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国内最古の企業チーム・JR北海道野球部が休部……

楊順行スポーツライター
北海道新幹線が開通した今年。JR北海道は都市対抗で3年ぶりの勝利を挙げたが……(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

「北海道新幹線が開通した今年、3年ぶりに白星を挙げたのはよかったと思います」

今年の都市対抗1回戦。新日鐵住金鹿島に2対1で競り勝ったあとの、狐塚賢浩監督の言葉だ。2回戦では日本新薬に敗れたが、「毎年ここ(東京ドーム)でプレーすることが目標」と続けた言葉からは、今回の休部という"異臭"はまるでしなかった。日本選手権でも3年連続の出場を果たし、敗れはしたが強豪・日本通運に0対1と接戦を演じてもいる。

その日本選手権が開催中のいま、飛び込んできたニュース。1909年、札幌鉄道局として創部した国内最古の企業チームが休部とは……都市対抗には13回出場し、07年には4強にも進出した名門が、である。

かつて北海道には、5強と呼ばれる社会人チームがあった。大昭和製紙北海道、新日本製鐵室蘭、王子製紙苫小牧、たくぎん、NTT北海道で、JR北海道はそれらとの切磋琢磨で力をつけてきたわけだ。だがその5強は現在、2チームがクラブチームとして活動するのみで、ほかは消滅。1963年、北海道の企業は18チームが登録していたが、JR北海道のクラブ化により、企業登録は航空自衛隊千歳のみとなる。

思い出すのは、同じJR北海道でも、バドミントン部のことである。53年に同好会としてスタートしたバドミントン部は、55年の第4回から全日本実業団選手権に参加し、59年には準優勝とたびたび上位に進出した。だが道内では、ライバル・NTT北海道の後塵を拝することが多く、79年に創設された日本リーグ1部(現S/Jリーグ)への挑戦もことごとくはね返され、ようやく昇格したのは、2004年のことだった。

特筆すべきはこのJR北海道バドミントン部、練習は一社員としてフルタイムの業務をこなしたあとに限られる、ということだ。社会人である以上、当然に思われるかもしれない。だがどんな競技でも、あるいは強豪であればあるほど、午前中に申し訳程度に職場に顔を出せば、午後からはもっぱら練習、というのが企業スポーツの現実だ。ハイシーズンになれば午前、午後と終日練習も当たり前、という世界。そんななか、JR北海道のバドミントン部は、終業後に練習する姿勢をかたくなに貫いてきた。しばらく取材にこそ行っていないが、近年、脱線事故などでの活動自粛期間があったから、練習の環境自体はさほど変わってはいないだろう。

"ふつうの部活"でも日本代表に

勤務地がばらばらの部員が集まるのを待つのは時間のムダだから、練習は体育館に着いた者から三々五々。5時に始める者もいれば、添乗の仕事の都合で9時にきた者は、アップが終わるころには体育館の閉館時間になる。ときには、残業のためにそこから職場に戻ることもある。つまり、いわば高校生のような"ふつうの部活"で、特別扱いはしないわけだ。そんな環境でも、トップ8チームが参加する過去の日本リーグで最高4位。競技が優先される上位チームにまじって、"ふつうの部活"チームが奮闘してきたのである。

なかにたとえば、竹村純という選手がいた。旭川工から01年に入社し、苗穂工場で部品の検査・点検を行うのが業務。さいわい体育館は同じ敷地内にあるから移動時間はかからないとはいえ、練習は勤務後の5時から9時がせいぜい。だが、そういう環境が肌に合ったのか、1年目から国内大会などで結果を残し、05年には日本代表B、08年にはA代表に選ばれるまでになる。ただ……。

「ナショナルの代表合宿に行くと、一日中ずっと練習でしょう。それが僕にはたぶん、合いません。ふだんの練習は一日3、4時間ですから、ナショナル合宿が1週間続くともう、体がもちませんでした」

と竹村は笑うのだ。竹村はやがて、30歳を迎えた年に全日本社会人というタイトルも獲得し、いまはコーチを務めている。

JR北海道野球部は今後、業務時間外に練習するクラブチームとして活動するという。狐塚監督によると、

「会社の現状を考えると、仕方がない。100年以上続く歴史が途絶えてしまうのは残念だが、クラブチームとして野球ができる環境を残してくれた会社に感謝したい」

つまりは、練習時間に限ってはバドミントン部と似たりよったりになる。むろん、個人競技のバドミントンと野球は単純に比較できるものじゃない。ただ、これだけはいえるんじゃないか。ほかのチームより練習環境に恵まれないからといって、まんざら悲観したものじゃない、バドミントンを見よ……と。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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