様々な困難を乗り越えてサラブレッドを救おうと尽力する一人の女性の物語
カウガールを経験した後、競馬の世界へ
今春のドバイ、そして香港にも彼女の姿があった。この両国ではすっかりお馴染みになった小柄な女性は、名を関麻里子と言った。
関が生まれたのは1973年12月。父・陽久、母・啓子の下、神奈川県横浜市で生まれ、弟と共に育てられた。
通っていた幼稚園の近くに大学の馬術部があり、馬に興味を持った。高校で1年間アメリカ・サウスダコタへ留学。外にはバッファローが闊歩しているような田舎で、ホームステイ先の家では飼っている牛を馬で追い立てるのが当たり前。関もこれに駆り出され、正真正銘のカウボーイならぬカウガールを経験した。
帰国した後は馬術部のある大学を選び、獨協大学に入学。馬術に興じた。
95年、大学3年の時、グリムという名のサラブレッドと出会った。乗用馬としての馴致から関わったこの馬に「恩返しをしたい」と、大学卒業後の97年「親から借金して買い取った」。
グリムを預けた乗馬クラブには2歳年上のインストラクターがいた。今でも「先生」と呼ぶ彼と、関はその後、籍を入れた。
また、同じ頃、知人の紹介で世界の競馬評論家の合田直弘と出会い、彼の会社・リージェントでアルバイトをするようになった。国際レースに出走する日本馬の陣営のコメントを英訳するため2002年から香港、08年からはドバイへ飛ぶようになったのは、そんな繋がりからだった。
父の死、震災、愛馬の死、様々な困難から救ってくれたのは……
06年には夫婦の夢である乗馬クラブ・常総ホースパークを美浦トレセン近くに設立。グリムも手元に置くようになった。
「その後グリムは競技馬を引退。繁殖にあげて種付けしようと宮城の乗馬クラブへ送りました」
種付けを終えた後、事件が起きた。
「種付け帰りの馬運車の中でグリムが倒れたという電話が入りました」
結局、その血を残す事なく愛馬は逝ってしまった。
15年間も連れ添い、全日本障害馬術大会にも連れて行ってくれた愛馬との別れに涙した同じ頃、関の父が倒れた。癌だった。その後、入退院を繰り返した父は10年の半ばから本格的な入院生活。そして、年が明けた11年1月6日、62歳の人生に幕を下ろした。
それから2カ月余り後の3月11日。常総ホースパークで曳いていた馬が突然暴れ出した。どうしたのか?と思っていると事務所から先生が血相を変えて飛び出してきた。次の瞬間、関は体験したことの無い揺れに見舞われて尻餅をついた。東日本大震災だった。
パニックに陥った馬が1頭、壁を蹴り上げて骨折した。思わぬ被害に顔を覆った関。父が他界した直後でもあり、この後のドバイでの仕事は断ろうかという思いが頭をよぎった。
しかし、東北ではもっと絶望的な状況に置かれている同業者が多数いる事を知った。グリムが最後の種付けを行った乗馬クラブは40頭の管理馬が全て津波に飲み込まれていた。方々に散らばった馬の亡骸は時に土砂の中から脚だけが突き出ているなど、とても目を当てられない状態のものもあった。当時は馬よりも人の命を優先的に考えなければならない状況であり、まして亡骸を葬るのは後回しにされた。そもそも移動させるための重機を運ぶ事すら出来ない状況だったのだからそれも致し方なかった。流された愛馬は息をしている状態で見つかったものの、出血がひどく動かす事が出来ない。そもそも移動させる術も場所もなく、泣く泣くその場で別れを告げなければならいケースもあった。そんな話を小耳に挟んだ関は心を痛めた。そして、思った。
「自分に出来る事は何でもしようと考え、支援活動に参加しました」
その一環として、世界中のホースマンやマスコミ関係者にも呼びかける。そのためにドバイへ飛ぶ事を決意。実際に中東で惨状を訴えると、世界から集まった多くの関係者が賛同する動きを見せてくれた。
「私のクラブで骨折した馬は、私がドバイへ出発する日に死んでしまいました」
そんな悲しみをいくらかでも癒してくれるのもまた馬だった。悲痛な想いを胸に飛んだドバイでは、ヴィクトワールピサが優勝。「来て良かった」と心から思えた。また、被災したストロングブラッド(03年カブトヤマ記念ほか)を預かるようになったのも震災がもたらした幸運だった。
それから8年が経ったが、関は毎年、欠かさずにドバイと香港へ飛んでいる。
また、常総ホースパークも現在23頭の元競走馬を含む26頭を管理するまでに成長した。ピーク時は30頭の面倒もみた関は言う。
「お客様が楽しめるのは勿論ですが、馬達が少しでも幸せな余生を過ごせる場所にしたいという気持ちが強くあります」
敷地は限られているし、頭数が増えれば関夫妻にかかる負担は大きくなる。しかし、それでも行き場所の無くなった馬を見捨てるわけにはいかず、声がかかると何とか預かれるように尽力する毎日だと言う。彼女が新聞の見出しとなる事はないだろう。しかし、馬を愛する気持ちはどんな有名な調教師や騎手にも劣らない。彼女の活躍を応援したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)
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