過激派ISが支配地域の22%失う 人・カネの三重苦 アルカイダが復権か
過激派組織ISはこの15カ月の間にシリアとイラクの支配地域を22%も失ったことが国際軍事情報会社IHS紛争モニターの分析で分かりました。下のマップでISの支配地域は黒色で、失った地域は赤色で表示されています。
紛争モニター上級アナリストのコルンブ・ストラック氏によると、昨年1月1日から12月15日にかけ、ISは支配地域の14%を失いました。さらにこの3カ月の間に8%を失い、トータルで22%を失ったそうです。
今年に入ってから、ISはシリア北部から南方面にある彼らの「首都」ラッカ(Raqqa)、ダイル・アッザウル(Deir al-Zour)に向かう地域を大きく失っています。この地域は米国とロシアによる空爆の支援を受け、クルド人勢力とイスラム教スンニ派シリア民主軍(SDF)が侵攻しています。
アサド政権もシリア西部で地域を取り戻し、15年半ばに過激派に侵略された古代都市パルミラ(Palmyra)の外側5キロまで接近しています。ISは昨年6月、パルミラとラマディ(Ramadi)に侵攻した際、シリア北部の支配地域を失いました。
失った支配地域には戦略的に重要なトルコ国境のタル・アブヤド(Tal Abyad)が含まれています。ISにとって「首都」ラッカとトルコを結ぶ主要な「渡河点」でした。タル・アブヤドを失ったISは資金繰りに窮し、各種税金の増税、公共サービスの負担増、兵士給与の最大50%カットを強いられます。
こうした資金難は昨年後半以降、米国が主導する有志連合やロシアの空爆によってISの石油販売収入が断たれたことで一段と悪化しています。「渡河点」のタル・アブヤドを失ったことやトルコが国境警備を強化したことでISへの物資や兵士の補給ルートが途絶えました。地元の密輸ルートは細々と残りましたが、途中で拘束されるリスクを含め、輸送・通過コストはハネ上がりました。
ISの孤立は深まり、衰退し始めています。その一方でISと同じように「カリフ(イスラム共同体の指導者)国」建設を目指す国際テロ組織アルカイダ系ヌスラ戦線がその空白をうかがっています。ISの孤立がさらに深まり、軍事的な敗北が拡大すれば、ISが外国人兵士をシリアに補給するのは難しくなるでしょう。
シリアのダイル・アッザウルから逃れてきたジャナさん(19)と妹のアスマさん(14)が子供支援専門の国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン」(本部ロンドン)のインタビューに応じています。ジャナさんの家族は、過激派が支配するダイル・アッザウルからの脱出を4度試みますが、いずれも途中で断念します。
自由になるか、過激派に捕まって処刑されるか、2つに1つです。ダイル・アッザウルでは数カ月前から食料が手に入らなくなり、1キログラムで1千シリア・リラだった砂糖が15倍の1万5千リラに高騰しました。子供たちはやせ細り、餓死する幼児もいました。栄養不足で乳児に与える母乳が出ないことを心配する母親もいました。
ジャナさんの家族も3~4日の間、食べ物を口にできないことがしばしばありました。砲撃を避けるため地下壕に逃げ、息を潜めました。たくさんの人で混み合っていましたが、食料はありません。過激派に気づかれないよう静かにするよう親が注意しますが、子供たちは恐怖のあまり泣き叫びました。
戦闘機や空爆、砲撃の音は夜通し鳴り止まず、ジャナさんらは一睡もできません。負傷者が出ても医薬品もなく、病院に行くこともできないのです。仮に病院に行けたとしても看護師が1人いるだけで、すべての負傷者を手当てできる状態ではありませんでした。
ジャナさんの家族は外に出ることもできず、心臓疾患の持病を持つ母親は今年1月に亡くなりました。翌2月、ジャナさんは車の中に隠れてアスマさんら17歳から2歳までの兄弟姉妹7人を連れてダイル・アッザウルを脱出、3日後、レバノンにたどり着きました。脱出劇は5度目でようやく成功しましたが、父親は現地に留まりました。
ジャナさんは「ダイル・アッザウルの状況は非常に悪くなりました。包囲攻撃が始まってからは悲劇です。今はレバノンで暮らす近所の人の家に身を寄せ、兄弟姉妹の面倒を見ています」と話しています。アスマさんは「戦争が始まる前は幸せに暮らしていたのに、もう学校もお祝いもなくなりました」と声を落としました。
(おわり)