Yahoo!ニュース

「速報をやらないメディア」コレスポンデントは米大統領選報道の興奮に「落ち着け」と「冷や水」を浴びせる

奥村信幸武蔵大教授/ジャーナリスト
「より良い政治担当」マリク記者のコラム「アメリカの未来は明日だけじゃ決まらない」

(文中敬称略)

「速報をやらないメディア」はどこを見ているか

「速報も広告もやらない」メディアとして英語圏でのスタートを切って1年余り経った「コレスポンデント」をいろいろな場所で紹介してきましたが(彼らの基本理念については、こちらに詳しく書いています)、彼らがどのようなニュースを目指しているのか、過熱するアメリカ大統領選挙を前に、非常にわかりやすいコラムが出たので、そのエッセンスを紹介します。

コレスポンデントは通常のメディアのように、政治、外交、事件、エンタメなどのような記者の担当分けをしていません。その代わりに記者が独自のテーマを読者に示して、それに沿った出来事を見つけ出し記事にしていきます。例えば「人間関係(Otheringという差別や偏見なども含む表現)担当」、「気候変動担当」、「数学的基礎学力担当」など非常にユニークな担当が並んでいます

その中の「より良い政治担当(Better Politics)」のネスリン・マリク記者の書いたコラム「アメリカの未来は明日決まるのではなく、毎日決めていくもの」が米大統領選の前日に出ました。

「投票日夜の開票報道」は単なるテレビの都合

投票日が近づくにつれて、アメリカだけでなく日本を含めた世界のメディアが大統領選を詳しく報道し始めました。しかし大部分は、世論調査の結果を速報し「誰々が何ポイントリード」的な情報をだけを伝える「競馬の実況(ホースレース)」と言われるものや、「この選挙でアメリカの未来が左右される」的な大仰なタイトルを冠した討論などばかりです。

マリク記者は「報道される州は『スウィングし(民主、共和党の支持者が拮抗していつでもひっくり返る可能性がある)』、その瞬間は『決定的な意味を持ち』、この選挙の結果は『歴史的』。利害関係者への影響はいつだって『史上最大』」と皮肉ります。

しかし、その実態はニュースメディアが一大スペクタクルなイベントに仕立て上げただけではないのかと疑問を投げかけます。確かにイギリスなどに比べて国民が直接リーダーを選ぶ選挙なのでインパクトは大きいし国際的な影響も大きいけれども、政治は徐々に変化していくもので、突然惑星の軌道が変わるようなものではないはずだと、過熱する選挙報道に巻き込まれないように警告します。

ハフィントンポストのマイケル・ホブス記者の「『投票日当夜(の興奮)』はテレビの発明の産物で、民主主義から生まれたものではない」というツイートを紹介し、「毎日社会をかき回すメディアの生態系がもたらした究極の結果だ」としています。

マイケル・ホブス記者のツイート(2020年10月28日)
マイケル・ホブス記者のツイート(2020年10月28日)

メディアしかアクセスできない出口調査などの情報を使い、世論調査会社、政治評論家らを活用しての大げさなやりとりなどを見せて、実際は手順を踏んでいるだけのイベントを、緊張に満ちた言葉を連ねて、速報を欲しがる熱狂的な一部の人たちに届けているだけだと言うのです。

政治はおとぎ話とはちがう

マリク記者は「確かに今回の選挙をドラマチックに演出している要素はある。それは登場人物」と分析しています。

おとぎ話だと、「オレンジ色の顔をした妖怪が、王国を4年間、恐怖で支配し、抵抗できる人は現れなかった。伝染病を拡大するがまま放置し、自らもかかってしまったが、数日で治って人々の前に現れた」のように始まり、「聖なる指導者が現れ、妖怪を殺し、いにしえから続く平和と繁栄を取り戻した」とか、「王国が暗黒時代に突入する」か、どちらかに展開するが、政治はそんなものではないと言います。

現実は、トランプ、バイデンのどちらが当選しようと、それだけでアメリカの将来が決定的に左右されるわけでなく、むしろそれを後押ししたり、抑止したりする、国民による日々の選択の方が重要ではないのかと強調します。

いささか青臭い議論のようにも見えますが、そうでもないと私は思います。国家という組織は非常に巨大で、変化には時間がかかるものだからです。

メディアがトランプに協力してしまう構図

マリク記者は、歴史的に、マクロな視点でトランプ大統領を見ると、彼は「単なるノイズのようなもので、これまでの規範を外れた行動を取っているだけ。アメリカに不可逆的な変化をもたらす能力はないのではないかと思える」と分析します。彼の逸脱した行動は「政策上のものではなく、手続き上のものにすぎない」からです。

しかしメディアはこのような逸脱という違反を取り上げ、大げさに伝えることによって注目を集めており、「トランプと企業メディアは完全な協力関係になってしまっている」とも指摘します。トランプは人々の気をひき続けなければならずに逸脱行為を繰り返し、メディアはニュースに注目を集めるため、その常識外れの行動に飛びつくという、相互依存の構図です。

マリク記者はトランプ大統領がアメリカの数十年先に爪痕を残したとすると、保守派の連邦最高裁判事を3人も任命したことだけではないか、と言います。一時的にせよ、LGBTQ+の権利、中絶の権利、不法移民の処遇などについての政策は後退せざるを得ないからです。しかし、あれだけ彼が大統領として力を入れていたはずの国境の壁に、メキシコがもうカネを払うこともないであろうことも、また事実だとも言います。

歴史は大きく、ゆっくりと動く

マリク記者は2008年にオバマ大統領が誕生した時の方が、2016年にトランプ大統領が当選した時よりも「過激な転換が訪れた」と主張します。「1期目の選挙キャンペーンには破壊的にポジティブなエネルギーが満ちていて、アメリカの将来の方向性が変化するのを感じた」と言います。

しかし、オバマ大統領の時代に、オルタナ右翼や白人至上主義はすそ野を拡げ、トランプ大統領の誕生の社会的な下地が形成されてしまったのもまた事実だし、一方、Black Lives Matter運動もオバマ政権が続いていた2013年に始まっています。

さらに、オバマ政権も1年程度の選挙キャンペーンだけで実現したものではなく、長年にわたる公民権運動や、有色人種の差別撤廃を目指して活動してきた多くの人の努力の結果と言えます。同じようにトランプ大統領も単なる異常事態で起きた偶然で生まれたわけではなく、長年にわたって何の対策もなされてこなかった人種差別による社会の緊張とか、有権者の無関心が蓄積した結果なのだとも言える、と歴史的文脈を踏まえ「大きく考える」ことの必要性を強調します。

トランプとバイデンのどちらがなっても変わりがないということではありません。両者には政治家として姿勢や政策に大きな違いはあるのです。しかし、同時に気候変動や、人種間の関係、企業からの献金やロビイストを通じての影響を政治としてどうするかという問題、外交政策上の計算など、「未来の世代に大きな影響を及ぼす可能性がある遺産的な問題に関しては、両者に大きな差はない」のもまた事実と述べています。アメリカという巨大国家に大きな変化をもたらすのは、大統領ひとりの力ではなく、「人々の日常の決断の蓄積の方が大きい」のです。

大きな船が方向を変える時には、すぐには認識出来ないものです。同じように国が徐々に変化していくスピードもかなりゆっくりで、「今のニュースメディアはその変化の兆しを発見できるようにデザインされていない」とマリク記者は指摘します。

そのような大きな変化の構造や、その主役となる国民の役割を理解していない大手メディアが「2つのアメリカの選択」というようなフレーミング(議論の枠組みを作ること)で大統領選を伝えてしまうことに、マリク記者は強い危惧を抱いています。そのような報道は「実現不可能な希望と、限度を超えたシニシズムという反応を誘発する」と警告しています。

選挙は勝負が伴うため、ニュースを伝える側も、受け取る側も「勝つか負けるか」だけに注目し、アドレナリンが上がり、冷静さを失いがちです。さらに今回の大統領選では、投票妨害が各地で伝えられ、投票結果が確定しない不安から暴動などの可能性も取り沙汰されています(今回の大統領選で起きる可能性にメディアがどのように対応しているのかについては、こちらで詳しく解説しています)。マクロな視点を忘れず、冷静に見守りたいものです。

武蔵大教授/ジャーナリスト

1964年生まれ。上智大院修了。テレビ朝日で「ニュースステーション」ディレクターなどを務める。2002〜3年フルブライト・ジャーナリストプログラムでジョンズホプキンス大研究員としてイラク戦争報道等を研究。05年より立命館大へ。08年ジョージワシントン大研究員、オバマ大統領を生んだ選挙報道取材。13年より現職。2019〜20年にフルブライトでジョージワシントン大研究員。専門はジャーナリズム。ゼミではビデオジャーナリズムを指導し「ニュースの卵」 newstamago.comも運営。民放連研究員、ファクトチェック・イニシアチブ(FIJ)理事としてデジタル映像表現やニュースの信頼向上に取り組んでいる。

奥村信幸の最近の記事