【九州三国志】鍋島三代の軌跡!祖より受け継ぎし赤熊の誇り
鍋島経房、清久、そして清房――鍋島氏三代に渡る軌跡は、少弐氏と龍造寺氏という肥前の二大勢力を揺るがす歴史の波の中で、実に劇的でございます。
経房は少弐教頼の子として生を受け、母方の鍋島家を継ぎました。
初名の清直から経房と改名するその経緯は、外祖父・経直からの深い影響をうかがわせます。
鍋島家の始祖として、その名は代々語り継がれることとなりました。
次代の清久は、赤熊の面をかぶり田手畷の戦いに挑んだ猛将として記録されております。
その活躍によって龍造寺家兼にその実力を認められ、鍋島氏は龍造寺氏の重臣としての地位を確立。武勲の中でその名を高めていったのでございます。
そして清房は、智略と忠誠をもって家兼の信頼を得ました。
一方で、隆信の家督相続に難色を示すなど、一筋縄ではいかぬ人物でもありました。
後に子の直茂に家督を譲り隠居するも、沖田畷の戦いでの直茂の生還を密かに喜んだと伝えられています。
鍋島家の未来を守るその姿に、深い家族愛を感じざるを得ません。
鍋島三代の物語は、鍋島家という一族の始まりと、その確立の過程を鮮やかに描き出したものでございます。
きっと、この地の赤熊武者たちも、彼らの生き様を今なお誇りにしていることでしょう。