香川ファイブアローズを新たな挑戦の場として選んだ前ニュージーランド代表指揮官
2006年夏、日本の前に立ちはだかったニュージーランド代表の司令塔
昨年の10月下旬、香川ファイブアローズがワールドカップでニュージーランド代表を率いたポール・ヘナレを招聘したというニュースは、筆者にとって衝撃だった。ヘナレは香川にやって来る前から日本のバスケットボール界にとって縁のある人物。トールブラックスという愛称で知られるニュージーランド代表の選手として、2006年の世界選手権では日本相手にハーフタイムでの18点差を逆転して勝利したときの先発ポイントガードだった。4Q残り1分25秒でペロ・キャメロン(現ニュージーランド代表ヘッドコーチ)が同点の3Pを決めた際、ヘナレはボールのないところでスクリーンをセットし、オープンでシュートを打てる状況を作っていたのである。ニュージーランドに大逆転負けを喫し、決勝トーナメント進出を逃した日本が、その後長い低迷期に突入したことは、今も多くのバスケットボールファンの記憶に残っているはずだ。
「選手の何人かは私がここでプレーしていたことについて質問してきたよ。私がワールドカップに出て日本と対戦したことなど知らないと思っていたけど、彼らは知っていた。遠征時にある選手が2006年の試合をネットで見つけ、自分自身を見ていた私に対して選手たちは質問してきたね。試合の記憶はあまりないけど、日本がすごくよかったのは覚えている。我々はリードされたから、(後半を)全力で戦い、ディフェンスし続けたことで勝つことができた。決勝トーナメントに進むには絶対に必要な勝利だったね。少し前のオフに友人たちと(あの試合が行われた)広島で数日過ごしたけど、自分にとっては特別な時間になったし、行けたことが素敵に思えた」
こう語るヘナレは現役引退後にコーチのキャリアをスタートさせ、昨年のワールドカップでニュージーランド代表の指揮官として采配を振るった。順位決定戦で日本と対戦した際には、18本の3Pを決めるなど111対81のスコアで大勝。「ワールドクラスの選手である八村(塁)がプレーしなかった。彼がいれば我々はあのような大差で勝つことはなかったと思う。日本はワールドカップに向けてしっかり準備し、試合を重ねてきた中で、チームの中心である彼が突然離脱したとなれば、リズムをつかむことや新たな役割を分担するといったことはとても難しいもの。我々がいいプレーをしたのは間違いないけど、八村の欠場が少しラッキーだったとも思える。彼がいたら我々が勝てなかったと言っているのではなく、もっと競った試合になっただろう」と振り返ったヘナレは、東京五輪の出場権がかかった最終予選でもニュージーランド代表を指揮するつもりだった。
新たな挑戦の場はニュージーランドとオーストラリア以外を希望
代表の指揮官であっても、専念できるサラリーを払えるだけの資金を用意するのが難しいくらい、ニュージーランド協会は財政がよくないという。試合の開催時期が異なることもあり、ヘナレはニュージーランドとオーストラリアの国内リーグに所属するチームのコーチも務めるという三足のわらじを履く状態にあり、家族とゆっくり過ごせる時間がほとんどなかった。ワールドカップが終わった後は、シーズンオフに家族と過ごせる時間の確保、新たな挑戦の場を見つけたいと思うようになっていく。
「トールブラックスは私の人生で大きな部分を占めてきた。人生のほぼ半分にあたる17年間、選手、アシスタントコーチ、ヘッドコーチとして関わってきたからね。トールブラックスは家族のようなものだ。私の家族と同じくらい、彼らのことを気にかけている。トールブラックスが私に様々な機会を与えてくれたことは本当にハッピーなんだ」と話すように、ヘナレはニュージーランド代表に対して強い愛着を持つ。トールブラックスのヘッドコーチは夢の仕事だった。
しかし、香川が提示してきた条件は、新たな挑戦の場として「ニュージーランドとオーストラリア以外で自分を試してみたかった」というヘナレにとって魅力的なもの。昨年夏、ニュージーランド代表がワールドカップに向けた準備で来日し、千葉と川崎で試合をした経験から、日本のバスケットボール界は進展していると認識。「ヘッドコーチ就任の機会があるとわかった時点から決断を下すまで、あまり時間はかからなかった。新しい人生の始まりにとてもエキサイトしている」と語ったヘナレは、香川と3年契約を締結し、長年低迷していたチームをB2で勝てるようにし、最終的にB1昇格が可能なレベルに上げることを目指している。Bリーグの印象について質問してみると、次のような答えを返してきた。
「とてもプロフェッショナルで、組織化され、バランスが取れている。B1とB2それぞれ18チームあるけど、とてもバランスが取れたリーグだと思っている。トップチームと下にいるチームがあるけど、すべてのチームがどんなチームを相手にしても勝つ可能性を秘めている。どのチームにも有能な外国籍選手が複数いる。60試合あることがとても楽しいし、すごいことだと思う。短期間での変化や準備というのが私にとっては新しいことだけど、継続してやらなければならない仕事のすべてを楽しんでいる」
来日から2か月強、ヘナレが香川を指揮するうえで感じた最大のチャレンジは、一貫性のなさからくる好不調の波が大きいことの改善。B2の上位チームを倒した後、低迷しているチームにあっさり負けてしまうという現状がある。しかし、チームのケミストリーに関してはすでに手応えを持っており、開幕時から指揮してきた石川裕一アシスタントコーチを「選手たちを一つにまとめ、素晴らしいカルチャーを構築してくれた。結束したグループの中に入れた私は幸運だった」と称賛。1月6日時点で香川がB2西地区2位の21勝9敗という成績を残せているのは、石川アシスタントコーチが作ったベースをヘナレコーチがうまくアレンジしてきた成果だ。
香川は前ヘッドコーチの選手に対する暴力行為、長期に渡る低迷、経営難といった問題を抱えていたチームだった。しかし、9月中旬から新しい経営体制になったことでヘナレコーチを3年契約で招聘することに成功し、バスの長距離移動を減らして飛行機移動にするなど、選手たちの待遇面もいい方向に改善されつつある。選手、コーチとして世界を体感してきたヘナレの下、香川は飛躍へのステップを着実に踏んでいると言っていいだろう。