「不登校は問題行動ではない」全学校へ向けて通知、知られずに1年~国と現場がかみ合わないカラクリ~
「学校に行きたくない子を学校に来させちゃダメです」。
8月27日、教育イベント『未来の先生展2017』での前川喜平元文科事務次官の発言だ。
8月20日にも「夏休み明けが本当に危ない。“学校に行かない”キャンペーンをしたいぐらい」だと講演会で語っており、話題を呼んだ。
発言を聞いた小学校教員は「学校関係者は『学校へ来させちゃダメ』とは言えない。現場から離れるとずいぶんと自由な発言ができるんですね」と皮肉まじりに話した。
しかし、じつは前川元事務次官の発言は、文科省の意向から大きく外れたものではない。
不登校本人に非がない 文科通知
ちょうど1年前の9月14日、文科省は小・中・高、すべての学校へ向けて「不登校を問題行動と判断してはならない」との見解を含む通知を出した。通知は、前川元事務次官が在職中に出されている。
通知は、不登校の子への支援は学校復帰のみに捉われず、学校を休む子どもが悪いという「根強い偏見を払しょくすることが重要だ」との見解を示している。また、不登校は休養や自分を見つめ直すなど「積極的な意味を持つ」ことがあることも付記された。
こうした通知が出た理由として、文科省担当官は「子ども本人に非がないことをあらためて明示した」と説明している。
矛盾解消に兆しが見える通知
一方、通知に関して、ある中学校教員は「これまでの不登校対応を考えると、180度、態度が変わった印象がある」と話す。
文科省は不登校について「喫緊の課題」だと位置づけ、早期発見・早期解決を促している。
他の教員と同様、この教員も「不登校は問題であり、一日も早く学校へ戻すことが求められている」と思っていた。
しかし、不登校支援の目的は「学校復帰のみに捉われず」という通知の一文は、これまでの対応を変えていいことを意味する。これによって「現場が困る」のかと言えば、そうではない。中学校教員によれば、学校へ行きたがらない子どもを、学校へ戻すことのみを支援とするやり方に「限界を感じていた」からだ。
中学校教員は、自分のクラスの子が不登校になると、「1日でも早く学校へ戻すように」という学校の指示と、「学校へは戻りたくない」という本人の思いの板挟みに苦しんできた。また、スクールカウンセラーや養護教員とも連携するよう求められているが、実際には担任が一人で抱え込まなければならないケースが多かった。
学校復帰のみにこだわらなければ、不登校の子が家のなかで育っていくホームエデュケーションの道も模索することができる。また、これまで「学校復帰を目的としてないから」という理由で疎遠だった自助グループや民間団体との連携も視野に入れられる。
通知は「現場の矛盾を解消する兆しになる」と中学校教員は話す。
知られていない通知
しかし、通知の趣旨が周知徹底されているとは言い難い。
前述の中学校教員は私が編集長を務める『不登校新聞』によって通知の存在を知ったが、1年経った今でも学校からは通知について知らされておらず、見てもいない。別の教員も報道で通知の存在を知り、校長に掛けあったところ、未開封の通知メールが校長のパソコン内で見つかったという。
通知が周知されない背景として、ある小学校教員は、そもそも文科省からの通知は日常的にとても多く対応しきれないこと、そして、これまでの不登校への認識とは異なる通知に対して「教育委員会や校長も戸惑いがあるのではないか」と話す。
矛盾解消は子どもの助けにも
通知をめぐる取材で明らかになったことは、文科省と学校現場のあいだで不登校の認識や対応をめぐってギャップが生じていることだろう。前川元事務次官の発言が話題になったのも、ギャップの裏返しだと言える。
いずれにせよ通知は教員の助けにもなる。教員の助けになる通知は、不登校する本人が助かる通知にもなりえる。
8月30日~9月5日の一週間で8人の子ども自殺と思われる事件が発生した。学校が始まるこの時期の死は、やはり学校が苦しかったのに学校以外の道はないと追いつめられたのではないだろうか。そう思うと「学校死」とも呼びたくなる。
何度もくり返されてきた悲劇を止めるには、「不登校は問題行動ではない」「本人に非がない」ということを、学校に行っている人にも、行っていない人にも積極的に伝えていくことが必要ではないだろうか。
通知から1年、いまだ知られていないという現状にかんがみると、あらためてもう一度、その趣旨の周知徹底が望ましいと思える。