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サッカー女子W杯、過去最高賞金と待遇改善実現の裏側にあった日本人職員の奮闘とFIFA

松原渓スポーツジャーナリスト
前回大会から賞金が3倍以上の増額に(写真:ロイター/アフロ)

【過去最高の賞金額と待遇面の改善が実現された今大会】

 ニュージーランドとオーストラリアの共催で7月20日に開幕するFIFA 女子ワールドカップ(W杯)は、女子スポーツ全体の歴史の転換点になるかもしれない。

 今年3月、FIFA(国際サッカー連盟)はW杯の条件面で男女格差を解消していく方向性を明らかにし、7月に行われる女子W杯の賞金総額を1億1000万ドル(約158億円)にすると発表した。前回2019年大会(3000万ドル)に比べて3倍超となる金額だ。優勝チームは429万ドル(約6億2000万円)を獲得し、グループステージ敗退でも156万ドル(約2億2000万円)を得ることができるようになった。27年の次回大会では男子と同額を目指すことも宣言されたが、昨年の男子W杯カタール大会の賞金総額は実に4億4000万ドルだ。

 さらに今大会から選手個人への分配金も明示され、優勝した場合は23人の全登録選手に27万ドル(約3900万円)が配られることに。準優勝の場合は1人19万5000ドル(約2800万円)で、グループステージ敗退でも各選手が3万ドル(約430万円)。全世界の女子プロサッカー選手の平均年俸が1万4000ドル(約200万円)であることを考慮すれば、非常に大きな金額だ。

 ちなみに、2011年ドイツ大会でなでしこジャパンが世界一になった際、日本の選手たちが受け取った報奨金は1人650万円。準優勝だったカナダ大会では300万円だった。

 改善があったのは賞金額だけではない。前回大会までは選手とチームスタッフを含めて最大35人までだった帯同者数が、男子W杯と同じ50人まで拡大。宿泊施設では全員が1人部屋を選択できるようになった。

 このようにFIFAが今回のW杯で賞金分配および条件面での大幅な改革を敢行したのは、各国の選手たちの声をまとめFIFAと交渉を重ねたFIFPRO(国際プロサッカー選手会)の尽力があってこそだ。

【FIFPRO本部で唯一のアジア人職員が、FIFAとの交渉で感じたこと】

 6万5000人以上の選手たちをサポートするFIFPRO は、各国の選手会を通じて代表選手たちから丁寧にヒアリングを行い、男女のW杯の条件の違いを2年間かけて比較。その上で、FIFAに待遇改善を要求するレターを提出した。150名以上の代表選手たちが署名したその強力なレターの効力もあり、FIFAは訴えに耳を傾けざるを得なくなったのだ。

 そんなFIFPROの本部で、唯一のアジア人職員として働くのが、日本人の辻翔子さんだ。普段から4カ国語を操って各国の代表選手とミーティングを重ねつつ、今回の交渉も最前線で見守ってきた辻さんに、詳しく話を伺った。

辻翔子さん(写真:辻さん提供)
辻翔子さん(写真:辻さん提供)

■人物紹介:辻翔子さん

早稲田大学ア式蹴球部女子部で選手として活躍後、スペインのマドリードの大学院に留学し、スポーツジャーナリズムを専攻。そのまま現地の会社に就職し、リーガ・エスパニョーラの取材や中継を担当した後、FIFAマスターを修了。2022年2月にFIFPROに加入。

――賞金格差の是正に向けてのFIFPROの主な活動について教えてください。

辻:世界中でウーマンエンパワーメントの動きが活発になり、アメリカだけでなくアイルランドやノルウェー、オーストラリアなどでも代表チームのイコール・ペイ(男女賃金平等)を実現していた流れの中、FIFPROが各国代表選手たちとミーティングを行った上で、FIFAと交渉することになりました。

私はFIFPROの中で各国選手会や選手との渉外を担当する部署に所属し、各国の男女代表選手たちと主にやりとりをしていますが、今回のFIFAとの交渉でもその選手たちが中心的な役割を担ってくれました。彼女たちは代表のチームメートに状況を説明して署名を集めてくれたり、「FIFAにここを強く主張したい」というフィードバックをくれたりしました。

各国代表選手たちとミーティングを重ねてきた(写真:辻さん提供)
各国代表選手たちとミーティングを重ねてきた(写真:辻さん提供)

――FIFPROからFIFAにはどのようなことを要求したのですか?

最終的には

・男女のW杯でレギュレーションや環境などの条件を平等にすること

・平等な賞金額を実現するための道筋を作ること

・全選手に賞金の一定の割合が入るよう保証されること

の3つです。

――その3つを要求する根拠として、男女のW杯の条件の違いを2年間かけて比較したそうですが、そこは相当な差があったのですか?

辻:はい。FIFAは男女平等をサポートすることを公言していたのですが、実現できていない状況でした。賞金の差は、「男子サッカーの方が多くの収益を生み出しているからではないか」と思うかもしれませんが、そもそもの投資されている額に大きな違いがあります。また、男女の賞金の差や大会ごとの増額率に明確な根拠はなく、FIFAもなんとなく定めた額だと話し合いを重ねる中で認めました。だからこそ、男女の差を比べて表で示すのが一番早いと思い、各国選手団の規模、宿泊施設などの環境や賞金の差を調べ、男女の条件の差を比較した表を作成しました。

FIFPROが発表した男女のW杯における条件面の比較(写真:辻さん提供)
FIFPROが発表した男女のW杯における条件面の比較(写真:辻さん提供)

――賞金面の改善に注目が集まりましたが、宿泊施設などの条件面でもかなりの差があったのですね。交渉はスムーズに進んだのですか?

辻:部屋については、「2人部屋を求めている国もある」とFIFAからプッシュバックがありました。ただ、各国の選手からは、「少なくともシングルルームを全選手分確保した上で、1人がいいのか2人がいいのかは個人が選べるようにしてほしい」とフィードバックをもらったので、FIFAに伝えて理解してもらいました。ルームシェアによるメンタルヘルスへの影響や子連れの選手の増加を考えると当然の決断だと思います。スタッフの帯同人数についても、FIFAは「国によっては50人の枠を満たせない国もある」と。それを「上に合わせて50人までOKとしてください」と交渉して、受け入れてもらいました。

――今回発表された選手個人への分配金は、要求と合致していましたか?

辻:少なくとも(チームの賞金の)30%が分配されるように要求しましたが、グループステージ以降はさらに増えて、平均すると46%ぐらいになります。それは私たちが求めていたもの以上で、聞いた時はみんなで喜び合いました。強力な選手会および労使協定に守られている選手たちはこれまでも賞金の一部をもらっていましたが、W杯に出場する選手の大半は協会から一銭ももらっていなかったので、これは私たちにとって大きな勝利でした。

なでしこジャパン主将の熊谷紗希(右から2番目)も今回の署名にサインした(写真:辻さん提供)
なでしこジャパン主将の熊谷紗希(右から2番目)も今回の署名にサインした(写真:辻さん提供)

【日本でW杯を見ることはできない可能性もあった放映権料問題】

 男女間格差の解消に関する今回の歴史的な決定の一方、日本国内に限れば大会のテレビ中継が、開会直前の7月13日まで決まらないという大きな問題があった。

 原因はシンプルに放映権の高騰だった。これまでのW杯の放映権は男女セットで売られていたが、今大会から放映権が男女で分かれて販売されるようになったことも大きい。

 昨年の男子W杯カタール大会の放映権料は350億円とも言われるほど高騰し、最終的にはAbemaとNHK、フジテレビとテレビ朝日が資金を分担する形で購入していた。

 ただ、アメリカや韓国は今回の女子W杯の放映権についてFIFAと昨年末に既に合意しており、ヨーロッパもEBU(欧州放送連合)が6月中旬に契約合意に至った。7月5日にFIFAが発表した時点では、大会参加国中、放映が決まっていないのは、フィリピン、ハイチ、そして日本の3カ国のみだった。

 JFA(日本サッカー連盟)は6月末にクラウドファンディングで資金を集めることを発表し、NHKも交渉を続ける等していたが、開幕目前にして中継が決まっていない状況に、女子サッカー人気の凋落を危ぶむ声も多かった。

 なでしこジャパンのキャプテン、DF熊谷紗希は放映が決定したことについて、「選手としても大きなモチベーションになりますし、感謝しています。責任を持ってピッチで思い切りプレーしたいと思います」と意欲をみなぎらせていた。

 FIFAのインファンティーノ会長はこの問題に対し、放映権料が女子サッカーの労働条件や資金の平等に向けたアクションに活用されることを前提とし、放映権を出し渋る放送局側を批判する姿勢をとってきた。

FIFAのジャンニ・インファンティーノ会長
FIFAのジャンニ・インファンティーノ会長写真:ロイター/アフロ

 ただしFIFAは、これまでも女子サッカーを拡大する戦略を打ち出して「男女平等」を謳ってきたし、サッカー界のイコール・ペイの動きは2016年ごろから拡大していたにもかかわらず、昨年FIFPROから指摘されるまで、アクションは限定的だった。W杯の放映権料が多くの収益を生んでいるが、アメリカの4大スポーツのように、公式スポンサーを増やす、マーケティングの手法を工夫するなどの努力も必要だろう。

 実際、FIFAの収益自体は順調に拡大している。カタールW杯では75億ドル以上の収益を得たと公表されており、昨年12月にFIFAの理事会で提出された次の2026年大会の総収益も、110億ドルと見積もっているという。

 FIFAはその収益の大半を世界でのサッカー普及活動費用に充てることを公言しているが、それならば女子サッカーの普及の足枷になりかねない高額な放映権料は、もっと引き下げて然るべきではないだろうか。

 しかしFIFAは、FIFPROとの交渉過程でも放映権の更なる高騰化に向けた動きを話していたという。

「FIFPROが今回の要求を出したのも、FIFA総会でカタールW杯の収益が発表され、FIFAには問題なく出せる金額の範囲だとわかっていたからです。交渉の過程では、逆にFIFAから『選手たちの力を使って(まだ放映権を購入していない)放送局にプレッシャーをかけるのを手伝ってほしい』と言われました。ただ、今回のFIFPROのアクションは、放映権料とはまったく別の問題だと考えており、そもそもFIFPROや選手は放映権販売のプロセスに全く関与していないので、そこは一線を引きました」(辻さん)

 そもそも、女子サッカーへの投資が“バブル”状態になっている欧米と、2011年のW杯優勝実績を持つとはいえプロリーグも産声を上げたばかりの日本とでは、女子サッカーの市場価値が違う。FIFAには国ごとの格差にも目を向けて、環境整備や普及に力を入れてもらいたいものだ。

 その意味でも、FIFPROへの期待は大きい。辻さんは言う。

「今回のW杯の件は、まだ終わっていません。お金はまず各国のサッカー協会に行くので、そこで止まらず選手に分配されるように、『必ずこれぐらいは入金されるはずだから』と、各選手会に伝えています。すでにいろんな選手から『協会が違うことを言っているんだけど』という連絡をもらっているので、まだまだ油断はできません。この件が無事に終わったら、各大陸連盟とも賃金や環境面について話をしていく予定です。アジアの大会などで改善の余地はまだあるので、グローバルからそれぞれの地域に働きかけていきたいと思っています」

【リターンは投資があってこそ。今回の分配金を適切に活用するために】

アメリカは米代表主将のメーガン・ラピノーを筆頭に、賃金格差解消の運動を続けた
アメリカは米代表主将のメーガン・ラピノーを筆頭に、賃金格差解消の運動を続けた写真:ロイター/アフロ

 今回の件に先立ち、実績やビジネスの収益規模において男子代表を上回るアメリカ女子代表は、男子と同様の報酬や待遇を求めて2019年3月に集団訴訟を起こしていた。そして2022年2月、アメリカ・サッカー連盟(USSF)は、同一賃金や、トレーニング環境、移動手段などの男女格差をなくすこと、2400万ドルの和解金を支払うことで合意している。

 一方日本では男女の代表チーム間の集客力や収益面には明らかな開きがあり、賃金や待遇格差を問題視する声はほとんど上がらない。

 だが、FIFPROの調査で示されたように、そもそも男女の投資額に開きがあることは見逃されがちだ。投資はプロモーションや強化、サポート体制の充実に繋がり、国内リーグのあり方にも影響する。投資がなければリターンが限られるのは当然だ。

 6月末に行われたオンライン会見で、FIFPROアジア・オセアニア支部代表の山崎卓也氏がアメリカのスポーツビジネスの成功を例に挙げ、こう話していた。

「アメリカの4大スポーツは選手会を中心に選手の最低年俸や最低条件が整備され、ビジネスにあたって経営側は一定のコストがかかることを認識して、お金を生む努力をすることでビジネスとして発展してきました。鶏が先か、卵が先かというような話ですが、選手に負担を強いる構造が続く限りは『コスト内でやればいい』という考えが定着し、経営側は努力をしなくなる。女子サッカーは儲からないという先入観から、コストを下げる方向に話がいってしまう。それを続けるともっと儲けにくくなると強調したいですね」

 今大会で各チームへの分配金が増えることは、JFAが女子サッカーへの投資を促進する理由になる。日本の現状を見る限り、その変化こそ必要なもののように思う。

 女子サッカー選手の待遇の大幅な向上や改善が、今回のW杯にどのような影響を及ぼすのか。なでしこジャパンが逆境をどのように覆すのかとあわせ、しっかりと現地で見届けたい。

(1ドル=144円で計算)

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

スポーツジャーナリスト

女子サッカーの最前線で取材し、国内のWEリーグはもちろん、なでしこジャパンが出場するワールドカップやオリンピック、海外遠征などにも精力的に足を運ぶ。自身も小学校からサッカー選手としてプレーした経験を活かして執筆活動を行い、様々な媒体に寄稿している。お仕事のご依頼やお問い合わせはkeichannnel0825@gmail.comまでお願いします。

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