【深掘り「鎌倉殿の13人」】ドラマにはなかった、北条義時の慈愛に満ち溢れたエピソード
今回の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、だんだん北条義時が冷酷な人間となっているが、実は慈愛に満ち溢れたエピソードもある。今回はそのエピソードを紹介し、詳しく掘り下げてみよう。
■源実朝に近侍した者の話
大河ドラマでは、北条義時が権力欲にまみれて、どんどん人相が悪くなっていく。最初は純朴な青年だったが、激しい権力闘争のなかで、権力者として鍛えられたといえよう。とはいえ、義時には慈愛に満ち溢れたエピソードがあるので、紹介しておこう。
建永元年(1206)11月、東重胤なる者が下総国から鎌倉にやって来た。重胤は、実朝に仕える「無双近仕」と称されていたので、有能な部下だったといえよう。ところが、鎌倉を訪れた重胤には、不幸なことが待っていた。
重胤は実朝から下向の暇をもらい、下総国に在国していたが、その期間は数ヵ月に及んだ。実朝は和歌を贈って重胤を召し寄せようとしたが、遅参したので激怒したのである。
■手を差し伸べた北条義時
同年12月、困った重胤は北条義時のもとに参上し、実朝の許しを得られないか相談をした。すると、義時は快く仲介役を引き受け、和歌を実朝に贈ってはどうかと助言したのである。そうアドバイスしたのは、実朝が和歌の名手だったからだろう。
義時は重胤の和歌を携えて、実朝のもとに向かうと、うまい具合に実朝の怒りが解けたというのである。御所の外で待っていた重胤が、大いに喜んだのは想像に難くない。
この話には続きがある。義時の執り成しに感激した重胤は、深く感謝の意をあらわし、義時の門下に長く候じることを誓ったというのである。義時の慈愛に満ち溢れた側面を見いだせよう。
■まとめ
義時が激しい権力闘争のなかで、ライバルを必要以上に警戒したり、ときに討伐するのは止むを得ないことであった。しかし、それでは単なる恐怖政治に過ぎない。
ときに人心を掌握すべく、要望に応えることも重要だった。人間にはさまざまな側面があるが、義時を一方的に冷酷非情な人物と考えるのは、早計なのかもしれない。