「大松遺産」―大松尚逸先輩が福井ミラクルエレファンツに遺してくれた、たいせつなもの
■福井ミラクルエレファンツに遺した「大松遺産」
「世界遺産」―。
畏敬の念を、そして愛を込めてファンからこう称される。そんな選手は後にも先にもいないだろう。
先日、引退を発表した大松尚逸選手である。
千葉ロッテマリーンズで12年、東京ヤクルトスワローズで2年。主砲として、また代打の切り札として、その形を変えながら野球ファンの脳裏に鮮烈な記憶を刻み続けた。
その大松選手が最後に袖を通したのが福井ミラクルエレファンツ(BCリーグ)のユニフォームだ。日本国内の独立リーグである。
生まれ故郷の金沢からもほど近い福井の地で、大松選手はそれこそ「遺産」と呼べるものを若い選手たちに遺してくれた。NPBを目指して奮闘する選手たちにとって、それらはすべて金言であり財産となった。
それぞれが受け継いだ貴重な「大松遺産」をここに公開する。
■石井建斗選手
もっとも熱心に教えてもらっていた石井建斗選手。
大松氏が入団すると知って、動画サイトなどでそのバッティングをじっくり見たという。
「テレビやYouTubeでNPBの選手のバッティングを見ると、だいたいスイングが大きいように見える。大振りっていうか。大松さんもそうだと思っていた」。
ところが、その練習を間近で見て驚いた。
「実際の練習ではすごく細かいこと、地道なことが多い。試合では派手な感じに見えるのに、練習では地味」。
見えないところでの、気が遠くなるようなコツコツとした練習の繰り返しが、いかにたいせつであるかに気づかされた。
「練習方法も言えないくらいたくさん教わった」と、その一端を明かしてくれた。たとえばバットだ。50cmほどの短いバットを使うことがあれば、ノックバットのような長いバットを使うこともある。また、チューブを使った練習も教わった。
「すべてノートに書いている。今もそれを見てやっている」。
あまりにも知らないことばかりだった。それを熱心に教えてくれた大松選手には感謝しかないという。
■須藤優太選手
石井選手とともに「一番目をかけてもらった」という須藤優太選手。
バッティングはもちろんのこと、守備についてもこれまでと違う意識を叩き込まれた。
「事前の準備が大事だと。打球が飛んできてからじゃ遅いから」。
自身はセンターに固定されていたが、両翼は日によって変わった。「オマエがしっかりしていないと外野はうまくいかない」と言われ、毎試合「こういう打球は捕れるのか捕れないのか」「捕りにくる意志があるのか」ということをその日の両翼と確認し合い、準備することが必須だと教わった。
「このフライはどっちがいくとか声かけしておけば、すぐにその体勢に入れる。ふたりとも追いかけて衝突したりお見合いしたりすることが一番ダメだから」。
左中間も右中間もどちらのプレーとも自身が関わる。大松氏が「センターは大事。能力があるからやらせてもらってるんだ。監督の期待の顕れだから」と言ってくれたことを励みに、意識を高めた。
「守備は技術うんぬんより、やれることをやる」との言葉を胸に、両翼との連携もどんどんよくなっていった。
ただ、「打つほうはなかなかうまくいかなくて…」と唇を噛む。
「あれだけ教えてもらったのに、結果を出さないと申し訳ない。ほんとに一生聞けないようなことをたくさん教えてもらった。お金に換えられない価値のあることばかり」。
言われていることは理解できても、それをうまく体現できない自分自身が歯がゆくてしかたなかった。
「最後に握手してお礼を言ったとき、『プロ目指して頑張れよ』って言ってもらった」。
この先の進路は迷うところだ。しかし「教えてもらったことをなんとか形にしたいし、このまま結果が出ないまま終わるのは申し訳ない」と、期待に応えたい方向で考えている。
■澤端侑選手
澤端侑選手は「同じ左バッターなんで、コースによっての打ち方とか、タイミングのとり方とかすごく教えてもらった」と振り返る。
シーズン当初は1番を打っていたこともあり、1番打者についても深く話してもらった。
「簡単にアウトにならないよう粘るということ、相手ピッチャーの球種とかをあとのバッターに伝えられるようにって。あとは出塁することが点につながるということも」。
当たり前のことといえばそうだが、大松選手に言われるとまた違う。澤端選手の意識は明らかに変わった。
「後期になって三振が減った。これまではボールを見てしまっていた。狙ったボールじゃないと見送っていた。でも大松さんには全部の球を打ちにいく姿勢を心がけるように言われて」。
つまり、それだけの準備をすることがたいせつだということだ。
ちなみに澤端選手の三振数は前期の45(試合数36)に対して、後期は32(試合数34)に減少した。
田中雅彦監督も「明らかに打席内容が変わった。凡打でも序盤とは全然違うし、打席の中で粘りが出てきた」と、その成長に目を見張る。
■工藤祐二朗選手
工藤祐二朗選手は「調子悪かったときに助言していただいた」と明かす。
「20打席くらいヒットが出なくて落ち込んでて…。そしたら『1球に対する執着がないように見える』って言われた。自分では執着していると思ってたけど」。
そして助言されたのが「自分の調子が悪くても相手ピッチャーは変わらない。自分の調子にとらわれたら自分との戦いになってしまう。自分の形ではなく、相手のボールと戦わないと」ということだった。
「前の足の壁が崩壊するから突っ込んでしまって、下半身でバットが振れない。だから変化球を追いかけてしまっている」という指摘を受け、「その時点で負けになっている」とも言われた。
「形は意識するけど、ボールに集中しろ」ということを強調され、本当に戦うべき相手を見誤るなと教わった。
「悪いときこそ自分を信じろ」―。
言ってもらった言葉のひとつひとつを自分の中に落とし込んで消化していった。「勉強の1年でした」と、すべてが肥やしになっている。
■寺田祐貴選手
寺田祐貴選手もつきっきりで教わった。最初はレギュラークラスからだと遠慮していたが、いざ順番が回ってくると、自分から貪欲に質問をしまくった。
自身の成長段階に合わせて、適切なアドバイスをもらった。目線のブレ、下半身の使い方といった基本的なところから始まり、バットの出し方など手とり足とり教わった。
「できない部分を的確に見て、『こうやってみな』と言ってくれる。それがダメだったら別のやり方をまた教えてくれる」。
まるで打ち出の小槌だ。手を変え品を変え、その選手にハマるものを次々に提示してくれる。
「後半、調子が落ちてスイングが小さくなっていた。そしたら『その状態じゃ逆方向にはいっても引っ張れないぞ』って言われて…。自分でも感じてたけど、大松さんにはすぐ気づかれる」。
だからついつい頼ってしまう。「大松さんのアドバイスは的確。自分だけじゃ、どうしてもズレがある」と。
しかしそれでは成長しないこともわかっている。
「大松さんがいないと打てないというのは嫌。自分で日々考えてやっていかないと。でも、大松さんの存在がどれだけデカいか…」。
淋しさも噛み締めながら、バットを振り込む。
■上下大地選手
高校卒業してすぐ、こんな出会いに恵まれた18歳ルーキーたちは、なんと幸運なことだろう。
上下大地選手は「高校のときは簡単に打てたボールが、こっち(BC)にきて全然打てなくなった。『それがなんでなのか考えてみろ』って言われたけど、答えがなかなか見つからなくて…」。
すると、大松氏からこんなアドバイスが授けられた。
「1年目からヒット打てとか、誰も期待してないぞ。それより自分のスイングがどれだけできるか、や」。
具体的には「バットを短く持ってセンター方向に」だった。そこで自分のスイングでのセンター返しを意識した。
「1球目からそれができるようにって言われて、それをやってたら…」。
なんと初本塁打が飛び出した。「打った瞬間、手応えがあった」と目尻を下げる。
このときも打席に向かう前にベンチから「センター返しで強い打球を打ってこいっ!」と送り出されていた。
「今は代打が多いし、いつ出るかわからない。『いつでもいける準備をすることが大事』というのも教わった。意識してできているときは結果も内容も悪くないけど、考えすぎたりして準備が疎かになってると結果も悪い」。
言われたことをこれからも実践できるよう、意識を保っていく。
■筒井翔也選手
筒井翔也選手はあの大きな背中から多くのことを学んだという。
「まだ試合経験も少ないので、どうしても(代走で)塁に出たり途中から守備に就いたりしたとき、落ち着いてプレーできないという悩みがあった。大松さんには『せっかくのチャンス。自分をアピールする場やぞ。それなりの準備が必要』って教わった」。
緊張しないためには練習するのみだと、その心構えを説かれた。
「練習から意識してやらないと試合ではできない。試合のつもりでやるのは難しいけど、試合前のバッティング練習で自分をどう鼓舞していけるか。練習のための練習じゃなく1球1球大事にしてきたって、大松さんはおっしゃっていた」。
すぐには同じようにできなくても、意識することで少しずつ変わってきたことを実感している。
■荒道好貴選手
ベテランとなった荒道好貴選手にとっても貴重な出会いだった。
試合中のベンチでもよく技術面の話をしていたそうだ。調子が上がらなかったころ、いつも上げていた足を「上げずに打ってみたら」と大松選手に言われた。
そこでほぼノーステップで軽く当てる感じで打ったら、それがなんと第1号ホームランになった。ダイヤモンドを1周してベンチに帰還したら、“師匠”は「あとで指導料500円な(笑)」と冗談で祝福してくれた。
「そのあともずっとノーステップでやってたけど、徐々によくなってきたので今はもう上げて打っている。それで強く振れるようになった。打てなくなったときの引き出しとして、自分の中に置いておきたい。大松さんは本当にすごい人。きっかけとか、その人に合ったものを教えてくれる」。
大松選手自身がコツコツとやるだけに、「大松さんがそれだけやってるなら、自分も」となるそうだ。心から尊敬できる人だから、そのすべてが刺さる。
■中村辰哉選手
中村辰哉選手はキャッチャーとしての視点を教わった。
「ピッチャーと勝負させるんじゃなく、キャッチャーと勝負させるようにって言われた」。そしてそれは自身の打撃にも役立つ。
バッティングでは「まず根本的なスイングの弱さを指摘された。強くしていきながら、かつ、クセを修正するための引き出しをたくさん教えてもらった」という。
練習の中でファーストゴロやセカンドゴロを打ってスイングの軌道を覚えることや、ランナーを進めるバッティングを体に覚え込ませることなどもそうだ。
「『こういうときは、こんな練習があるよ』って、とにかく引き出しが多彩」と感服している。
■濱田俊之投手
野手だけではない。ピッチャー陣もこぞって話を聞きにいった。
濱田俊之投手も「打者目線の話をしてくれる。あと、マウンドで気持ちが切れそうになったとき、落ち着くために振り返って旗を見るといいとか、メンタル的な話も多かった」と、積極的に会話した。
トレーニングについても尋ねると、すぐに動画を送ってくれたという。「こうしたいんですけど…」と言うと、それに合った動画をセレクトくれる。
「これまで自分の中で意識しているつもりでも、ちょっとしたところが違っていたり、練習に取り組む姿勢とかも勉強になった。投げ終えた次の日も聞きにいって、話をしてもらっていた」。
田中監督ともまた違った視点の“答え合わせ”ができていた。
もらったマリーンズ時代のユニフォームは、部屋にたいせつ飾っている。
■原田宥希投手
原田宥希投手も同じく打者目線の話が響いたそうだ。
「バッターがどういう攻め方をされたら嫌だとか話してもらっていた」。
また「力感ないフォームで球がピュッときたら、バッターは差される、と。打たれているときは“フォームなりの球”しか投げられていない。腕が振れるから振りにいくんじゃなくて、リリースのところだけ力を入れるようにしたい」と、フォームについても助言してもらった。
さらには「シーズンを通した中で前回はどんな抑え方をしたとか、バッターの頭にどんな球が残ってるかとか」という配球面の話も多かった。
特に言われたのは「セルフプロデュース」のたいせつさ。自分をどう見せるのか、スカウトにどうアピールするのか。それを言われてからは、意識するようにしている。
■清田亮一選手兼任コーチ
清田亮一選手兼任コーチは「人間力を上げさせてもらった」とうなずく。
誰よりも早く来て入念に準備することや練習に対する意識、自分の体の状態の把握、それに対しての最善の準備、結果を出すための過程や考え方…諸々のことが再認識できた。
「過程を大事にされているし、引き出しが多い。結果うんぬんより、どう準備して表現するか。それが学べた」。
大松選手から言われたのは「オマエは得た情報を行動にすることはできる。考え方、行動のしかたは今のままでいい。行動を起こしたときに、次どうするか。引き出しをどう使うか。1球のファウル、1球のスイングをどう考えてどう修正するか。いち早く自分の状態を感じることが大事」ということだ。
これまで取り組んできたことが間違っていなかったのだとわかり、嬉しかったという。
そしてコーチとしては選手たちに「教わったことを噛み砕けないといけない。大松さんがいなくでもできるように。今後に生かして成長してほしい」と、この稀有な体験を無駄にしないよう促す。
「出会えてよかった…すごくよかった」。
そう噛み締めるようにつぶやいた。
■「大松遺産」を磨き続けて輝かせる
技術、練習法、トレーニング法、準備の仕方、そして野球脳…自身の持つさまざまな引き出しを惜しみなく与えてくれた大松選手。
刻んできたその功績はもちろん素晴らしいが、それを後輩たちに伝授し、広く野球界に遺していこうとするその姿勢は賞賛に値する。
エレファンツの選手たちはみな、我先にといった勢いで大松選手から教わったことを明かしてくれた。まるで大事な“宝物”を自慢する子どものように。
しかしこの“宝物”は、しまっているだけでは輝かない。毎日磨き続けなければならないのだ。
自分なりに磨き、光り輝かせること―。それが大松尚逸先輩への恩返しになる。
(撮影はすべて筆者)