“地獄の苦しみ”を乗り越えて 〜IBF世界ミドル級タイトル戦 ギール対バーカーより
Photo By Kotaro Ohashi
8月17日
IBF世界ミドル級タイトル戦
米国ニュージャージー州アトランティックシティ
ダレン・バーカー(イギリス/26勝(16KO)1敗/31歳)
12ラウンド判定(116-111、114-113、113-114)
ダニエル・ギール(オーストラリア/29勝(15KO)2敗/32歳)
ボディで痛恨のダウンを喫しながら
瞬間、試合は終わったと誰もが思った。
第6ラウンドも半ばを過ぎたあたりで、ギールが放った左ボディブローが完璧なタイミングでバーカーの腹を捉える。堪え切れずに崩れ落ちたバーカーは、カウント5、6と進んでも、苦悶の表情を浮かべてうずくまったままだった。
「ボディブローは地獄の苦しみ」
そんなフレーズを聴いたことがあるだろう。顔面のダメージは必ずしも痛みを伴うものではない場合も多いが、ボディは別物。筆者もアマボクサー時代に何度か経験があるが、イメージとしては内蔵の一器をぐっと握りつぶされるような感じか。
身体中がしびれ、呼吸困難に陥り、力は入らず、ボクシングどころか立ってることすらままならない。それでも意識の方はクリアなことがむしろ災いに働き、その状態で戦闘を続行することに恐怖すら感じる。簡単に言えば、身体の苦しさとともに心も折れるのだ。
しかし、そんな厳しい状況下でも、バーカーはカウント7で何とか立ち上がり、9でファイティングポーズを取る。レフェリーに続行の意思を示すと、オーストラリア人王者に再び立ち向かって行った。
執念の逆転勝利
「みぞおちにパンチをもらい、呼吸が出来なくなった。そのときに頭をよぎったのは、亡くなった弟、娘、そして僕を支え続けてくれた家族のことだった。彼らがいなければ僕は何もできなかった」
後にそう語ったイギリス人挑戦者が、KO負け寸前で立ち上がったことだけでも番狂わせと言って良い。それだけで終わらず、再開直後はカバーに廻っていたバーカーが、残り40秒を切ったあたりから左右を振り廻して反撃を開始したシーンはほとんど驚愕ものだった。
「誰もダレン・バーカーの勇気を疑うことはできない!!」
HBOで映像を確認すると、この第7ラウンド後半には実況のジム・ランプリー氏も絶叫している。
「あれほどのボディブローから立ち上がったことで、ダレンは多くを証明してくれた。カウント7の時点で、立てるのかどうか私にも分からなかった。しかし、彼の中に“ノー”という答えはなかった。ハートの強さを示し、その後に反撃するなんて考えられないよ」
バーカーの所属するマッチルーム・スポーツのエディ・ハーン氏のそんなコメントも、単なる身びいきには思えなかった。
6ラウンドに痛恨に思えるダウンを喫しながら、ダメージを感じさせないバーカーは反撃を開始。優劣が微妙な時間帯も多かったが、3人のジャッジは揃って7回以降の6ラウンド中5ラウンドをより的確なパンチを振るったバーカーに与えている。
ボディ攻撃を継続しなかったギールの戦略の不可解さを差し引いても、バーカーの粘り強さと気迫が見事だったことは否定できまい。両者が死力を尽くした打ち合いの果てに、試合終了のゴングが鳴る。そして、IBF世界ミドル級タイトルはオーストラリアからイギリスに渡った。
亡き弟のために
「この勝利を弟に捧げたい。ゲイリー、君のために勝ったよ」
試合後、リング上でバーカーは感無量の表情でそう叫んだ。
自身以上に高い評価を受けるボクサーだったというバーカーの弟は、まだ19歳だった7年前に交通事故でこの世を去っている。ファイトウィークのイベントを通じて、今回のタイトル戦は弟のためのものだと兄は語り続けた。
勝負の行方を精神論やバックグラウンドにばかり結びつけようとするのは危険であり、ときに無謀ですらある。車がガソリンとエンジンで走るのと同じく、ボクサーもスキル、スピード、パワーを駆使して戦う。どれだけ強い決意を秘めてリングに立とうとも、確かな地力を備えていなければ試合には勝てない。
ただ・・・・・・・バーカーとギールのように実力が極めて拮抗した選手同士の戦いの際、勝負はまさに紙一重。そんな場合には、ボクサーとしてのツール以外の要素が決め手となる場合もあるのだろう。
絶望的なボディのダメージの後も心は折れず、挑戦者は前に出続けた。KO負けの1秒前に立ち上がり、わずか1ポイント差でタイトルを奪ったドラマチックな大激戦。いつ終わるかも分からない修羅の時間の中で、バーカーのこの試合に懸ける想いの強さが、他の何よりも際立ったのは紛れもない事実だった。