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追悼 ボクシングを愛した男 安部譲二

林壮一ノンフィクションライター/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
Holyfiled×Tyson2の記者会見。安部譲二さんと肩を並べて取材した。(写真:ロイター/アフロ)

 9月2日、『塀の中の懲りない面々』等で知られる安部譲二さんが急性肺炎で亡くなった。享年82。

 いつも明るく、ユーモアに溢れ、周囲を笑顔にした。豪快で好漢。そして、ボクシングを心から愛した人だった。

撮影:著者
撮影:著者

 私と安部さんの邂逅は、1997年6月のことだ。イベンダー・ホリフィールドvs.マイク・タイソンIIの取材をするためにラスベガスに来られた。あの、タイソンがホリフィールドの耳を食いちぎった一戦である。

撮影:著者
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 私はいくつかの雑誌でこのファイトを記事にすることになっていた。アメリカで暮らし始めて1年弱。2度目の大学生をやりながら、本場のボクシング界で人脈を築き始めた頃だ。安部さんのプレスパス申請を手伝い、現場ではお互いに記者として行動を共にした。

 

 安部さんがラスベガスのホテルにチェックインした時間に挨拶の電話をかけると、直ぐにボクシング談議になった。8カ月前にタイソンがホリフィールドにKOされた試合については「ケビン・ルーニーを解雇してしまったことがタイソンを狂わせたのだ」と意見が一致した。

 この時の会話で、小躍りするほど嬉しかったのが、私が最初に書いた署名原稿を覚えていて下さったことだ。プロの世界チャンプに関する記事ではない。日本国籍を持たない高校生ボクサーがインターハイで闘うといった地味なリポートだった。安部さんは、ボクシングの隅々にまで気を配っていらっしゃった。

 好カードの記者会見場は席の取り合いになる。私が席を確保するために、ガムテープを30センチくらい切り、黒いマジックで「Reserved by ABE」「Reserved by Soichi」と書いて最前列の椅子に貼り付けると、安部さんは「こういうのって、小説のネタになるよ」と爆笑した。

 <耳噛み事件>で失格負けを喫したタイソンについて安部さんは「恐怖心がああさせたのだ」「タイソンは怖くて仕方なかったんだよ」と述べた。

1997年、安部譲二さんと若き著者
1997年、安部譲二さんと若き著者

 

 私が10年を費やし『マイノリティーの拳』を書き上げた折には、固い握手をしてくれた。その際、安部さんは言ったのだ。

 「アイラン・バークレーの住むプロジェクト・アパートを訪ね、彼が真っ暗な部屋で裸電球をソケットに差し込む箇所を書いていた時、お前さんは泣いていただろう?」

 そして、続けた。

 「文章ってのは、そういう取材を重ねて書かなきゃいけない。涙が止まらなくなるくらいの思いで書くからこそ、血が通うんだ」

 ここ数年、私は魂が震えるような取材から遠ざかっていた気がする。今、安部さんの言葉を噛み締めている。

 もう一度、アメリカで一緒にBIG MATCHを観戦したかった。ボクシングの話がしたかったーーーー合掌。

ノンフィクションライター/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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