明日海りおエドガーが人間界に再び降臨、梅田芸術劇場『ポーの一族』
萩尾望都の人気漫画を舞台化した『ポーの一族』が1月11日、大阪・梅田芸術劇場にて開幕した。2018年にタカラヅカが舞台化し、話題になった作品である。そのとき主役の「永遠の14歳の美少年」エドガーを演じた明日海りおが、退団後の初舞台として再びこの役を演じる。いっぽう、それ以外の主な役どころには様々なジャンルから個性あふれるキャストが集まった。
ストーリー展開は2018年に上演されたタカラヅカ版をほぼ踏襲する。孤児の兄妹であるエドガーとメリーベルはバンパネラ(この作品における吸血鬼の呼称)の一族に迎え入れられる。だが、あるきっかけからメリーベルを失ったエドガーは、学友として出会ったアランを永遠の旅のパートナーとするため一族に誘う。
原作漫画は1話完結の短編が続いていく形式で、時代を行きつ戻りつしながら進むが、舞台ではそれが時系列に組み替えられた。原作の「ポーの一族」「メリーベルと銀のばら」「小鳥の巣」などを組み合わせつつ、一部オリジナルのエピソードが組み込まれた物語が展開する。
筆者は16日のライブ配信を視聴したが、タカラヅカ版をほぼ踏襲しているのにもかかわらず、まったく違う印象を受けたのが興味深かった。
梅田芸術劇場版とタカラヅカ版の違いは、いわば『エリザベート』における東宝版とタカラヅカ版の違いに近い気がした。タカラヅカ版は2次元の世界の3次元化であるのに対し、梅田芸術劇場版は原作の世界をリアルに舞台化したという感じだ。
ゆえに、タカラヅカ版を観た時は、幻想的で美しい世界を漂う感覚だったが、今回は人間たちとバンパネラとの生々しい相克のドラマだった。「多くの出演者に見せ場を」というタカラヅカ独自の事情がないためだろうか、主要な登場人物がすっきりとクローズアップされたことでも、よりドラマに入り込みやすかった気がする。
その中で明日海演じるエドガーは、永遠の14歳の少年が心に秘めた誰にもわからぬ哀しみを、タカラヅカ時代よりさらに鮮明に描いてみせた。醜い現実世界に降臨したエドガーだけが異次元の存在感を放ち、その孤独がくっきりと浮かび上がる。
いっぽう千葉雄大演じるアランは、リアルな14歳の少年が持つ繊細さや不安定さを手に取るように感じさせる。聞けば、自ら手を挙げてこの役に挑んだとのこと。正直、最初に上演が発表されたときはエドガーのパートナーとなるこの少年役を演じられる男優が果たしているのだろうかと疑問だったが、実際に千葉アランを見てキャスティングの妙に唸らされた。
綺咲愛里のメリーベルは、可憐な外見とは裏腹に「心は大人」の女性であることも感じさせる。その心に風化した辛い恋愛体験をずっと秘め続けている切なさがある。
ポーツネル男爵(小西遼生)はエドガーの前に立ちはだかる絶対的な「父」であった。決して厳しいだけではない、最後には頼れる存在としての父である。その妻シーラ(夢咲ねね)は、クリフォードに対してはもちろんエドガーに対してさえもどこまでも魔性の女性でタカラヅカ版とは少し違った雰囲気。より原作のキャラクターに近い感じがした。
自身も大のタカラヅカファンだという中村橋之助が演じる医師クリフォードは、地元ではちょっとモテるがあくまで実直に仕事に励む医者という風体。婚約者ジェイン(能條愛未)も華やかなシーラとは対照的な控え目な清楚さで、ともに田舎町で地に足つけて生きていた彼らが、ポーツネル一家との出会いにより巻き込まれる悲劇が際立ってみえた。
圧巻だったのは老ハンナとブラヴァツキーの2役を演じた涼風真世だ。とくに、物語の後半に登場する降霊術師ブラヴァツキーは、原作には登場しないオリジナルキャラクターであり、ストーリーの中で重要な役割を果たす人物だけに、強烈な存在感は必要不可欠だ。
また、冒頭の老ハンナ役でもタカラヅカ版とは一味違い、人間たちを突き放すような威厳を感じさせる役作り。福井晶一演じる大老ポーも朗々とした歌声で王者の風格だ。「ポーの一族」を率いて登場するこの二人からは、選ばれし者としての誇りが感じられ、幕開けから圧倒させられる。
このほか目を引いたのは金髪をなびかせるユーシス(新原泰佑)の儚い美しさや、物言わぬトワイライト家の執事(松之木天辺)の存在感など。群衆シーンにも迫力がある。生オケによる音楽と重厚なセットが、どこか虚しい作品の世界観を後押しする。
オンライン配信の実施によって幅広い層が気軽にこの作品に触れることができたのも、今回独特の現象ではないだろうか。観客の裾野の広がりが舞台にどんな刺激を与えていくのか。2月に予定されている東京公演での反響も楽しみだ。
もっというと、『エリザベート』や『ロミオとジュリエット』『1789』などのように、タカラヅカでの上演の後に男女混合で上演されて人気を博した海外ミュージカルはいくつかあるが、今後は海外ミュージカル以外でも同様の展開がありえるのではないか、とも思った。その意味で、この作品は日本のオリジナルミュージカルに新たな潮流が生まれつつあることも予感させる。