人間そのものがミステリー。綾野剛と松田龍平が表情の奥を覗きこませる『影裏』
映画は役者を観るものでもある。主演俳優で作品を選ぶ人も多いなか、何を今さらと言われそうだ。けれども、沼田真佑の芥川賞受賞作が原作の大友啓史監督作『影裏』は、改めてそう思わせると同時に、映画という視覚に訴える表現ならではの醍醐味を味わわせてくれる作品です。
転勤をきっかけにこれまでの人間関係を断ち切るように岩手・盛岡へ移り住んだ今野秋一(綾野剛)が、心を許し合う存在になったと思っていた同僚の日浅典博(松田龍平)が突然姿を消したことにより、自分が知らなかった友の影の部分を知ることになる。
原作とは構成を変え、既に日浅が姿を消し、今野が生気を失ったような日々を送っていることがうかがわせる描写から、物語は幕を開けます。そんな今野が、自分が知らない日浅の一面を知ることになる導入部から不穏な空気が立ち込めるあたりは、ヒューマンミステリーという触れ込みどおり。
しかし、その不穏さを引きずったまま、時間は遡り、今野と日浅の出会いから、二人が親交を深めていく日々が、淡々と、けれども、ときに危うい緊張感を孕みながら描かれていく。
映像の醍醐味というと、ダイナミックなものを想像しがちですが、本作における映像の醍醐味は、まさにこの淡々と描かれる風景にあります。小説で丹念に描写される日常の行動や身の回りの品も、映像ではほんの一瞬で終わってしまうこともある。
けれども、大友監督は、転勤に際しても手放せず、盛岡まで持ってきたジャスミンの鉢植えに下着姿で水をやったりする今野の日常や、そこに日浅がふらりと現れては消える日々、彼とともに出かける渓流釣りを丹念に描写し、見入らせずにいません。
そして、その描写に見入らせるだけの魅力と力量が、綾野と松田にもまたある。日浅と親交を深めるにつれて、今野が見せるようになる穏やかな笑顔。何気なく口にしたかのような言葉で、今野をギョッとさせる日浅の悪戯っぽさ。そして、そんな二人の間にも、ときに張り詰める緊張感。
日浅がいなくなってからの日々の今野の緩慢な歩き方ひとつとっても、繊細なニュアンスのある役作りをうかがわせる綾野。彼自身の静かな男臭さと危険な匂いが重なり、日浅を感覚で演じているように思わせる松田。役へのアプローチがまったく違うだろう二人の役者それぞれが、観客に今野と日浅の心の底にあるものを読み取ろうとさせずにいないのです。それは、この先、何が起こるのだろうと身構えていたことを忘れて、彼らの表情の奥を覗き込もうとしている自分に気づいて驚かされるほど。
そんな二人の男が少年のように釣りを楽しむ渓流の美しさもまた、本作の大きな魅力。
スクリーンからマイナスイオンが溢れてきそうな渓流のせせらぎと、陽光にきらめく緑。その美しさが、日浅の影の部分を際立たせるとともに、クライマックスに向けて次第に強さを増す水音とあいまって、「人を見る時はな、その裏側、影のいちばん濃いところを見るんだよ」日浅自身がいう彼の“影裏”をより深いものにする。
映像に語らせる力は、さすが『龍馬伝』で大河ドラマの表現スタイルに変革をもたらした大友啓史。そうした自然の力強い美しさに心洗われるのもまた、映像ならではの醍醐味。原作に出会ってすぐに映画化を熱望していたという大友監督の故郷が盛岡と聞けば、この美しい渓流に託された、震災を経験した岩手への想いを想像せずにいられません。
生活の気配は感じさせつつもいささか小綺麗すぎる気もするインテリアが、ちゃんと今野の人となりを映し出しているものであるように、細部にまで拘った画作り。さらに、どこか女を感じさせるがゆえに、観客の胸をざわつかせずにいない同僚役の筒井真理子。冷淡さの奥に怒りが滲む日浅の父親役の國村隼。そして、ここでもまた変幻自在ぶりで驚かせると同時に、今野が盛岡に移り住む以前の日々を鮮やかに立ちあがらせる中村倫也ら、脇を固める俳優陣もまた、スクリーンに見入らせずにいないときている。
消えた友の“影裏”を見つめることは、今野自身が喪失と向き合い、再生へと歩み出すこと。原作にはなかった彼の行動や、物語の先が加わることで、観客が小説に求めるのとは違う、映画的な余韻を味わわせてくれる。渓流を囲む濃い緑の力強さとあいまった、その映画的な余韻がたまりません。
『影裏』
全国公開中
(c)2020「影裏」製作委員会
配給:ソニーミュージックエンタテインメント
宣伝協力:アニプレックス