から変わった熱帯低気圧から暖湿気流が流れ込み、長崎県佐世保市、広島県呉市、兵庫県神戸市では、8~9日の2日間で300ミリを超える雨が降っています(図3)。
佐世保、呉、神戸といった、背後に山地がある都市部で大雨となったため、土砂崩れや鉄砲水が多発し、人的被害や土木関係の被害が非常に多くなりました。
全国の死者・行方不明者369名、住家全・半壊約2300棟、浸水家屋約30万1400棟という甚大なものでした。
気になるデータ
気になるデータもあります。
昭和42年(1967年)の大雨だけではありません。
今年は、45年ぶりに東北が近畿より先に梅雨入りをしましたが、その45年前の昭和49年(1974年)も夏は不順な天気でした。
そして、現在、東部赤道域の海面水温が平年より高くなる「エルニーニョ現象」が発生しています(図4)。
エルニーニョ現象が発生すると、西太平洋熱帯域の海面水温が低下し、西太平洋熱帯域で積乱雲の活動が不活発となり、このため日本付近の夏は、太平洋高気圧の張り出しが弱くなり、気温が低く、日照時間が少なくなる傾向があります(図5)。
また、西日本日本海側では降水量が多くなる傾向があります。
西日本各地は、梅雨入りが遅れたことにより、水不足となっています。
このため、渇水対策が重要になっていますが、自然はどこかでバランスをとる傾向があります。
雨が少ない期間があると、それを補うかのように雨が多い期間がありますので、油断できません。
今年の梅雨は、最新の気象情報に注意が必要です。
図1、図3、図4、図5、表1の出典:気象庁ホームページ。
図2の出典:ウェザーマップ提供。
表2の出典:気象庁ホームページをもとに著者作成。