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フランシスコ法王のミャンマー訪問がロヒンギャ問題にもつ意味:人道危機における宗教指導者の役割とは

六辻彰二国際政治学者
ヤンゴンで開かれたフランシスコ法王のミサに参加する女性(2017.11.30)(写真:ロイター/アフロ)

 11月28日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王がミャンマーを訪問。フランシスコ法皇のミャンマー訪問は初めてです。滞在中、法王はミサを行った(ミャンマーには人口の約1.3パーセント、約70万人のカトリック信者がいる)他、アウン・サン・スー・チー氏やミャンマー軍のミン・フライン司令官と会談。主にロヒンギャ問題について話し合ったと伝えられています。さらに、ミャンマー仏教界にも「偏見」と戦うことを呼びかけました

 フランシスコ法王はこれまで、世界各地のさまざまな問題について発言してきました。しかし、今回の訪問ではロヒンギャを民族として認めないミャンマー政府に配慮して「ロヒンギャ」の語を用いなかったため、欧米諸国では批判や失望の声があがっています。「ロヒンギャ」の語を用いなかった背景には、ミャンマー政府を追い詰めることでかえって状況が悪化することを懸念する、ミャンマーのカトリック教会の責任者チャールズ・ボー枢機卿からの要請があったといわれます。

 とはいえ、今回の訪問が全く無意味ともいえません。人道危機や政治的な対立の解決に期待される宗教指導者の役割は、即効性より関係性にあるからです。

カトリック教会と政治

 今日の先進国で一般的な「政教分離」の原則は、ヨーロッパで生まれました。これはローマ・カトリック教会と世俗の皇帝や国王の間の勢力争いの結果で、聖と俗を明確に分けることでお互いの縄張りを守ることが可能になったといえます。そのため、近代以降のカトリック教会は公式には政治に介入しない姿勢を保ってきたのです。

 この転機は第二バチカン公会議(1962-65年)だったといわれます。初めて全ての大陸からカトリック教会の責任者が集まったこの会議で、バチカンは政治に介入しない姿勢を転換したのです。

 カトリック教会が政治問題に口を閉ざすことは「政教分離」の原則に適ったものである一方、「現状を追認」することにもなります。実際、それまでラテンアメリカなどカトリック信者の多い土地で独裁や紛争があっても、「政治に介入しない」ことを前提にバチカンが発言することはほとんどありませんでした。

 第二バチカン公会議でカトリック教会はこの姿勢を改め、独裁に対する改革を支持する勢力となったのです。これはラテンアメリカ諸国、スペインやポルトガル、韓国、フィリピンなど、カトリック信者の多い国で、1970年代半ばから1980年代後半にかけて軍事政権やファシスト体制が相次いで崩壊する一因となりました【S.ハンチントン『第三の波』】。

 さらに、1978年に法王に即位したヨハネ・パウロ2世は、当時共産主義体制のもとにあった母国ポーランドの民主化運動を支援。その精神的支援を受けたポーランドは、冷戦末期の東ヨーロッパで相次いだ民主化の先駆けとなったのです。

フランシスコ法王の活動

 現在のローマ法王、フランシスコ法王はローマ・カトリック教会の教義に反しかねない同性愛に一定の理解を示すなど、これまでの法王と比べても政治や社会に積極的に発言、活動してきました。

 世界各地の民族・宗派間の対立に関しても取り組んできており、例えば2015年には1983年から2009年まで内戦が続いたスリランカを訪問。内戦終結後も続いていた仏教徒中心のシンハラ人とヒンドゥー教徒の多いタミル人の間の不信感を払しょくするため、内戦中の出来事に関して告白して赦し合うことを呼びかけました。また、キリスト教徒とムスリムの衝突が続く中央アフリカを2015年に訪問した際には、安全上の大きな問題を抱えながらもモスクで現地のイスラーム指導者とともに和平と融和を呼びかけました

 もちろん、これらが問題の直接的な解決につながるとは限りません。実際、例えば中央アフリカでは、その後も民族・宗派間の衝突は絶えません。

 しかし、その活動は悲惨な状況に対する世界の関心を集める効果がありますピュー・リサーチ・センターの調査によると、2010年段階でキリスト教徒は世界に約22億人。世界全体の約31.5パーセントを占めます。このうちローマ・カトリックは約50パーセントを占めるとみられます。

 つまり、ローマ・カトリック教会は世界で最も信者の多い宗派の一つなのです。そのため、その最高責任者であるローマ法王の動向は世界的に注目されやすいものです。

他の宗教指導者の限界

 他の宗教の指導者が総じて海外の政治、社会問題に発言・活動しないことは、ローマ法王の動向がもつインパクトを相対的に大きくしているといえます。ローマ法王以外の宗教指導者の多くが政治問題に口を出さないことは、大きく二つの理由が考えられます。

 第一に、国家との関係です。先述のように、「政教分離」の原則はヨーロッパで生まれました。ローマ・カトリック教会の場合、その「分離」は、かつては「何も触れない」ことを前提としていましたが、第二バチカン公会議からは「離れていても関わりまでは絶たない」にシフトしました。このように独立した立場で発言・活動することをよしとする市民文化の定着した欧米諸国では、国家から独立した宗教指導者の行動の自由をも生まれてきたといえます。

 これに対して、欧米圏以外の多くの国では、宗教指導者の多くも国家の管理下に置かれがちです。それは各国政府の意向と無関係の言動をすることへのブレーキになりやすいといえます。

 同じくキリスト教でも、ロシア正教会の場合、ロシア帝国の時代から国家のもとに置かれてきました。イスラームはその長い歴史を通じて、総じて国家からの干渉が排されてきましたが、20世紀以降は政府の決定をイスラームの論理で正当化する役割が高位の宗教指導者に求められることが増えました。「精神の解放」を目指し、社会から距離を置きがちな仏教は、その教義からして政治や社会に働きかけるエネルギーが弱く、結果的に国家・政府の方針に公然と異議申し立てすること自体が稀になりがちです。

 そのため、とりわけ海外の政治問題に関して、独自の発言・活動を行う宗教指導者は、世界全体でむしろ少数派です。例えば、ロヒンギャ問題に関して発言している宗教指導者は、確認される範囲で、ローマ法王を除けば、チベットのダライ・ラマや、トランプ政権にロヒンギャ難民保護を求めたりイスラエルにミャンマー政府への武器売却を停止するよう求めた米国の一部のユダヤ教ラビなどごく少数に限られ、日本の全日本仏教会などもこの問題に関する統一見解などは示していません。

宗派内の分裂

 第二に、ローマ・カトリック教会ほど宗教指導者の見解が末端の信者まで行きわたりやすい宗派も珍しいことです。中世以来、ローマ・カトリック教会は聖職者の位階制が極めて明確で、最高責任者であるローマ法王は教義の裁定者でもあります。そのため、バチカンと異なる教説を説く聖職者は職を剥奪されることさえあります。

 言い換えると、ローマ法王のもとで考え方が一元化されやすく、バチカンの動向や方針は世界各地のカトリック教会を規定することになりやすいといえます。英国の歴史学者E.H.カーによると、「…カトリック教会は史上で初めて検閲制と宣伝組織とを作り出した。中世の教会が最初の全体主義国家であったことは、近時の一史家の所見において重視されている点である」【E.H.カー『危機の二十年』】。この「上意下達」はその他の宗教・宗派と比べても際立つローマ・カトリック教会の大きな特徴です。

 これに対して、特に欧米の保守派から「自由と縁遠い」とみなされることさえあるイスラームの場合、ウラマーと呼ばれる宗教指導者たちの説法は、基本的に自由です。そのため、イスラーム圏でも政府と関係の深い高位のウラマーほど欧米諸国との協力を否定しない説法をする一方、一般の人々の感情と近い若手ウラマーほど欧米に批判的な、過激な説法を行う傾向があります。その結果、例えばサウジアラビアでは政府と結びついた高位ウラマーにのみ政府の決定に対する見解を示すことを認めていますが、これは政府への不満をさらに増幅させる悪循環にも陥っています。

 ともあれ、他の宗教・宗派も、統一した見解や方針が生まれにくいという点では、多かれ少なかれ同じです。ミャンマーでも、ロヒンギャ排斥を正当化する一部の過激派仏教僧に対して、同国の高位仏僧の会議体サンガ・マハ・ナヤカは説法禁止などの措置を取りながらも、実質的には彼らを止められていません。

 このように多くの宗教・宗派では、全体の見解や方針を一元的に代表する指導者は稀で、それは結果的に、特に海外の出来事に対して、宗教・宗派を代表した働きかけが難しくなりやすいといえます。この観点からみれば、教義の裁定者として絶対的な影響力をもつ点でローマ法王と共通するダライ・ラマが、やはり世界のさまざまな問題に発言してきたことは、不思議でないといえます。

宗教指導者の限界と可能性

 こうしてみたとき、ロヒンギャ問題に代表される、世界各地で発生する問題の解決に関与することは、多くの宗教指導者にとって困難といえるでしょう。宗教指導者の限界は、そのまま国際関係や国家‐宗教関係の複雑さ、あるいはそれぞれの宗教が抱える課題を浮き彫りにしているといえます。

 一方、ローマ法王とて全能ではありません。冒頭で触れたように、今回の訪問でフランシスコ法王が中立性を前提に関与したことは、結果的にミャンマー政府の立場をも認めるもので、それはロヒンギャ問題の解決に結びつかないという見方は可能です

 ただし、一度の訪問で成果があげられなかったことをもってフランシスコ法王を批判することも酷といえるでしょう。仲介や調停を行う者には、中立性とともに関係性も期待されます。つまり、各当事者と関係をもたない者は、いかに中立の立場であっても、それぞれの立場に対して影響力を発揮することもできません。

 その意味で、フランシスコ法王が中立に近い立場を保ちながらも関与の意思を示したことは、周囲の環境がミャンマー政府にロヒンギャとの協議へと向かわせる状況になった際、その橋渡しを可能にする余地を残したといえます。そして、フランシスコ法王の種まきが奏功するか否かは、ミャンマー政府への各国の働きかけによって左右されるといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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