辻と浮世の尋常ではない愛にハマる声続々!口コミで評判急上昇中の「本気のしるし<劇場版>」
2019年10月からメ~テレ(名古屋テレビ)ほかで放送されると、これまでのテレビドラマでは目にしたことのないラブ・サスペンスが話題を集めた『本気のしるし』が劇場公開される。今回、上映されるのは劇場用に新たに再編集されたディレクターズ・カット版。1話30分、全10話のテレビドラマが232分の1本の映画となった。
手掛けたのは新世代の日本人ディレクターとして国際舞台でその地位を確立する深田晃司監督。『淵に立つ』『よこがお』など、これまでオリジナル脚本映画で勝負してきた彼が、本作では、初めてコミック原作の映像化と連続テレビドラマに挑んだ。
主人公のふたりが死んだ魚みたいな目をしている(笑)。その異様さに圧倒された
ここで深田監督は何に挑み、何を描こうとしたのか? はじまりは星里もちるの漫画原作との出合いにさかのぼる。
「星里先生の『本気のしるし』は、2000年から連載が始まっているんですけど、21歳の頃には単行本を読んでいた記憶があります。なので、ほぼリアルタイムで読んでいたのではないかと。
星里先生の漫画は、その前から読んでいてファンだったんですよ。とにかくキャラクター設定とストーリーテリングがうまい。今も昔もラブコメを得意としていますけど、『本気のしるし』に関してはちょっと違うというか。当時、異様なものをまず感じたんです。
これまで通り、恋愛要素は確かにある。ただ、一切コメディー要素がない。ものすごくシリアスな物語で、こういったら失礼に当たるのかもしれないけど、主人公のふたりが死んだ魚みたいな目をしている(笑)。その異様さにまず圧倒されました。と同時に、これまでの得意なものを全部封印して描いてる気がしたんです。でも、そのことでストーリーテリングのうまさが僕には際立ってみえてきた。そのとき思ったんですよね。『これを映像化したら絶対におもしろいものになるんじゃないか』と」
映像化は10年ぐらい前から探っていたという。
「ずっと映像化したいと思っていて。なんとなくですけど、映像化するんだったら連続ドラマのほうが向いてるだろうなとも当初から考えていました。客観的にみて、原作が全6巻ありますから、2時間の映画にまとめるのはさすがに難しい。
でも、どこかに企画書をもっていくことはしてなかったんです。いろいろな人に言いふらしていました(苦笑)。雑談で漫画の話題になったり、漫画好きの人や興味をもってくれそうなプロデューサーをみつけたときに、『こういう原作があって、映像化したら絶対おもしろくなると思うんですよ』といった具合に。
そうしたら、『淵に立つ』でご一緒したプロデューサーの方が興味をもってくれて、名古屋テレビにつないでくれて決まったんですよね。やりたいことは言いふらすのが大事だなと思いました(苦笑)」
男性社会に放り込まれたとき、どれだけ傷ついている存在であるか、浮世は示している
映像化に際し、読み直す中で、改めて気づいたことがあったという。
「なにか心が満たされていない会社員の辻一路が、ある夜、葉山浮世という女性と出会い、彼女と関わったことで、次々とトラブルに巻き込まれ、破滅の道を歩みだす。そのストーリーもさることながら、おもしろかったのは浮世のキャラクター。物語の中である種のメタファーになっている。
当時、『ビッグコミックスペリオール』に連載されていたわけですけど、青年誌の読者層というのは当然成人男性で。青年誌のヒロインというのは大なり小なりどこかで男性の理想の恋愛対象であったり、男性が望むような女性の役割を与えられることが多い。言ってしまえば女性のキャラクターとして男性に消費されることが全体的に多いと思うんです。
そういった中で星里先生もずっとラブコメを得意として描いてきて、実際にヒットさせてきた。そこに登場するのは浮世と同様に、男性の恋愛対象になるに相応しい魅惑的なヒロインだったりするわけです。
でも、そうしたいわば男性社会の中で男性の恋愛対象の中で役割を与えられているような女性を現実社会に、ほんとうにリアルな現実の世界にポンと放り込むと、どれだけ傷ついている存在であるかということを浮世は示していると思ったんです。
だから、星里先生にとってある意味、自己否定的だなと思ったし、それまで積み上げてきたこと、描いてきたことをひっくり返すようなことをやっていてすごいなと思いました」
脚本作りは、若手脚本家の三谷伸太朗とともに進めた。
「実際問題として、連続ドラマをやったことがない上に、当時、『よこがお』に取り組んでいたこともあって自分で一からすべてを書く時間がなかった。また、どのタイミングでCMを入れるとか、やったことがない。全6巻の脚本を10話にまとめて、うまく1話ごとの構成をしてCMの入れどころやその前後のつなぎをどうするかを作っていく。そのあたりも正直やったことがない。そこで、三谷さんに入っていただきました」
普段、人はそんな本音を吐露しながら生きていけない
原作の根底で描かれるのは、一筋縄ではいかない男と女の愛でテレビドラマの深夜枠。これを踏まえると、泥沼におちていく男女が互いへの思いのたけを次から次へと感情にまかせるまま吐き出すようなドロドロの物語に仕立てても不思議ではない。実際、脚色を加えれば、そうできない原作ではない。だが、実際はむしろ静謐を感じるドラマになった。
「それなりにドロドロにしたつもりだったんですけど、まだ足りないですかね(苦笑)。
実は、原作だともう少し辻の内面の感情がモノローグで描かれている。人付き合いが苦手とか。そこを全部カットしてるんですよ。趣旨としてはカットしていないんですけど、ナレーションで表現はしていない。別の形に置き換えて伝えている。
そうしたのはもう自分の作風としか言いようがない。もちろん原作は大切にしていて、かなり忠実になっている。でも、あんまり、辻と浮世が本音をぶつけ合うような構造にはしたくなかった。
なぜかというと、普段、人はそんな本音を吐露しながら生きていけないし、大抵が、関係性の中でなんとなく想像し合いながらわかった気になって生きていると思うんですよね。日常は淡々と進んでいく。
たとえば腹を割って話しているときでも、自分の話してる言葉が本音であるかどうかが本人でさえわからない瞬間がある。『本音を言うと』と話を切り出した瞬間から、なにかしらの嘘が混じる。そういう風に人間や世界を捉えて自分は映画を作っている。それは今回の『本気のしるし』でも変わっていない。
だから、辻と浮世が本音をガチガチぶつけ合い、オーバーアクションを繰り返すようなことは最初から考えていませんでしたね」
連続ドラマは意識していない。初めてで意識しようがなかったです(笑)
では、連続テレビドラマということは意識したのだろうか?
「意識しませんでしたね。ただ、それは誇れたことではない。作品にするなら連続テレビドラマがいいかなと言っておきながらなんなんですけど、もともとテレビドラマをあまりみていない。テレビドラマを撮ったこともないから、意識のしようがなかった。だから、いつも通りにやることを心がけるしかなかったんです」
作品で、鮮烈な印象を残すのはやはり浮世といってもいいかもしれない。正直、こんな女性がいまだかつて映画やドラマにいただろうか?そう思えるぐらい、これまで映画やドラマで描かれてきた女性像とはかけ離れている。ただ、現実離れした存在ではない。今を生きる女性としてしっかりと立っている。
映画にありがちな男性の目線で存在する理想のヒロインでもなければ、極端にデフォルメされキャラクター化された存在でもない。
「結局、自分はまず男性で。男として生きて育ってきて、男性の価値観の中で生きてきた。これはもう逃れようのない事実で。どんなにフェミニズムを気取って見せたところでも、自分はもう男性の価値観でしか女性を見ることができないんですよね。
で、そういったことを前提として女性にしても男性にしても描くとき、僕が常に心がけているのは、なるべく男性から見る女性観であったり、ステレオタイプの男性らしさ、女性らしさみたいなところから離れること。少なくとも脚本を書く段階では、この人物が男性であるか、女性であるかということはなるべく意識的に考えないようにしています。
男性だからこうするだろうとか、女性だからこうするだろうということではない距離感で書くと、不思議と出来上がったときにほどよいところに着地している。ですから、浮世もそうしたら、こうなったというのがほんとうのところです」
浮世は、はじめ男性に依存するような存在に映る。ところが、話が進むにつれて反転し、彼女は主体性をもったひとりの女性へと転じていく。
「実は、原作をかなり忠実に踏襲しているんですけど、大きく変えているところが1つだけあります。それは、浮世を追い続ける辻を途中で一度、完全に退場させて、逆に浮世が辻を探す物語に変えてるところ。ここが今回の映像化の中での変更点です。原作だともう少し浮世と辻の物語が並行して進んでいくんです。だから大きくそれてはいないんですけどね。
なぜ、そうしたかというと、ご指摘の通りで、浮世の主体性を見せたかったというか。物語は、浮世が常に男性に依存しているような形で進んでいく。そう見えていた浮世がさまざまなことを経て、辻の存在があって、主体性をもっていく。いつからか、あれだけなにかに依存しているように映った彼女が、自分の意思で選択するまでになる。そこをきちっと見せるためには、辻には一度退場してもらって、浮世をクローズアップしたほうがいいと思いました」
イプセンは100年前、星里先生は20年前に女性は母親である前に人間で、女性である前に人間であることを示している
前半の弱弱しい女性像からは一転、主体性を得て生きる浮世からは、さまざまなことを考えさせられる。ここにも深田監督ならではの狙いがあった。
「女性の主体性が認められてるようで認められていなかったということが歴史ではずっと続いてきた。フェミニズムだってここ100年ぐらいでウーマンリブ運動やmetoo運動を経て、ようやく男女平等がうたわれるようになってきた。
でも、現実問題として女性に対する差別や暴力はなくなっていない。2020年においても、たとえば東京医科大学で女性の受験者への一律減点など不正入試が行われていたような異常なことがふつうに起きている。男女平等が実現しているなんてとても言えない。女性の主体性は抑圧されているし、まだ依然として男性社会であることにかわりはない。
そういったことを考えながら浮世さんの変遷を描くとなると、結局はやはりシンプルに男性主体から女性主体への変化を物語の構造を通じて見せていくしかないのではないか、と思った。
自分の中でジェンダー、とりわけ女性の問題を考える上ですごく重要な作品と思っているのは、ヘンリック・イプセンの戯曲『人形の家』だと思ってるんですね。
『人形の家』は1879年に発表された戯曲ですけど、ものすごいセンセーショナルな内容で、イプセンは当時バッシングを受けた。何がバッシングの対象になったかというと、ヒロインのノラがすごい裕福な家庭のすごく裕福な家の主婦で。子どももいて、夫も優しくて傍からみるとすごい幸福にみえる。でも、彼女はあるときに自分は結局、この家の人形に過ぎないということ、いわば置物の人形として愛されてるだけなんだっていうことに気づいてしまう。そこから覚醒して、夫も子どもも置いて家を出てしまう。
当時、子どもを置いて家を出るなんて『どういうことなんだ』となった。たぶん、いまもそう思う人がほとんどでしょう。
でも、母親である前に人間であり、女性である前に人間である。ということを100年以上前にイプセンは『人形の家』で示しているんですよね。
で、そこから100年以上経ったわけですけど、ジェンダーに関して理解がどれだけ進んだかというと実はさほど進んでいないと僕は思っていて。そういった中で星里先生は、20年前にまたイプセンと同じことを示していた。
さらにそこから20年経ったいまの世の中で、ジェンダーに対する考え方が少しアップデートされた。#metooなどの運動が起きて。そこで今回『本気のしるし』を映像化するのであれば、当然原作が秘めているジェンダーに対する意識、認識みたいなものはきちんとクローズアップする必要があるし、作り手のジェンダーに対する考え方も当然問われているという緊張感のなかで創作したところはありますね」
土村芳に感じた浮世に通じる無防備さ
この作品を語る上で、キャスティングは外せない。これまでいなかったといってもいい異端のヒロイン、浮世を演じたのは土村芳。彼女は、辻を支配するどころか、物語をも、観客をも翻弄するヒロインとして存在する。
「浮世のキャスティングはすごく時間がかかりました。ほんとうにたくさんの人にお会いしました。ただ、もともと映像化が決まった時点で、浮世をみつけることが大変なことはもうスタッフの間で意識として共有していました。『浮世がうまくいかなければ作品は成立しないだろう』と明確に意識していましたね。
土村さんに決めたのは、オーディションで実際に演じてもらったのが劇中にもあるファミレスでのシーンで。ビールを飲みながら酔っ払った浮世が辻に対して『私、辻さんに油断してんのかな』と言う場面。それをやっていただいたんですけど、ほとんどの方が男と女の恋の駆け引きみたいな感じになってしまう。酔っ払ってる感じも、辻にスキをみせて誘ってるかのように映ってしまう。
でも、土村さんだけ違った。すごくナチュラルに酔っ払って、自然にポロッといってしまったかのように演じられて。相手を誘っているのではなく、どこか無防備な佇まいに映る。その無防備さがひじょうに浮世っぽいと思って、それでお願いしました。
あと、浮世のもっている哀しさみたいなものも土村さんの演技には感じられたというか。浮世はある種、男性依存のように見えるぐらい周りには常に男性の影がある。浮世自身はおそらく無意識に、相手の男性に気があるようにとられてしまう発言をしてしまう。ゆえに辻がそうであるように、浮世が忘れられなくなる男性が何人か出てくる。
見方によっては浮世は男を惑わす魔性の女でしかない。でも、一方で立場の弱い女性、何ももっていない女性が、男性社会の中で自分の身を守るためのいわば擬態のように思えたんですよね。自分をそう見せることで、どうにか生存してきた。でも、擬態によって浮世自身も実は傷ついている。その哀しさを土村さんだったら自然に出してくれるんじゃないかと思ったんです」
無防備で浮世に振り回される辻役は、森崎ウィン。浮世とはまるで正反対の計算高く、頭が切れるも、それがあだとなっている人物になる。
「オーディションでは3つの場面をやってもらったんです。最初のコンビニで浮世と会う場面など。解釈の仕方が森崎さんが抜群で。なにより演技というよりももう自分の言葉で話しているようでした。それでほぼ即決でしたね。原作のイメージにも近かったですし」
カンヌのオフィシャルセレクションに選出の快挙
作品は、今年のカンヌ国際映画祭オフィシャルセレクション2020に選出された。コミック原作、もともと地方局の深夜ドラマという作品の背景を考えるとこれは快挙といっていい。
「僕自身びっくりしました。漫画原作で連続ドラマ、そのドラマの中身もメロドラマと目新しくはない。劇場版ですけど、とくにそのために再撮影もしていない。だから、オフィシャルセレクションはまったく狙っていなくて、最初は監督週間の部門だったら可能性があるかなと思っていたんですけど、そちらは早々に中止が決まってしまった。じゃあ、せっかく英語字幕もつけたしと、だめもとでオフィシャルの方にエントリーだけはしていたんですね。ですから、選ばれたのはびっくりです」
そこでも俳優の演技を高く評価されたという。
「ほんとうに選評では俳優がめちゃくちゃ褒められていたんですよ。『日本にはまだまだこんないい俳優がいるぞ』みたいな感じで。これは監督としてもうれしかったですね」
今回の作品も含め、これまで発表してきた映画はいずれも国際映画祭で高い評価を得てきた。今月31日に開幕する「第33回東京国際映画祭」の「Japan Now部門」でも特集される。ここまでの現状をどう受け止めているのだろうか?
「自分のやりたい企画がギリギリですけど成立して、やってこれているので恵まれていると思っています。あとは、もう少しお客さんが入ってくれるとうれしいのですが(苦笑)」
「本気のしるし<劇場版>」
全国公開中
監督:深田晃司
原作:星里もちる「本気のしるし」(小学館ビッグコミックス刊)
出演:森崎ウィン 土村芳 ほか
公式サイト:https://www.nagoyatv.com/honki/
場面写真はすべて(C)星里もちる・小学館/メ~テレ