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朝3時着替え、食堂3時間放置、半年で認知機能低下ー91歳入居者が激白“介護現場のリアル”

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著者:h.koppdelaney

数年前には連日連夜大々的に取り上げられた“介護施設での事件”が、今回はテレビではあっさりと、紙面では三面で小さく報じられている。

今年の8月に東京都中野区の有料老人ホームで、入所者の男性(83歳)を殺害したとして元職員の男(25歳)が逮捕されたこちらの事件である。

ホームを運営するニチイケアパレスは

「遅刻や欠勤はほとんどなく、まじめに勤務していた。メンタルヘルスのチェックもしていたが、ひっかかることは一切なかった。当時の勤務体制は国の基準を満たしている」

と説明し、厚労省は介護施設の職員による高齢者への虐待が年々増加していることから(※)、自治体に再発防止策をとるように通知。施設長を対象に研修を実施し、「職員のストレス対策」として対人関係スキルの向上や感情コントロールスキルの習得などの教育を求めている。

※厚労省の調査で介護施設での虐待は06年の54件から9年連続増加し、15年度は408件、被害者は778人だった。

言わずもがな、介護施設は慢性的な人手不足だ。

介護保険制度が施行された2000年の介護職員は55万人。その後徐々に増加し、2013年には171万人と約3倍になったが、高齢化のピッチが速すぎて職員の数を増やしても増やしても追いつかない現実がある。

つまり、「国の基準を満たしている」とか、「職員のストレス対策を厚労省は指示している」とか、「体制に問題はありません!」とし、あくまでも「個人の問題」にするのではなく「介護現場の問題」として改善策を講じる必要があることは明白である。

これまでにも介護施設の問題や介護と仕事の両立の難しさを、幾度となく取り上げてきた。

しかしながら、介護問題の真の問題は「実際にその状況に直面した人じゃないと、ストレスの雨の冷たさがわからない」ってこと。

どんなに大変だ、どうにかしないと、と騒ぎ立てても、経験のない人たちはちっともリアリティを持てない。

かくいう私も父がすい臓癌に侵され“プレ介護”状態を経験するまでは、その中のひとりだった。

「良かった、もう大丈夫!」と安堵する日と

「嗚呼、どうしたらいいんだろう」と途方に暮れる日が入り乱れ、

「親の変化と向き合うのは、物理的にも精神的にも容易じゃない」

ことを痛感し、出口の見えない孤独な回廊に足がすくんだ。

「追い込まれるから必死にやるんでしょうに……」と、

以前、私が介護問題について書いたコラムに寄せられたこの

コメントの言葉の重さを、つくづく痛感したのである。

そこで少しでもリアリティをもっていただくべく、先日、91歳の誕生日を迎えた“友人”が見た「今の老人ホーム」の有り様を紹介する。

友人は90歳のときに「90歳の入居者が激白!介護ホームの“悲惨なる日常”」で、介護現場の職員の方たちの苦労を話してくれた女性と同一人物である。そちらも是非お読みいただきたいのだが、そこでも書いたとおり、ご主人が要介護となりご夫婦でホームに入所。終の住処で3年の時が過ぎた。

「夫のような車いすの入所者は毎朝、6時過ぎになると食堂に連れて行かれます。70人近い入所者の配膳、投薬などをわずか3~4人のヘルパーが行うのですが、ヘルパーの中の2人は夜勤を終えたまま引き続き働いているので、気の毒で見ていられません。

人手が足りなすぎて物事が進まず、結局、車いすで部屋へ連れ戻されるのは9時過ぎ。つまり窮屈な車いすに3時間近くも座らせられているのです。

週2回の入浴日はもっと大変です。朝食後、入浴時間まで食堂で車いすのままずっと待っていなくてはならない。終わるとまた食堂に連れて来られて、そのまま昼食になるので、部屋に戻ってくる時には6時間も経っているのです。入所者は増えてもヘルパーの数は変わらないので、そのしわ寄せが夫のような、車椅子で介護度4か5の人たちにもろにきています。そういう入所者のほとんどは、自らの意志表現ができない状態なので、じっと我慢しています。

午前3時少し過ぎに隣室の夫の部屋から物音がするので、すぐ様子を見に行ったところ、ヘルパーが夫の着替えをしているところでした。3時頃はぐっすり眠っている時間なのに、無理やり起こされて おむつ替えなどさせられている夫が哀れでならなかったです。ヘルパーに文句を言ったところ、『今から始めないと朝食に間に合わない』という返事が返ってきました。

ホームを運営する本社に『改善してほしい』という要望は出しているのですが、答えは『低賃金のためヘルパーを募集しても応募がない』の一点張りです。

前途が真っ暗になるような回答しか返ってきません。結局、ヘルパーの数が増えない限りどうにもならない、ということを再認識させられ、途方に暮れるのです。

このホームに入所して3年近くの間、人生の末期の棲み家を求めて老人ホームに入所した高齢者を観察してきましたが、痛切に感じるのは会話の大切さです。ホームの生活は自室で話し相手もなく過ごすため、会話が非常に少ないのです。

入所当時は杖なしでさっさと歩き、私の問いかけに即答していた人が、毎食時とレクリエーションの時間以外は、ほとんど自室で過ごすため、みるみるうちに反応が悪くなっていきます。幸い夫は私が一緒に入所したため、比較的会話の機会があるので、今でも私の問いかけには声こそ小さくなりましたが、いつも即答しています。

昨年6月、某有名銀行支店長の奥様が入所しました。食事の席が同じだったので、私は早速、彼女に話しかけました。彼女はホームに入所した経緯や、2人の子供の話、12年前に他界されたご主人のこととか、家庭の情報をよどみなく話してくれました。

入所後は自室では何をすることもなく一日中会話もなく、ぼんやりと過ごしているようでした。近くに住む娘さんも滅多に姿を現しません。そして、彼女が入所してから半年が経過する頃、私は彼女の脳細胞が破壊されていることを感じるようになりました。私の問いかけにとんちんかんな返事をしたり、髪は乱れたまま、服のボタンは掛け違ったままで食堂に来るようになったのです。それと並行して歩行が困難になり、杖、そして車いすを使うようになっていきました。

彼女は今では私の顔も認識できないのです。わずか1年で変わり果てた姿に驚いています。こんな例は彼女だけではなく、他にも同じような人が数多くいます」

たったひとりの親のケアだって大変なのに、3名で70人近い人たちに、ご飯を食べさせ、お風呂に入れ、部屋まで付き添うだなんて想像しただけで恐ろしくなる。その間、トイレをもよおす人だっているし、具合が悪くなる人だっているかもしれない。ちょっとした行き違いで、怒鳴ったり、わがままを言ったり、ぶつかり合うことだってあるだろう。

尋常でない激務と人手不足が、職員の人たちだけでなく高齢者をも極限状態に追い詰めている状況は、“友人”の話から痛いほどわかる。

本当は職員の人たちだって、おじいちゃんやおばあちゃんがちょっとでも笑顔になるようなサービスをしたいし、ふとした会話で元気になる様子をみたい。厳しい状況の中で、必死に、本当に必死に頑張っているのだと思う。

でも、たわいもない会話を楽しむ余裕など“リアル世界”には存在しない。

「おしゃべりな人は認知症になりにくい」とは介護業界ではよく聞かれる話だし、「会話は生存率にも影響する」との指摘もある。が、“今の現場”では次から次へとやらなくてはならないことだらけで、会話の時間が奪われ、言葉のやりとりのない世界で、おじいちゃん、おばあちゃんたちの生きる力が奪われているのだ。

人生最後の時間がこんな悲惨な状況でいいのか?

これで納得できるのか?

もっとできることがあるのではないのか?

38万人――。

これは8年後の2025年に不足する介護職員の人数である。

団塊の世代が75歳以上になる2025年度には、介護職員が約253万人必要になるとされるのに対し供給の見込みは約215万人。およそ38万人の介護職員が足りなくなる。

生きていれば誰もが老いる。昨日まで出来ていたことがひとつひとつできなくなる。

そんなときにはどうしたって他者からのケアが必要となる。

どういう老後を迎えるのが望ましいのか、自活できなくなったときの尊厳を守るにはどのような条件が必要なのか。

それを正面から議論しない限り、悲しい事件はなくならない。

そのためにもどうかこれを読むひとりひとりが、「自分ごと」として考えていただきと願いコラムを書きました。

その他のメディアでも私なり解決策などとその都度書いているので、機会があればお読みいただければ幸いである。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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