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ヤマハ初優勝!三村主将が語る「ヤマハスタイル」と名将・清宮監督~ラグビー日本選手権~

斉藤健仁スポーツライター
カップを掲げる三村主将(最前列左から2番目、撮影:斉藤健仁)

2月28日(土)、東京・秩父宮ラグビー場でラグビー日本選手権の決勝が行われ、ヤマハ発動機ジュビロ(トップリーグ準優勝、以下ヤマハ)がサントリーサンゴリアス(ワイルドカード勝利チーム)を15-3で下して初優勝に輝いた。なおヤマハにとっては、2011年度に清宮克幸監督が就任して以来、初めて監督の古巣・サントリーを破り、二重の喜びとなった。

◇ヤマハの象徴であるFL三村主将

「7~8割はディフェンスだと思っていた」。試合前のミーティングでそう臨んだヤマハの選手たちは、タックルしては起き上がりまたタックルをして……。80分間、集中してディフェンスを続けて「アタッキングラグビー」を標榜するサントリーをノートライに抑えた。

そんなヤマハを牽引するのが、トップリーグのFWの選手の中では178cmと決して大きくはないFL三村勇飛丸主将(26)だ。三村主将曰く、この試合のキーワードは「ヤマハボイス」だった。声を掛け合い、コミュニケーションを取って相手を止め続ける。「相手に一瞬の隙も与えないようにしました。僕はキャプテンに求められていることはわかっています。身体を誰よりも張る。身体を張らない人の言葉は響かないですから」

ヤマハはかつて、トップリーグが始まった頃は「和製FW」を武器に、タイトルこそ取れなかったが2004年度は2位になるなど上位に進出していた強豪だった。だが2010年度は会社の業績不振によりラグビー部の強化は縮小され、今回、日本選手権の決勝で勝利したサントリーに0-72と大敗。さらに11位となり入替戦に回り、2点差の12-10で九州電力に辛うじて勝利しトップリーグに残留した。

当時、明治大でプレーしていた三村は、身体が小さかったために社会人でラグビーを続けるか悩んだ末に、ヤマハに入る決心をする。「強化が縮小されていたことは聞いていました。ですが堀川隆延監督(現ヘッドコーチ)に熱心に誘われました。社会人で通用する自信はなかったですが、試合に少しでも出られそうかなと思って……。人としてもラグビー選手としても成長できました。今思えばヤマハに来て良かったです!」

◇4年前、清宮監督就任と同時に入部

三村主将がヤマハに入社すると同時に再びラグビー部は強化へと舵が切られた。早稲田大を5年間で3度の大学日本一に、サントリーをトップリーグで優勝に導いた清宮克幸監督が就任した。「最初にこの話を聞いたときにはビックリしました。高校からラグビーを始めたのですが、その時、早稲田大が強い時代で、清宮監督は『怖い』というイメージがありましたね(苦笑)」

三村主将は栃木県立佐野高で早稲田大出身の藤掛三男監督(現・佐野日大監督)の下でラグビーを始めた。キャプテンとして迎えた高校3年生の春には県で優勝するものの、花園予選は3-10で國學院栃木に負けて花園出場は叶わなかった。続く明治大では藤田剛監督、吉田義人監督に薫陶を受けて、特に4年時はFLとしてレギュラーとして活躍したが、大学選手権の決勝の舞台には立てなかった。

社会人になり、「高校時代から指導者の縁に恵まれている」という三村にとって名将の理詰めの指導方法は新鮮に映った。清宮監督は就任1年目からレスリングトレーニングを導入、セットプレーの強化も進めた。就任3年からはボールをワイドに展開するラグビーへと進化も見せた。「清宮監督は一番チームの中で考えているし、負けたら悔しがります。一つ一つの言葉が人を引きつけます。芯がしっかりしていて言葉にも意志がある。ぶれない。だから信じてついて行ける」(三村主将)

清宮監督就任4年目の今シーズンは、昨シーズンの反省を踏まえて決定力に磨きをかけた。また「トップ4」のライバルたちを倒すために、ボディービルダーでもある井野川基知ストレングスコーチの下、一からフィジカルを鍛え直し、接点で新たな強さも手に入れた。それでも、三村主将は「4年間の積み重ね」を強調する。

「一年一年が優勝のために必要な時間でした。この1年間だけで身につけたのではなく、今までヤマハがあって、今回の優勝があります。清宮監督が積み上げてきて自分たちのスタイルを確立した。相手に合わせるのではなく、トライを取り切ることやディフェンス、ブレイクダウンなど選手たちがグラウンドで表現できるようになってきた」(三村主将)

◇勝因は「スクラムとディフェンス」

特に、決勝では「スクラムとディフェンス」(三村主将)で自分たちのスタイルを貫いたことが勝因となった。

スクラムでは元日本代表PR長谷川慎スクラムコーチの下、芝がはがれて砂場のようになってしまった場所が多い秩父宮ラグビー場にも対応できるように低く押し込むスクラムの練習を重ねた。三村主将も「サントリー相手に、チームとして、一番アドバンテージ取れるのがスクラムだと思っていました。迷いはなかったですね!」

試合終了間際も、ヤマハのスクラムが相手を圧倒し、反則を誘ってノーサイドを迎えた。「最高の形でしたね! LO大戸裕矢さんと戦術面だったり、練習面だったり一緒に見る場面が多かったので、前にいたので思わず抱きしめてしまいました(笑)。やっぱりFWとしてはフィジカルの強化が実を結びました。スクラムだって身体を鍛えないと強くなりませんから」(三村主将)

またディフェンスでも、どこからでもボールを継続してくるサントリー相手に、2人でボールキャリアにプレッシャーをかけて球出しを遅らせるように臨んでいた。「ボールキャリアに弾かれることもありましたが、1人が下に、2人目が上に行ってどうボールを遅らせるか。何度か相手を抱え上げることができましたね」(三村主将) 3度のチョークタックル(相手を引き上げるように抱えて、2人目がボール絡んでモールアンプレアブルを狙うタックル)からのターンオーバーは、チームとして意図的に行っていたというわけだ。

FB五郎丸歩が危険なプレーでシンビン(10分間の一時的退場)になった後半10分からの10分間も、相手に得点を許さなかった。三村主将は「きつかったですよ(笑)。でもきついことができる文化がついてきています。1人がいなくなった分『倒れている時間を少なくして働こう』『一人ひとりの責任を果たせ』と声を出していました。あとは気持ちだけでしたね」と振り返った。「相手のSH(フーリー・)デュプレアがキックを蹴ることはわかっていました」という主将自身のキックチャージもあり、1人少ないことを感じさせなかった。

◇ゲームの流れ上、大きかった前半の2トライ

攻撃面でも前半、BKが奪った2トライは「必然のトライ」(清宮監督)だった。

ヤマハはトップリーグのプレーオフ決勝でパナソニックワイルドナイツに負けた反省から、敵陣22m内に入ってからの攻撃の精度をさらに高めた。今日の試合では相手より上回っていたモールやスクラムに固執することなく、FWで近場に相手のディフェンスを集めた後に、しっかりとBKに展開し2トライを挙げた。ゲームの流れの上では大きかった。

「決勝戦なのにアグレッシブに選手たちが戦って12点差でリードして前半を折り返したことが一番の勝因です。それに尽きる。後半は選手たちが必死に身体を張り続けて、結果、ノートライに抑えた。今シーズンのベストゲーム、一番の試合だった。褒め過ぎかな」(清宮監督)

◇主将の視線はすでに来シーズンへ

「初の日本一になって、フワフワってしています」という三村主将は、「すべての局面で相手を上回れたと思います」と胸を張った。ただ試合後の記者会見で「こういう場所で来シーズンの話をできるなんてすごいやつだな」と清宮監督に言わしめたように、主将の視線はすでに先に向いている。

「清宮監督が就任して4年間、自分たちが積み上げて来たことが間違いではなかったとあらためて感じました。この成長に満足せず、来シーズンはワールドカップがあるので方式が変わると思いますが、トップリーグで優勝したい」(三村主将)

昨シーズン、「身体を張ることを見せつけるリーダー。キャプテンは三村しかいない」と指揮官に指名された三村主将は、チームの歩みとともに「ヤマハスタイル」を体現する日本一のチームにふさわしいキャプテンへと成長を遂げ、新しい風を吹かせることに成功した。

接点でファイトしたため顔が少し腫れている。小さな主将が大きな、屈強な男たちに勝った「勲章」とも言えよう。「今が一番、ラグビーが楽しいです!」と充実感いっぱいの三村主将は笑顔を見せて、秩父宮ラグビー場を後にした。来シーズンも、再び強豪への階段を登ったヤマハの躍動が今から楽しみでならない。

スポーツライター

ラグビーとサッカーを中心に新聞、雑誌、Web等で執筆。大学(西洋史学専攻)卒業後、印刷会社を経てスポーツライターに。サッカーは「ピッチ外」、ラグビーは「ピッチ内」を中心に取材(エディージャパン全57試合を現地取材)。「高校生スポーツ」「Rugby Japan 365」の記者も務める。「ラグビー『観戦力』が高まる」「ラグビーは頭脳が9割」「高校ラグビーは頭脳が9割」「日本ラグビーの戦術・システムを教えましょう」(4冊とも東邦出版)「世界のサッカー愛称のひみつ」(光文社)「世界最強のGK論」(出版芸術社)など著書多数。学生時代に水泳、サッカー、テニス、ラグビー、スカッシュを経験。1975年生まれ。

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