【秋田県横手市】七夕の猛暑に訪れた価値観がガラリと変わった絶景スポット。
2022年7月7日、今日の横手市はひどい暑さだ。織姫と彦星の感動的な再開も、この暑さなら延期されるかもしれない...。それくらい暑い日だった。
ところで、近年の日本の暑さはどうしたものか。今年の5月には、横手市の最高気温は32度を観測し全国1位となった。なぜこんなに暑いのだろう。
暖かい大気は上昇し、海に到達する。その空気が海で冷やされ、陸に流れ込むというサイクルになっている。 ところが横手市のような盆地(横手盆地)は、山々に囲まれているため冷やされた空気が入ってこない。 横手市の気温が高い理由のひとつは、横手盆地にあるようだ。
今日はそいつにひとこと伝えたいことがあったため、筆者はある場所にやってきた。
横手盆地を体感できる横手公園展望台(横手城)
秋田県の南東部に位置する横手盆地。奥羽山脈と出羽山地に囲まれた、秋田県内で最大の平地である。横手公園展望台(横手城)では、それを見ることができるらしい。
横手城はその昔、朝倉城と言われていて、1550年頃、現在の秋田県南部に勢力を築いた小野寺氏によって造られたと伝わっている。
横手城は朝倉山を包むように横手川が流れ、背後は山、また山と奥羽山脈につづく独立した一箇の要害に建てられた平山城。当時は敵が這い登ることができないように韮(にら)を植えた築城だったため、別名「韮城」とも言われているようだ。するとこの場所は当時、韮のつんとした香りが漂っていたのだろうか。
1868年の戊辰戦争の際、横手城は落城し、965年に三層の「天守閣様式の展望台(通称:横手城)」が建てられた。横手城跡は現在横手公園として整備され、日々市内外の方々が訪れる憩いの場となっている。
この日、施設内の2階では「こけし展」が開催されていた。展示されているこけしは、故・高橋純一氏のコレクションとのこと。国鉄に勤務されるかたわら、『横手機関区史』や『大森村文書』を執筆し、退職後は横手郷土史研究会 会長や横手展望台の館長を歴任された方の、こけしたちだ。
過去にはこの展示スペースで「観光エキスパートの世界展」と題した、十文字和紙や浅舞絞りを展示するイベントなどが企画されている。地元の方でも知らないような発見ができる歴史系のイベントは、年々少なくなっている印象を受けるので続けて欲しいと願う。
3階には、墨絵師・御歌頭(おかず)氏による横手城の墨絵が展示されていた。かなりイケている墨絵なので、訪れた方はぜひ記念撮影をしてはいかがだろうか。
ようやく最上階(4階)に到着。窓やデッキから東西南北を眺望することができる場所だ。西側からはこの暑さの要因でもある、「横手盆地」が見れるらしい。東は北上(岩手県)方面、西は由利本荘市方面、南は湯沢市方面、北は秋田市方面を眺めるこができる。
「あぁ、横手って本当に山で囲まれているんだな」。
この暑さの要因でもある横手盆地に、「なんでこんなに山があるんだよ~!」といちゃもんをつけたかった。盆地の暑さに対する苛立ちやここに生まれた残念無念を、ここでぶつけてやりたかった(筆者は美郷町在住)。
現実を見て思う。
横手城にのぼり、あらためて横手盆地を目にした筆者の心の中には「絶景」、「感動」、「自然」、「共生」という文字ばかり浮かんできたのだ。
「インターネットを使えば、家でもこの景色が見れる」。
その通りだ。こんな暑い日に、わざわざ外出しなくてもいい。横手城に行かずとも、この記事に目を通せばあらゆる情報を確認できる。だが現場を体感した筆者は、それだけでは到底感じることができない気分を味わっている。「来てよかったな」と思えたのだ。
暑いも寒いも、盆地だから仕方がない?そうだろう。私たちはずっと、この自然と折り合いをつけて生きてきた。当然厳しさもあるが、それだけじゃない...。筆者とこの景色との出会いは、織姫と彦星が最初に出会った時の感動にも負けていない。
この記事を見ているみなさんも、熱中症対策をしたうえで、地元の魅力を再発見しに外へ出かけてみてはいかだだろう。きっと素敵な出会いがあるはずだ。(撮影協力:横手公園展望台 横手城)