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東京五輪、中止回避のため「思い切った変更が必要」JOC理事・山口香氏インタビュー

近藤隆夫スポーツジャーナリスト
女子柔道の先駆者として活躍、現在はJOC理事の山口香氏(写真:AFP/アフロ)

「もっと思い切った変更が必要です」。

1年後の2021年7月23日に開幕となった東京オリンピック・パラリンピック(以下、東京五輪と表記)。3月24日の延期決定よりも5日前の時点で「延期すべき」と声を上げたJOC(日本オリンピック委員会)の理事がいる。ソウル五輪女子柔道の銅メダリストで、現役時代には「女三四郎」とも呼ばれた山口香氏だ。なぜいち早く延期を求めたのか、来年の東京五輪は本当に開催できるのか。その胸中に迫ると、山口氏はさらに大きな変更が必要だと説く。その具体的な案とは。山口氏が思い描く東京五輪の安全な開催案とオリンピックの未来像を聞いた。

開幕4カ月前、なぜ「延期すべき」と言ったか

──まずは、3月に「東京五輪を延期すべき」と発言された真意から聞かせてください。

「私は正直な思いを口にしただけです。あの時、まだ日本では新型コロナウイルスは感染拡大していませんでした。それでもイタリアやスペインをはじめとする欧州諸国は、ひどい状況にあったんです。その状況下で、『7月の東京五輪へ向けて準備をしなさい』ということは、世界のアスリートたちが危険を冒してトレーニングや試合を行うことになります。本当に4カ月後に開催は可能なのかと考えた時に、東京五輪開催をとても想像できませんでした」

──3月19日の時点では、IOC(国際オリンピック委員会)、JOCともに「延期、中止は考えていない」との方針でした。そうした中での発言には勇気も必要だったように思います。

「東京五輪への思いが強くなかったというわけではありません。でも感情ではなく現実を見る必要があると思いました。

 多くの方々が招致の段階から、東京五輪成功に向けて必死に頑張ってきたことは私もよく理解しています。

 あと、もう少しでした。登山にたとえると、頂上が見えるところまで来ていたんですよ。でも天候が悪化して、このまま頂上を目指すのは危険かもしれない。急いで登ってしまいたい、天候が好転することに賭けたい。東京五輪も、そんな状況にあったと思います。

 断念するのはつらいけれど、この局面では『一度、立ち止まる』という選択肢を含めた判断が求められていました。勇気というよりも、そのことを伝えたいと思いました」

東京五輪の延期が決まるまでの流れ(画像制作:Yahoo!ニュース)
東京五輪の延期が決まるまでの流れ(画像制作:Yahoo!ニュース)

最悪のシナリオを回避するための案とは

──来年7月23日から東京五輪は開催されることになっていますが、まだ予断を許しません。本当に開催できるのか、あるいは開催するべきなのか否か。どのように考えられますか。

「私もアスリートでしたから、その立場から言えば開催を望みます。選手たちは皆、オリンピックを目指して頑張ってきたので、精一杯戦ってもらいたいとは強く思います。

 それでも日本や世界の情勢を冷静にみれば、開催できるかどうかは微妙ですね。同時に、これから数年間はゼロリスクとなることも望めないと思います。であるならば、感染リスクがある中で東京五輪を開催できる方法論を探っていく必要があります」

──開閉会式の縮小案なども検討されていますが、山口さんはイメージできますか。

「私はもっと思い切った変更が必要だと思います。『おまえはいつも勝手なことばかり言う』と諸先輩方に怒られそうですけど、2週間という開催期間を見直してみてはどうでしょうか。

 期間をもっと広げて、2021年4月あたりから10月ぐらいを東京五輪期間にするみたいな。4月は柔道と体操、5月は水泳、陸上は9月というふうに開催時期を分散させるんです。

 7月から8月の2週間に世界中から日本に人が一度にやって来るので、対策も難しく、感染拡大のリスクを制御できません。しかし、競技ごとの開催なら人数も限定的であり、ホテル滞在とすればリスクを最小限にコントロールできるように思います」

──分散開催なら蜜状態を少し緩和できますね。ただ、お祭り感は薄まります。

「でも今回に限っては、そんなことも言ってられません。アスリートたちに舞台を用意してあげたい、ここまで準備してきたことをゼロにもしたくないじゃないですか。

 そのためには、思い切った変更が必要だと本気で考えています。東京五輪中止という最悪のシナリオにせずに開催するためにです」

(写真:西村尚己/アフロスポーツ)
(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

商業主義化のオリンピックがもたらす功罪

──オリンピックの在り方についても聞かせてください。近年はオリンピックの盛り上がりがすさまじいと感じます。言い換えれば、スポーツ界における「五輪偏重」が目につきます。

「そうですね。日本は世界の中でもオリンピックの盛り上がりは特別です。もちろんオリンピックは海外でも注目されていますけど、日本ほどではありません。

 その理由ははっきりとはわかりませんが、私が出場したソウル大会(1988年)の頃と比べると、注目度が大きく高まりました。東京五輪が決まったことも影響しているかもしれませんね。

 一方で、オリンピックを醒めた目で見ているアスリートもいるのでは?

 東京五輪で実施される33競技に入っていない競技のアスリートたちにとっては、参加の可能性がないわけですから。

 私がやってきた女子柔道がオリンピックに公開競技で採用されたのはソウル大会です。ロサンゼルス大会(1984年)の年に私は世界選手権で優勝しました。報道もされ、周囲からは祝福も受けましたけど、やはり、オリンピックでメダルを獲得するのとは全然違いました。よく考えると不公平ですよね」

──現在は、オリンピックが最高峰のようで、世界選手権がオリンピック予選となっている状況もあります。オリンピックの金メダリストも、世界選手権の優勝者も「世界一」であることに変わりはありません。

「はい。でも、世間の注目度が違うんですね。だから多くのアスリートたちは、オリンピックのメダリストになりたいんです。

 柔道家の藤猪省太さんは、1970年代に世界選手権を4連覇されました。当時は2年に1度の開催でしたから、これは大偉業です。でも代表に決まっていたモスクワ大会(1980年)を日本はボイコットしましたからオリンピックのメダリストではありません。

 そのため、藤猪さんの名前を知る人は少ないんです。偉業を果たしても、活躍した舞台がオリンピックでないと、その価値が正当に評価されないのが現実です」

──だから多くの競技が、オリンピックに残りたいと考えるわけですね。

「オリンピック競技であるかないかによって、人気、そして強化費も大きく変わってきますから、当然なのかもしれません。

 でも、メリットばかりでもないんです。

 オリンピック競技であり続けるために、ルール変更を受け入れざるを得ないこともあります。柔道でも道衣に青色が加えられました。理由は、テレビ映えと観客にとっての見やすさです。競技が『やる人がメイン』から『観る人がメイン』へと変わって、そこからさらに、本来の競技の形が崩されてしまう危険性もあるんです」

柔道がJUDOへと変わりゆく中でブルーの道衣が用いられるようになった(写真:ロイター/アフロ)
柔道がJUDOへと変わりゆく中でブルーの道衣が用いられるようになった(写真:ロイター/アフロ)

──たとえ人気が下がっても、ルールを変えられてまでオリンピックに残る必要はないという考え方もありますよね。

「剣道はオリンピックとは一線を画すと決めています。武道として築き上げてきた理念と文化を守り続けています。人間の目に重きを置いていますから、ビデオ判定も導入しません。勝ってガッツポーズなどしようものなら一本を取り消し。それこそが剣道なのだという独立性を貫いています。そうした本質が変えられてしまうかもしれないオリンピックに加わりたいとは考えていません。

 でも、柔道やほかの多くの競技はそうはいきません。一度、オリンピック競技になったら、その競技の発展のためにも離れられません。それだけ影響力がある巨大イベントです。オリンピックは『魔物』なんですよ。選手の人生だけではなく競技の理念やルールまでも変えてしまうんです」

──最後に、オリンピックは、今後どのように変化していくと思われますか。あるいは、どのような未来像を望まれますか。

「将来的に国別対抗という形式はなくなるのではないかと思います。いまでは、国籍を2つもっている選手も少なくありません。昔とは違って、国家間の行き来、移住も盛んに行われています。

 日本生まれ、日本育ちだけれど他国から出場する選手もいれば、逆のケースもあります。「日本のメダルとしてカウントされるから応援する」というのもどうなのでしょう。どこの国の選手であってもパフォーマンスの素晴らしさを感じられる価値観を持ちたいですよね。

 美しい絵を前にした時、どこの国の人が描いたかなんて関係ないですよね。その作品自体に魅かれるんです。音楽や芸術と同じように、国別対抗がなくなってこそ、『平和の祭典』にふさわしいのかもしれません。

 コロナは私たちにさまざまな試練を突きつけました。オリンピックもこれまでにない危機に直面し、変化を求められています。オリンピックはどうあるべきなのか、どうあって欲しいのか。私は、次の世代のアイデアとエネルギーに期待しています。才能、情熱のある若い人たちは大勢います。彼らが自由に発言し、活躍できる環境を作っていけたらと思います」

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

スポーツジャーナリスト

1967年1月26日生まれ、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から『週刊ゴング』誌の記者となり、その後『ゴング格闘技』編集長を務める。タイ、インドなどアジア諸国を放浪、米国生活を経てスポーツジャーナリストに。プロスポーツから学校体育の現場まで幅広く取材・執筆活動を展開、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。『グレイシー一族の真実』(文藝春秋)、『プロレスが死んだ日。』(集英社インターナショナル)、『情熱のサイドスロー~小林繁物語~』(竹書房)、『柔道の父、体育の父  嘉納治五郎』(ともに汐文社)ほか著書多数。仕事のご依頼、お問い合わせは、takao2869@gmail.comまで。

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