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内山高志の去就

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
4月27日の敗戦から1カ月以上が過ぎた(写真:中西祐介/アフロスポーツ)

「今のところ、2回話し合いました。まだ結論は出ていませんが、やるとしたら大晦日でしょうね」

ワタナベジム、渡辺均会長は、内山高志の去就について、そう語った。

「8月に、河野公平と田口良一が世界タイトルの防衛戦をやるので、『その時に復帰戦をどうだ?』と訊いてみましたが、『8月は無理』との返事でした。気持ちも体も準備が整わないということでしょう。内山が希望すれば、大晦日にカムバック戦を組んでやりたい。やるのなら、王座返り咲きの道を歩ませますよ。でも、もっと休んでもいいし、年齢的なこともあるので…。内山がやると言えば、勿論組むし、引退の結論を出すとしても、十分やったという気持ちもあります。本人の意思を尊重します」

渡辺会長は内山の王座転落について、「やはり慢心があった」と説いた。

内山が海外での試合やビッグマッチを望んでいたのは、周知されている。そこで、質問してみた。

「大晦日にチューンナップ戦をして、海外で挑戦というのもあり得ますか?」

「そうですね、まだ漠然としていますが、そういう場面があれば考えたいですね」

慢心

1999年9月、私は統一ウエルター級タイトルマッチ、オスカー・デラホーヤvsフェリックス・TITO・トリニダード戦をリポートした。ボクシングファンがご存知のように、デラホーヤは僅差の判定でプロ生活初黒星を喫した。

敢えて述べるなら、勝てた試合を落とした。

前日計量の際、デラホーヤは全裸で計に乗らなければ147Pにならなかった。下着分の100グラムを削ぎ落とさなかったのである。当時、私は「100グラムの慢心」というタイトルで原稿を書いた。

内山の敗北が、慢心であるのなら、先の試合をラストマッチにするのは惜しい気がする。とはいえ、決めるのは、内山本人。悔いを残さないことを祈るばかりだ。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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