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日本の中高年もハマる、韓国ドラマ『愛の不時着』に見る北朝鮮のリアルすぎる生活

中島恵ジャーナリスト
韓国ドラマ『愛の不時着』のワンシーン(ドラマより画像を引用)

 長く続く不安な巣ごもり生活の中、日本でも大ヒットの気配となりつつあるのが韓国で大ヒットしたドラマ『愛の不時着』です。人気急上昇中のネット動画配信サービス、Netflixでは2月から連続してトップ10入りを果たすほどの人気ぶり。若者だけでなく、かつて『冬のソナタ』などにハマったことがある中高年の間でも大きな話題になっているとか。なぜ今、『愛の不時着』に夢中になる日本人が増えているのでしょうか?

「あり得ない」設定なのに夢中になるワケ

『愛の不時着』は2019年12月~2020年2月に韓国のケーブルテレビで放送され、ケーブル放送としては異例の高視聴率21・7%を叩き出し、歴代第1位の快挙となりました。

 そもそも設定は北朝鮮のエリート将校と韓国の財閥令嬢の恋愛ドラマという「絶対あり得ないでしょう!!」というもの。韓国で企業経営する女性、ユン・セリ(演じるのはソン・イェジン)がパラグライダーの事故により、なんと北朝鮮に不時着してしまう、というところから物語が始まります。

 そこで偶然出会った北朝鮮の軍人、リ・ジョンヒョク(演じるのはヒョンビン)が彼女をかくまって生活していくうちに愛が芽生え……という展開。まるで「昼メロ」のようなタイトルであり、内容なのですが、この恋愛ドラマの王道を、北や南の厳しい現実を織り交ぜながら展開していくところが「現代版のロミオとジュリエット」にたとえられ、「あり得ないけれど、もしもあったら素敵だな」と、ハマっていく人が多いといわれています。

セリ(左)とジョンヒョク(右)(ドラマより画像を引用)
セリ(左)とジョンヒョク(右)(ドラマより画像を引用)

 また、韓国で経済的に恵まれていても、心に傷を負って生きてきたセリが、北朝鮮の素朴な人々の人情に触れ、心を動かされて変わっていくところや、北朝鮮の男性ジョンヒョクが、決して男尊女卑な軍人ではなく、愛した女性を命がけで支えていこうとするところに“ドはまり”し、惹かれた人も多かったといわれています。

 何より、このドラマを見て「北の人々も、私たちと同じように喜怒哀楽のある血の通った人間であり、彼らも生まれた場所で必死に生きているんだ」と実感することができた人が多いように感じます。

 そして、このドラマが他の韓国ドラマと大きく異なるのは、マスメディアの報道ではほとんどわからない北朝鮮の一般庶民の生活ぶりがとてもリアルに描かれている、という点でしょう。同ドラマを制作する際、脚本家などは当初から大勢の脱北者に取材を行い、現地での生活実態などをつぶさにヒアリングしたといいます。その結果、北と南の軍事的な状況を描いた過去の作品などと比べ、北の生活の細部まで描くことに成功しています。

脱北者でなければわからないリアルな生活

 思いがけず北朝鮮に着いてしまった韓国人女性、セリが迷い込んだのは、ソウルから車で1~2時間とされる小さな村。そこでは中国やベトナムなどの社会主義国でも見かける赤いネッカチーフを首に巻いた素朴な子どもたちが広場で遊び、村の女性たちはかまどで火を焚いたり、共同の洗濯場で、手洗いで洗濯をしています。家の庭には大きな穴を掘った食料保存庫があり、そこに食料を保存しています(こうした食料保存庫は中国の東北部でも、かつてはよく見られました)。肉を食べる機会は少なく、トウモロコシや野菜中心の生活です。

北朝鮮の女性たちと食事するセリ(ドラマより画像を引用)
北朝鮮の女性たちと食事するセリ(ドラマより画像を引用)

 女性たちの中には「人民班長」と呼ばれるリーダーがいて、コミュニティ(村)の人々を束ねています。家に他人を泊める場合は保安署に届け出なければならず、夜間には当局が抜き打ちで「宿泊検閲」を行うこともあります。家庭内に電化製品はほとんどなく、生活は素朴で貧しいですが、野外の市場(チャンマダン)に行けば、「南町」(南朝鮮)という隠語で呼ばれる韓国製の化粧品やシャンプーなど、お金を出せば買えるものもたくさんあります。

 特徴的なのは「停電」です。日本でも50代以上の人なら、昔日本でもよく停電していたことを覚えていると思いますが、北朝鮮の村では今でも停電は日常茶飯事。突然電気が切れてしまい、ロウソクをつけて食事をすることも珍しくありません。日本の中高年の中には、そんなシーンや村の人々が助け合って生活している姿に、どことなく懐かしさや共感を覚える人も多いでしょう。しかし、私が驚いたのは、地方から平壌に向かう汽車が停電で止まってしまい、数時間から数日間も動かなくなるというシーンです。

 乗客たちは仕方なく汽車から飛び出して野宿するのですが、そこに村人たちがやってきて、一斉に物売りを始めます。薪を持ってきて焚火をしたり、トウモロコシを売ったり。そんなシーンも脱北者からの証言がなければ、決して描けなかった部分でしょう。

 また、北朝鮮ならではだと感じるのは、秘密警察による「盗聴」です。チョン・マンボクという男性は20年以上も地下の暗い部屋で盗聴の仕事だけをしてきて、皆から「耳野郎」と揶揄され、息子まで周囲からいじめられています。このシーンから、北では目をつけられたら盗聴されるという厳しい現実を知ることができます。ホテルの部屋はもちろん、家での会話を盗聴することも容易。しかし、北に住む人々は自分も盗聴されるかもしれないことを知っていて、言動には常に注意しています。

ドラマに見る北朝鮮特有の表現

 一方で、村から離れた首都の平壌に住む特権階級の人々や、ある程度以上の地位にある軍人であれば、スマートフォンを持ち、タクシーに乗り、ホテルで食事をしたりするなど、その生活はとても豊かです。ドラマに出てくる富裕層の女性、ソ・ダンの洗練された服装やロングヘアは、「北では今でもあり得ない」ものだそうで、その部分はかなり脚色されていますが、日本のメディアで見る北朝鮮の画一的で怖いイメージだけでは伝わらない別の姿が実はたくさんあるのだ、ということは確かだといえます。

 ドラマを見ていておもしろかったものに、北朝鮮特有の単語があることでした。たとえば、こんなものです。

 花ドレス=ワンピース、穴あき菓子=ドーナッツ、世帯主=夫、主人、箱飯=弁当、手票=サイン、バリバリ車=タクシー、禁断線=軍事境界線

 北朝鮮の人々は、実は韓国ドラマの大ファンだ、とはよく聞く話ですが、このドラマの中でも韓国ドラマにハマっている青年の微笑ましいエピソードが出てきます。この『愛の不時着』もきっと北の人々も夢中になって見ていることでしょう。そう思うと、あながちすべてがフィクションとはいえないような気がして、また夢中になって見てしまうから不思議です。

ジャーナリスト

なかじま・けい ジャーナリスト。著書は最新刊から順に「日本のなかの中国」「中国人が日本を買う理由」「いま中国人は中国をこう見る」(日経プレミア)、「中国人のお金の使い道」(PHP新書)、「中国人は見ている。」「日本の『中国人』社会」「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日経プレミア)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など多数。主に中国を取材。

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