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【久住昌之に聞く!】権威もウンチクもいらない『孤独のグルメ』の“アンチグルメ”のテーゼ

ボブ内藤編集者、ライター、インタビュアー
撮影/八木虎造

漫画からはじまって、ドラマ、そして映画と、形を変えて私たちを楽しませ続けている『孤独のグルメ』。連載開始から今年で30周年をむかえ、今なお盛りあがっている超人気コンテンツである。

その原作者である久住昌之さんは、現代の日本人に新たな食の概念を提案した立役者と言えるだろう。

この記事では、この作品が生まれたいきさつと、その反響について、語っていただこう。

『孤独のグルメ』は、アンチグルメのマンガだった

『孤独のグルメ』は、今からちょうど30年前の1994年、扶桑社の「月刊PANJA」で連載が開始された。どんなきっかけで企画が生まれたのだろう?

「ある日突然、編集者から電話があり、『食べ物がらみのマンガ原作を書いてほしい』って頼まれたんです。

1994年っていうのは、まだバブルの残り香みたいなものがあるころで、山本益博さんたちが火をつけたグルメブームというのが世の中にあって、ミシュラン店だとかの高級な店の料理をウンチクを傾けながら食べる風潮があって、その編集者はそういうのにアンチテーゼというか『こういうのもあるんだ!』と言いたかったんでしょうね。どこにでもあるような定食屋やラーメン屋を舞台にした久住さんらしいのを描いて欲しい、と。

僕は高級店の料理なんか、ハナから興味がなかったからそういう企画ならできそうだなと思って引き受けることにしました」

作画担当の候補者に谷口ジロー氏の名があがったのは、何回目の打ち合わせだったかはよく覚えていないそうだが、依頼された谷口さんは「なんでオレが?」と、首をかしげていたという。

「というのも、谷口さんは幕の内弁当をどんな順番で食べたらうまいかってことを、ただひたすら書いただけの僕のデビュー作『夜行』(作画は和泉晴紀氏でコンビ名は「泉昌之」)が収録された単行本『かっこいいスキヤキ』(扶桑社)を仕事場でアシスタントたちと読んで、ゲラゲラ笑ってたんだって。だから、谷口さんにしてみれば、『普通に和泉さんとやればいいんじゃないか』と思ってたみたいなんだよね」

実際、第1話と第2話を描いたところでも谷口氏自身、手探り状態で、ようやく第3話の「東京都台東区浅草の豆かん」で感じがつかめるようになったという。井之頭五郎が甘味屋で豆かんを食べて「うん! これはうまい」と言うシーンである。

「僕もその原稿を初めて見たとき、白黒で描かれた原稿なのにもかかわらず、豆かんの隣に置かれたお茶が、うっすらと緑に見えて驚きました。僕もうれしくなって、『次は谷口さんに何を描いてもらおう』って、わくわくしながらアイデアを考えるようになった」

「おもしろいことを手を抜かないで淡々とやれ」という赤瀬川原平の教え

谷口ジロー氏とのコンビネーションに手応えを感じた久住さんだったが、連載中は1話、1話が手探りの連続だったという。

「『この漫画はウケるぞ』みたいな手応えはずっとなかったですね。アンチグルメの企画なんだから、おいしいという評判のお店に行くわけじゃない。行ったことのない町や、行ってみたい町を最初にピックアップして、そこに行って、店探しから始めて食事をしてくるだけだからね。最初から最後までずっと、手探り状態なわけです。

五郎の気持ちになるためにお腹をすかして行くんだけど、僕は五郎のように大食漢ではないから店選びも真剣になります。お話にできそうにない店に行っちゃうと、もう一食、どこかで食べなくちゃならなくなるからね」

このとき、頼りになったのは19歳のとき、美學校に通ったころに師事した赤瀬川原平氏の教えだった。

「僕が美學校で赤瀬川さんから学んだのは、『おもしろいことは、はしゃがず淡々と丁寧に形にしたほうがおもしろい』ってこと。

赤瀬川さんは、はしゃぐのがキラいな人で、『自分がおもしろいと思ってることは、手を抜かないで、淡々としっかりやったほうがおもしろい』って言っていて、それは66歳になった今に至るまで、僕の表現活動すべてのポリシーになってます」

イタリア人にも伝わる「高崎の焼きまんじゅう」のうまさ

『孤独のグルメ』はこうして、18話分の作品を収録した単行本が1997年10月に発売になったが、意外なことに、それほど大きな話題にはならなかったという。

「それは僕自身も、まぁ、こんな感じかなぁ、と思っていました。はっきり言って超地味な漫画だしね。デビューからなんかすぐ売れたものなんてないし。

ただ、その後、2000年2月に文庫版にしてもらえたんです。それが意外にも半年おきに3000部、規則正しく増刷されていって、それが3年くらい続いたころ、インターネットで若者たちが本を手にしながらモデル店を探り当て『五郎ちゃんごっこ』をしてブログに投稿するような動きが起こっていったらしいんです」

ドラマのほうでも、作品に登場したお店を訪問する「巡礼」ブームが起こったが、そのムーブメントは単行本のころからあったのである。

さらに驚くべきことは、『孤独のグルメ』がフランス、イタリア、スペイン、ドイツ、ブラジル、デンマーク、韓国、中国、台湾、ポーランドで翻訳出版され、グローバル化したことだろう。

「最初に話があったのがフランスとイタリアで、『外国人が読んで、わかるのかな?』って、思いましたね。

外国人には見たこともない食べ物も多いし、おまけに日本の漫画はモノクロだから、おいしさなんて伝わるわけがないと思って。

だけど、しばらくしてイタリア人の彼氏がいる日本人の女性と会う機会があって、『彼がこの漫画をすごく面白がってて、高崎市の焼きまんじゅう、おいしそうで食べてみたいって言ってました』と聞いて、なんかハッとしました」

『孤独のグルメ』(扶桑社)より
『孤独のグルメ』(扶桑社)より

実は久住さん自身、イタリア人の彼と同じような経験をしたことに思いあたったという。

「ホラ、子どものころ、白黒のテレビで見た西部劇で、ガンマンが酒場に入って、『何か食い物出せ』って言って、粗末な器にスプーンを突っ込んで食べるシーンがあったでしょ? それがすごくおいしそうに見えたので母親に聞くと『豆でも煮たもんじゃないの』って言われて、そういうもんかって思ったんだけど、今思えばあれ、チリコンカンなんだよね。食べる人がおいしそうに食べてれば、それが白黒のテレビの画面であってもおいしそうに見えるんだ。それは眼から鱗で、谷口さんの画力を再認識しましたね」

ちなみに中国、台湾ではドラマも人気を博しているというが、久住さんが台湾を訪ねたとき、駅の改札の人に「久住さん」と呼びかけられてビックリしたそうだ。

『孤独のグルメ』の魅力は国境を越えて、世界に広がっているのだ。

※この記事は、かっこよく年を重ねたい人におくるWEBマガジン「キネヅカ」に公開された記事を加筆・修正したものです。是非、そちらの全長版もお楽しみください。

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編集者、ライター、インタビュアー

編集プロダクション方南ぐみを経て2009年にフリーに。1990年より30年間で1500を超える企業を取材。財界人、有名人、芸能人にも連載を通じて2000人強にインタビューしている。著書に『ビジネス界に脈々と伝わる先人の知恵 業界のセオリー』(徳間書店)、『人を集める技術!』(毎日新聞社)、『はじめての輪行』(洋泉社)などがある。また、出版社の依頼で賞金500万円の小説新人賞の選考事務局を起ちあげ、10年間運営した経験のもと、齋藤とみたか名義で『懸賞小説神髄』(洋泉社)を執筆。それをきっかけに、池袋コミュニティカレッジ「小説のコツ」の講師を2013~2023年の10年間つとめた。

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