関根らを外した監督決断の功罪。サッカーリオ最終予選、迫る。
サッカーという競技において、監督は絶対的な権限を持っている。
「MISTER」
そうした敬称で呼ばれる職業だ。ちなみにスペイン語圏では、英語を母音読みでミステルという発音になる。
その職務内容はいくらでも説明できるだろうが、結局は一つだ。
「決断する」
代表監督なら眼識、クラブチームの監督なら求心力が問われるが、その上で決断することが仕事と言えるだろう。監督の決定に対しては、いろんな意見はあって然るべきだが、その権限は侵されるべきではない。
一方で結果を出せない場合、監督はすべての責任を背負い込む。選手や関係者の人生や未来までも。それは極めて重い責任である。
監督は敬われるべきであり、相応の振る舞いをしなければならない。
関根らを外した功罪
今年1月、手倉森誠監督はUー22日本代表を率いてリオ五輪最終予選を戦う。今回は中東での集中開催予選となり、その様相は予想しづらい。長期的なホーム&アウエーの予選では戦力差が出る総合力勝負になるが、短期決戦ではコンディションのいい選手が多いチームやラッキーボーイが登場するなど、時勢をとらえたチームが勝ち上がる。つまり、不確定要素が大きい。
一つ言えるのは、過去の五輪世代と比較して、楽観できる陣容ではないことだろう。
最終予選に選出されたメンバーには、所属クラブでレギュラーを勝ち取れていない選手が少なくない。J1でのレギュラーは岩波拓也、大島僚太、遠藤航のわずか3人のみ。J2ですら出場機会に恵まれない(1000分以下)選手が半数もいる。南野拓実、久保裕也の二人は欧州カップ戦にも出場するなど傑出した場数を踏んでいるが、二人ではカバーしきれない物足りなさを感じさせる。
メンバー選考に関しては、手倉森監督は過去に戦ってきたメンバーを中心に選んだというところかもしれない。"子飼いの選手"の方が計算が立つと判断したのか。また、体格や走力に長けた選手を多く選んでおり、「走り勝ちたい」という意図がメンバー選考からは見てとれる。
メンバー選考の決断には、監督の色が濃厚に出た。それ自体は自然で悪ではない。
しかし、所属クラブで結果を残していない選手を選び、結果を残している選手を選ばなかったことは火種を残した。
例えば、2位の浦和レッズでレギュラーをつかんだ関根貴大の落選は意外だった。メンバー選考直前の天皇杯準決勝、右サイドで試合を変えられる予感を漂わせていた。
「似た選手がいる」というのが落選理由らしいが、似た選手よりも関根は結果を出している。競争の原理から言えば、歪みといわざるを得ない。招集したときにチームに馴染まなかったということだろうが、プレーヤーありきがフットボールの原則であり、有力選手を生かせないとしたら、指揮官の器量に矛先が向きかねない。
もし早い段階で躓いた場合、関根を組み込めなかった責任は猛火となってチームを包むだろう。
意外な人選という印象が残った。攻撃を創り出せる天才性と潜在性を持っているサガン鳥栖のMF鎌田大地が、同じ理由で選出外になったも不可解だった。鎌田と同じタイプは一人もいない。個人的には、FC東京の橋本拳人の選出外も損失だと考えている。橋本はイタリア人監督、マッシモ・フィッカデンディがそのセンスを認めて起用機会が増えたように、守備の切り札となり得る。間合いが広く、ボールを奪い取る技術に長け、空中戦も負けない。興味深いのは攻撃にも間合いを使え、大げさに言えば、バイエルン・ミュンヘンのハビ・マルティネスを連想させる。
もっとも、こうした不満はJリーグを継続的に見ている関係者なら、各でいくつも挙げられるだろう。結局のところ、監督は「勝てば官軍」で、「負ければ賊軍」の汚名を背負うわけで、周囲の意見は関係ない。己を信じ、勝つために最善と信じた方策を探るべきだろう。
すでに賽は振られた。手倉森監督が決断を下したのだ。とやかく言うべき時は過ぎた。
ただ、もしも彼が率いるチームが一敗地にまみれたとき――。その責任は「この世代は弱かった」では済まされない。