Yahoo!ニュース

日中関係の軛になった恣意的な歴史の「記憶と忘却」

木村正人在英国際ジャーナリスト

日中首脳会談は実現する

英国と日本の相互理解を目的とするロンドンの非営利法人「大和日英基金」で9月30日夜、日中関係と民間外交をテーマにパネルディスカッションが行われた。

日本から元自衛艦隊司令官の香田洋二氏が、英ノッティンガム大学で現代中国を研究する中国系のスティーブ・ツァング教授が参加し、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のバリー・ブザン教授が司会を務めた。

元自衛艦隊司令官の香田氏(右)とノッティンガム大のツァング教授(筆者撮影)
元自衛艦隊司令官の香田氏(右)とノッティンガム大のツァング教授(筆者撮影)

質疑応答で筆者は、11月に北京で開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)で日中首脳会談が実現するか、質問してみた。

ツァング教授は「安倍晋三首相と習近平国家主席は会うことになると思います。実現しないと双方にとって困ったことになります」と即答した。同教授は「内部情報を得ているわけではありません」と断ったが、中国当局からある程度、感触を得ているようにうかがえた。

中国当局にとって安倍首相は小泉純一郎首相と同様、中国にへつらわない日本のリーダーで、「会ってみよう」と思わせる政治指導者だ。「任期中は靖国神社には参拝しないことを条件に首脳会談は実現すると思います」

しかし、APECで日中首脳会談が実現しても、1972年のニクソン電撃訪中と同じぐらい日中双方に戦略的な重要性があるかというと、「象徴的な意味が大きい」とツァング教授は語る。

安倍首相にとっては何もしないより首脳会談を申し込んで断られた方がまだ救いがある。

中国にとって、経済力の低下が著しい日本の重要性は下がっている。今の日本と中国の間には、かつてのような戦略的な互恵関係は存在しないのが悲しい現実だ。

尖閣問題が歴史問題になったことで、中国共産党でも国内世論をコントロールするのは難しくなっている。だから習近平国家主席は強い政権基盤を持つ安倍首相と会談して、尖閣問題をクールダウンさせる必要があるのだ。

つくられた抗日ナショナリズム

一方、香田氏はパネルディスカッションで1937年の支那事変から日本の中国への「侵略」が始まったとの認識を示し、西洋列強ではなく野蛮な日本人の「侵略」を許したことが中国にとっては受け入れがたい屈辱になっていると分析した。

日中関係を決定的に悪化させたのは何と言っても2012年の尖閣諸島国有化だ。石原慎太郎・東京都知事(当時)に尖閣購入を許すと恒常施設を建設したり、人を常駐させたりする恐れがあるため、民主党の野田政権(当時)が代わりに購入した。

「日本の基本方針は尖閣の現状維持であって現状変更ではない。中国政府は誤解している」と香田氏は説明した。

日本国内には石原氏の突出行動を支持する声があるが、石原氏の言動は政治的な人気取りになっても、日中関係には何のプラスにもならないことを日本は自覚すべきだ。

中国共産党も、強硬な国内世論の手前、「日本は現状変更した」と主張するポーズを取らざるを得ない。

しかし、こうした日中関係のパラドックスを生み出しているのは、何を隠そう、中国共産党の選択的な歴史認識だ。

ツァング教授の解説が面白かった。「日中戦争でたくさんの中国の将軍が死にましたが、この中に共産党の将軍は何人いたでしょう」

答えは「たった1人です。しかも、旧日本軍との戦闘で死んだわけではありません。しかし、共産党が旧日本軍を破ったという神話が必要なわけです」。

ツァング教授によると、訪中した日本の社会党関係者は毛沢東に日中戦争で与えた多大な損害と苦痛を詫びたが、毛沢東は冗談まじりに「どうして詫びる必要がある。旧日本軍が蒋介石の国民党と戦っていなかったら、今の共産党中国は存在しない」と言い放った。

しかし、ベルリンの壁が崩壊したのと同じ年に起きた1989年の天安門事件をきっかけに、中国共産党は自らの正統性を共産主義というイデオロギーではなく、抗日というナショナリズムに求めるようになる。

抗日ナショナリズムが中国共産党の新しいイデオロギーになった。中国にとって日本は米国に次いで2番目に重要な国であるにもかかわらず、歴史教科書で徹底的に悪魔化された日本に弱腰を見せるわけにはいかない。

これが中国共産党の抱える歴史と現実のパラドックスだ。

歴史のウラ、オモテ

こうした中国共産党の事情が日中関係を難しくしている。司会を務めるLSEのブザン教授がもっと論争を呼びそうな日中間の忘れられた歴史を紹介した。

「第一次大戦が終わった1918年当時、蒋介石を含め数万人の中国人留学生が日本で近代化を学んでいた。その多くは旧清朝の弾圧を逃れてきた政治亡命者だ」

「1850年から1960年にかけて、中国人に殺された中国人の数は、日本人に殺された中国人の倍になります」

これに対して、会場の知日派から「やはり日本は加害の歴史について認識すべきです」「加害の歴史を否定しようとする日本の姿勢が中国共産党につけ入るスキを与えている」という疑問が寄せられた。

ツァング教授は「タカ派の安倍首相が南京を訪れ、跪けばシンボルになるかもしれません。日本の謝罪が十分ではないという意見がありますが、中国共産党は日中間に問題を必要としているのです」と解説する。

ツァング教授の父親は国民党に所属していた。母親は頭を下げなかったというだけの理由で日本兵に日本刀か銃剣で額を切られ、血まみれになった悲惨な体験をしたという。

「しかし、それが戦争なのです。今の国民世論は、直接体験に基づくものではなく、歴史教育による二次的なものです」

パネルディスカッション後のレセプションでツァング教授にさらに質問をぶつけてみた。

――習近平国家主席の外交政策は今後、変わりますか

ツァング教授「変わらないと思います。中国は世界第2の経済大国になったことで自信をつけています。中国の外交政策は独断的になりました」

――今の共産党支配体制はいつまで続くでしょう

「20年は続くと思います。しかし、30年後はどうなっているか分からないと思います。中産階級が拡大するからです」

戦後70年に向けて

来年の戦後70年に向けて日本は何をなすべきか。日中関係や日韓関係を悪化させた最大の原因は双方の恣意的な歴史の「記憶と忘却」にある。

中国や韓国は問題を固定化させるため日本の影ばかりを強調し、一方、日本は影の歴史に光を当てようとしない。こうした安倍首相と側近の態度が「歴史修正主義」という批判を浴びている。

結果的に日中間、日韓間の問題を固定化させる右派の歴史修正主義こそ、中国共産党の正統性を強調するためのプロパガンダの都合の良い材料に使われてしまっている。

筆者は戦後の韓国や中国への経済協力、50年の村山談話、それを受けたアジア女性基金の歩みは間違っていなかったと思う。

日本はこれまで積み重ねてきた談話や天皇陛下のお言葉を大切にし、「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」(村山談話)ことを忘れるべきではない。

その上で、戦後、日本が韓国や中国の復興を支援するために協力を惜しまなかった歴史を民間交流などを通じて両国の国民に丁寧に伝えていくしか道はないのではないか。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事