北朝鮮に射殺・焼却された韓国人遺族が頼るのは――文在寅政権よりワームビアさんの両親という歪さ
韓国・延坪島周辺海域で今年9月21日、韓国人男性(当時47歳)が行方不明となり、その後、北朝鮮側に射殺、焼却されるという事件が起きた。韓国世論の硬化を懸念した金正恩朝鮮労働党委員長は早々に謝罪のメッセージを伝えつつも遺体焼却は否定、文在寅政権は及び腰の対応になった。そんな政権の姿勢に男性の遺族は強い不信感を抱き、オットー・ワームビアさん(北朝鮮に抑留されたのち死亡)の両親との連携を図るなど、独自の動きを見せている。
▽事件経緯
男性は韓国海洋水産省所属の漁業指導員。当時、指導船に乗って延坪島周辺海域で違法漁業の取り締まりをしていた。9月21日正午前、昼食の際に姿を見せなかったことから、行方不明になっていることが判明。海上警察などが海や空から捜索したものの手がかりは得られなかった。
ところが、翌22日午後3時半ごろになって、韓国軍が「男性が救命胴衣を着け、浮遊物に乗って北朝鮮・登山岬近くの海域を漂流しているのを、朝鮮人民軍傘下の水産事業所の船舶が発見した」との情報を入手した。
韓国軍はその後も「SIGINT」(最先端機器を使って通信・電磁波・信号などを傍受する諜報活動)による情報収集を続け、「午後4時40分に防護服とガスマスクの人員が接近し、一定の距離を保ちながら事情聴取」「午後9時40分、朝鮮人民軍が男性を海上で銃殺した」「午後10時10分ごろ、軍人が遺体に近づき、油をかけて焼いた」という状況を把握した。
こうした内容は午後11時ごろ、大統領府に報告され、韓国国内に緊張をもたらした。
北朝鮮は25日、早々に党統一戦線部名義で韓国政府に通知文を送り、独自の調査結果を明らかにした。
それによると、北朝鮮の軍部隊が22日、自国側海域に男性が不法侵入したとの一報を受けて出動▽80mまで接近して身元を尋ねたが明確な回答がなく、空砲を2発撃った▽驚いた男性が逃げるそぶりを見せたため、行動準則に従って十数発の銃撃を加えた。この時、男性との距離は40~50mだった▽男性が乗っていた浮遊物に大量の血痕を確認したが男性の姿は見当たらなかった。非常防疫規定に基づき、浮遊物を焼却した――との釈明だった。
通知文で金委員長は「われわれの海域で意図しない恥ずべき事件が起きた。文大統領と南の同胞を大きく失望させたことを、非常に申し訳なく思う」と謝罪。「これまで積み上げてきた北南間の信頼と尊重の関係が崩れないように必要な安全対策を取る」と低姿勢を示した。
▽批判の矛先は韓国政府にも
韓国当局は「男性は進んで北朝鮮行きを試みた」との見方を示している。
文政権寄りの有力紙「ハンギョレ新聞」は25日の段階で「男性には同僚職員らに多額の借金があり、一部の債権者は給与の仮差押えを裁判所に申し立てていた」「4カ月前に離婚した」「船尾右側にスリッパが揃えられており、足を踏み外した可能性は低い」などと報道し、男性に北朝鮮行きの動機がある点を強調していた。
ただ、この見方を疑問視する声も上がる。
「行方不明になった海域は潮流が激しく、1日4回も潮の流れが変わる。水温も低い。北朝鮮まで40km近くある。こんな条件なのに、海を熟知する人間があえて泳いで北朝鮮を目指すだろうか。本気で北朝鮮に行きたいなら、もっとやりやすい方法があるはずだ」
「北朝鮮行きを考えていたなら、韓国での社会的地位を示すのに必要な身分証明書を持っていくはずなのに、それが船内に残されている」
「男性は9月14日に一等航海士になったばかりだった」
こうした観点から「意図的な北朝鮮行きではなく転落事故」との見方も出ていたのだ。
さらに、北朝鮮側の通知文に関しても▽自分たちの行為を自衛的対応だったと一方的に主張している▽浮遊物につかまり気力が尽きていた人間が果たして「脅威である」と言えるのか▽救命胴衣を着用しているのに人間だけ沈んで浮遊物が残るのは常識的に考えにくい――などの疑問点も指摘され、「北朝鮮は韓国人殺害を正当化し、隠蔽しようとしている」という解釈につながった。
この状況をさらに複雑にしたのが、文大統領の発言だ。
10月28日に国会で文大統領は「韓国国民の死亡により、国民のご心配は大きいことだろう」と発言した。「銃殺」や「殺害」ではなく「死亡」と表現したのだった。
保守系の朝鮮日報は11月8日付論文で「“北朝鮮が殺人犯”という事実をうやむやにしようとしている」「海洋警察を動員して遺体を捜索させたのも、『遺体だけでも取り戻してやりたい』という遺族への思いやりではなく、『遺体は焼却しなかった』という北朝鮮の主張を『証明』するのが目的だ」と反発している。
韓国海洋警察は男性の失跡後、1300隻以上の船舶、230機以上の航空機を動員して周辺海域を捜索したが、遺体や浮遊物の痕跡を発見できていない。
◇ワームビアさん両親との連携模索
こうした文政権の姿勢に不信感を抱いているのが、男性の兄・李来珍(イ・レジン)さんだ。
10月にソウル駐在の国連人権事務所を2度訪れ、弟が死亡した経緯に関する自身の見解を伝えたうえ、真相解明を求める要請書を提出した。ただ人権事務所側は「われわれは調査機関ではなく、調査は各国政府がするもの」との立場だったという。
次に李さんが協力を求めたのは、北朝鮮で17カ月にわたり抑留され昏睡状態で解放されたが6日後に死亡した米国人大学生オットー・ワームビアさんの両親だった。
李さんが両親に協力を求めたところ、両親から英文のメッセージが送られてきた。
「私たちは金正恩体制による嘘と恐ろしい人権侵害の被害者であり、彼らに立ち向かうことがどれほど重要なことなのか知っています」
「トランプ大統領と米政権は、オットーの正義を求める努力にとても協力的でした。文大統領は李さん一家の権利のために立ち上がらなければなりません」
これを10月中旬、フェイスブック上で公開し、世論のバックアップを求めている。
海洋警察は10月22日の中間発表で「(男性が)ギャンブルに没頭しており、切迫した経済状況だった」「精神的にパニック状態で、現実逃避のために北朝鮮に向かったと判断される」と、これまでと同様の見解を発表した。李さんは28日、韓国メディアの取材に「海洋警察を国連人権委員会に提訴する」と態度を硬化させている。
北朝鮮側はこうした動きを念頭に、朝鮮中央通信の報道文(10月30日付)を発表し、「われわれは黄海海上の水域で、遺体を発見して家族のもとに返すために最善を尽くしたが、残念ながらまだ実を結んでいない」と表明しながらも「『人権問題』まで取り上げて、国連をはじめとする国際舞台に広めようと悪声をあげている」と警戒心をあらわにしている。