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2016 ドラフト候補の群像/その8 小竹一樹[シティライト岡山]

楊順行スポーツライター
大学時代の小竹。当時楽天のアンドリュー・ジョーンズに似ているといわれていた

ど派手な花火を打ち上げた。日本選手権の中国予選・三菱自動車倉敷オーシャンズ戦。まずレフトのはるか頭上を越える3ランを放つと、2本目は中堅右に「うまく押し込めた」技ありの2ラン。社会人1年目の昨年も、JR西日本を相手に都市対抗予選、日本選手権予選でそれぞれ一発を放って中国地区の最優秀新人に輝き、今季もその打棒で中国地区の強豪を震え上がらせてきた。小竹一樹。天性のアーチストである。

実は日本橋学館(現開智国際)大在学中の2014年にも、ドラフトの隠し玉として紹介したことがある。当時の小竹は、こんなふうに語っていたものだ。

「アンドリュー・ジョーンズ、とよくいわれます。ユニフォームも楽天にそっくりなので……」

たくましい上半身、目の覚めるようなスイングスピード、けた外れの飛距離。なるほど、メジャー通算434本塁打を放ち、当時楽天で活躍していた大砲「AJ」をイメージさせたものだ。あるいは、高いトップの位置からゆったり構え、最後は右手を離してフォローを大きく振り抜くのは、キューバ風のスタイルともいえる。

日本橋学館大は02年、千葉県大学野球連盟に加盟したが、なかなか3部から昇格できずにいた。だが、小竹の入学がきっかけだったように急上昇し、12年は春秋と3部リーグを連覇し、小竹がDH賞を獲得した秋には2部に昇格を果たした。すると小竹は14年春、昇格した2部での16試合で6ホーマーと爆発し、またもDH賞。結局4年時は10ホーマーを放ち、大学通算ではなんと26本塁打を記録すると、岡山市内で中古車販売などを行うシティライト岡山に入社した。都市対抗、日本選手権の二大大会にはまだ出場できていないチームだが、近年は代表決定戦で惜しくも敗れるなど、あと一歩で全国大会という実力がある。

飛距離はだれにも負けない

大学時代の小竹の話。

「こうやれば打てる、というのがつかめた気がします。飛距離だけは、だれにも負けないと自慢できる」

とにかく、飛距離はべらぼうだった。柏市にある大学は専用グラウンドを持たないため、シニアリーグ・オール沼南のグラウンドを間借りしていた。左中間フェンス後方には駐車場があるのだが、ホームから120メートルほどだから、小竹が打つとき、停めてある車は危なくてしょうがない。あるいは、左翼ポール後方は深い林で、打ち込むとロストボールも覚悟だ。だから小竹の打撃時には、あらかじめフェンス外に野手が守るのが常だった。

中学時代から自信満々だった。体も大きく、軟式の公式戦終了後に練習生として参加したつくば中央シニアでも、硬式経験者にヒケを取らない。だが、進んだ青森山田高では、

「やばいところに来た、という感じでした。自分が一番上というつもりだったのに、上級生は当然として、同期にもすごいヤツがごろごろいて、一時は辞めようかと……」

自信喪失。3年になり、ようやくつかみかけた定位置を手放したのは、同校野球部が嫌う見逃し三振を喫したのがきっかけだった。

大器が目覚めたのは、高校の同級生に日本橋学館大・辻井満監督の子息がいた縁で、同大に進んでからだ。

松井5敬遠投手が太鼓判

「とにかく、パワーはべらぼうです。ベンチプレスでは170キロを挙げるし、雨天用の飛ばないボールでも、弾丸ライナーで120メートルですから」

というのは、当時大学職員として練習をサポートしていた河野和洋さんの話である。そう、明徳義塾高時代の1992年夏の甲子園で、松井秀喜(当時星稜)を5敬遠した投手、その人である。のち専修大、社会人のヤマハから米独立リーグで野手としてプレーしながら、プロ入りを目ざした。河野さんによると、

「最初に見たときの小竹は、やや大根切り。ただ、朝は4時に起きて筋トレをしたり、打ち込んだりした成果からトップの位置が決まり、フォームが固まりつつある。当たれば、どこまでも飛んでいきますよ」

高校時代から、地道な努力は怠らなかった。風呂に入るときは、お湯の中で手首を鍛えるため、卓球のラケットが必需品だった。大学では3年秋からキャプテンになり、

「チームメイトにきついことを指摘するには、まず自分が人以上にやらなければ」

と、さらに練習量が増えた。大学時代には3杯のラーメンのあと、1升のチャーハンを平らげた逸話を持つ大食漢ながら、「いまはケガの予防のため」115キロあった体重を、108キロまで落としている。もっとも体組成計による測定では、ほぼ理想体重に近いらしく、筋肉量などの体のバランスがとれているということだろう。

「巨人ファンでした。上のレベルでやるのが目標ですが、守れないと始まりません」

という本人、社会人では一塁守備に挑戦中だ。遠投95メートル、50メートル6秒6はまずまずで、高校時代は投手、二塁以外はどこでもこなしたように、意外と俊敏で器用でもある。井上晴哉(ロッテ)、山川穂高(西武)ら、同じぽっちゃり体型の右の大砲は近年、プロでも貴重な存在。小竹も、その系譜に連なるかもしれない。

●こたけ・かずき/内野手/1992年8月5日生まれ/179cm108kg/右投右打/青森山田高〜日本橋学館(現開智国際)大

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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