引退を決めたカーメロ・アンソニー
カーメロ・アンソニー(38)が現地時間5月22日(月曜日)、"苦い"と心境を吐露しつつ引退を発表した。NBAで19年プレーした大スターであることは、ここで説明する必要もないだろう。昨シーズン、ロスアンジェルス・レイカーズの控え選手としてプレーしたのが、現役生活の最後となった。
「私を作り上げてくれたコート、そして自分に、目的と誇りを与えてくれたゲームに別れを告げる時が来た」。
アンソニーはSNSにそう投稿し、自身の足跡を映像にまとめた。ゴーストフェイス・キラーの曲「All That I Got Is You」をバックに流したハイライトシーンは艶やかでもあり、もの悲しくもあった。なぜなら、もうアンソニーのNBAでのプレーを見ることは叶わないからだーーー。
シラキュース大のエースとして、全米選手権を制した後、2003年にドラフト3位でNBA入り。即、デンバー・ナゲッツの顔となる。
この年のドラフト1位は、アンソニーのライバルであり、親友でもあるレブロン・ジェームズだ。彼らは最後のシーズンと米国代表ではチームメイトだったが、戦うことで、互いにレベルアップを図った。
後にNBAの総得点ランキング十傑に入るだけあって、アンソニーはルーキーの頃から非凡な得点能力を発揮した。フットワーク、強靭なフィジカル、そしてコートのどこからでもジャンプシュートを放つ彼を止めるのは至難の業だった。
アンソニーは一年目にナゲッツをプレイオフに導いている。ジャブステップ、アップフェイク、ポストアップを駆使し、オールスターに10度選ばれ、NBA史上9位となる28,289ゴールをマーク。加えて、五輪では3つの金メダルと1つの銅メダルを獲得した。
ニューヨーク・ニックスのファンは、ブルックリン生まれのアンソニーを愛し、故郷のユニフォームを着ることを切望した。その期待に応え、2011年にニューヨークに移籍。同じくオールスター選手のアマーレ・スタウダマイアーとのコンビを結成する筈だったが、相棒のケガもあり、あまり機能しなかった。
6チームを渡り歩いたアンソニーは、プレイオフには当然のように進出したが、地区ファイナルが最高記録で、ナゲッツに所属していた2009年の1度のみに終わった。
「15」、「7」が彼の代名詞とも呼べる背番号だったが、私が間近で彼のプレーを見続けたのはポートランド・トレイルブレイザーズに在籍していた頃の「00」時代だ。デイミアン・リラードを引き立たせながら、ベテランらしくチームをまとめ上げた。
https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20210303-00225399
彼に憧れて育った対戦相手の選手からユニフォーム交換をリクエストされると、快く応じていたものである。メディアに対しても常にフレンドリーで、ポートランドが大雪に見舞われた際には「雪道の運転は危ないから気を付けて帰ってね!」と声を掛けられたことを思い出す。
2020年にジョージ・フロイドが白人警察官たちによる暴行を受けて殺害された折にも、積極的に動いた。アンソニーはクリス・ポールやドウェイン・ウェイドと慈善投資ファンドを設立し、有色人種のコミュニティへの投資や、刑事司法制度の変更を主張している。そんな姿も、ファンの胸を打った。
アンソニーは引退ビデオの中で、自分のレガシーはコート上の行いではないと語った。「俺のレガシーは息子だ」。そして、愛息の心に染み入るように発言した。「夢を追いかけろ。誰にも邪魔されないように。何物にも邪魔されないように。俺の魂は今、そして永遠に、お前を通して生き続ける」
カーメロ・アンソニーは、一流のNBA選手だっただけでなく、最高のパパだ。コートを離れても、人間としての魅力を示し続けるであろう。