【京都市】下京区「八坂神社御旅所」横にある『冠者殿社』は「誓文払い」のご利益♪歳末大売出しのルーツ!
![](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/dk/expert-image/kozushokairica/article/00534590/top_1690291257117.jpeg?exp=10800)
7月1日から1ヶ月にかけて行われている日本の三大祭りの一つ『祇園祭』は、『八坂神社』のお祭りです。
![「八坂神社御旅所」](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/dk/expert-image/kozushokairica/article/00534590/internal_1690291822144.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
『八坂神社御旅所』には、『祇園祭』の際に『八坂神社』から神様が鎮座されたお神輿3基が1週間、渡御されます。
![「八坂神社」](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/dk/expert-image/kozushokairica/article/00534590/internal_1690291870853.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
17日に行われるこの神事を「神幸祭・神輿渡御」、また『八坂神社』に24日に戻られるのですが、その神事を「還幸祭」と言います。
![](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/dk/expert-image/kozushokairica/article/00534590/internal_1690291904680.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
その「八坂神社御旅所」の西端横には、『冠者殿社』が鎮座されています。
冠者殿社は八坂神社の境外末社。 ご祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)の荒魂です。
俗説では土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)の霊を祀ると伝えられているそう。
土佐坊昌俊とは、「平家物語」に出てくる源頼朝や源義経ゆかりの人物。
源頼朝の密命を受けて上洛し、義経に堀川館に呼び出された時、熊野詣の途中と弁解し、二心がないことを誓紙に書いたにもかかわらず、誓いを破って義経を襲いました。しかし失敗し、引立てられてきた土佐坊に義経が「起請文の神罰があたったな。だが主君の命令を重んじて、自分の命を軽んずる。その志はけなげである。命が惜しくば助けてやるが、どうだ」と言うと、「武士は名を惜しむ。この命は鎌倉殿に差し上げた。情けがあるなら、早く首を斬れ。」というので六条河原で処刑されました。(『平家物語全注釈・巻12』)
この時「忠義のために嘘をつく者を救いたい」と願をかけます。
![](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/dk/expert-image/kozushokairica/article/00534590/internal_1690292198923.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
そのことから、「冠者殿社」は「誓文払い」の社として知られています。
また日本書記や古事記にある「天照大神と素盞鳴命の誓約」の話から関連付けられたと考えられています。
毎年十月二十日の祭りを俗に「誓文払い」という。
昔の商人は神様に商売ができることへの感謝と、利益を得ることに対する償いの意識をもっていた。
この感謝と償いの意識により年一回の大安売りをして、お客様に利益を還元する商道徳がしっかり守られていた。
この本来の誓文払いの精神を継ぎ、商人の方々は商売繁盛を、一般の方々は神様の清き心を戴き家内安全で過ごせるよう願って十月二十日に大勢参拝されます。八坂神社」(説明板より)
“歳末大売り出し”のルーツで発祥地でもあるそうですよ!
商売人が商品を売るためにお客さんを欺いたり、芸舞妓がご贔屓さんに嘘をついたりすることの「罪滅ぼし」として、商売人は「誓文払い」としての大売り出しをしたことからだそう。
京都の繁華街のど真ん中にこんな歴史がつまった場所があったとは、驚きですね!
冠者殿社
〒600-8031 京都市下京区貞安前之町609