Yahoo!ニュース

グアルディオラ監督率いるマンチェスター・シティは不振から抜け出せるのか?

小宮良之スポーツライター・小説家
(写真:ロイター/アフロ)

 プレミアリーグ王者、マンチェスター・シティにとっては苦しいシーズンと言えるだろう。リーグ5連覇には黄信号が灯り、リーグカップ戦はすでに敗退、チャンピオンズリーグも土俵際だ。

「一つの時代の終わり」

 大雑把に括る声もある。

 ジョゼップ・グアルディオラ監督は就任9年目になる。6度のプレミアリーグ優勝、2度のFAカップ優勝、そしてクラブの悲願だったチャンピオンズリーグ優勝も成し遂げている。多くのタイトルを勝ち取った。

 その一方、「栄光で満たされる」のが人間心理である。栄枯盛衰という言葉もある。それだけに「サイクルの終わり」という考え方も一つの真理と言える。過去にはグアルディオラ自身が「3シーズン」を監督のサイクルとして語り、実際にFCバルセロナの監督は強く慰留されたことで4シーズン目まで率いたが、新陳代謝が進まないことで自ら身を引いた(バイエルン・ミュンヘンでも3シーズン、リーグ3連覇で退任)。

 同じ監督が、ずっと同じチームを率いることで必ず停滞感は出る。

 ただ、監督交代がなくとも主力の顔ぶれを大幅に変化させることで、新陳代謝を生み出せる。実際、長い政権を保ったアレックス・ファーガソンやディエゴ・シメオネなどは強化にまで権限を及ぼし、チームそのものを変化させてきた。グアルディオラも、シティでは似たようなところがあるだろう。それが長期政権での成功に結び付いた。

 もっとも、替えがきかない選手も必ずいる。

「選手ありき」

 それが真実として潜む。今シーズンの不調は、それが顕現した。

ロドリの離脱

 今シーズン、シティはバロンドール受賞MFでスペイン代表ロドリを膝の大けがで失った。誤解を恐れずに言えば、彼なしで同じことをピッチで作り出すのは不可能だ。

 ロドリは、まさにピッチの指揮官だった。彼がボールを受け、奪われず、託す、その展開の中でプレーは作られた。うまくいかなければ、彼のパスでリズムを変えられたし、彼個人への信頼の厚さが、チームの強みになっていた。唯一無二の司令塔だった。

 一方で、ハイプレス、ハイラインの攻撃的構造で、ロドリは守備のリスク管理で傑出していた。絶妙なポジショニングで、相手のトランジションからのカウンターを封じ、こぼれ球も回収することができた。その点でマテオ・コバチッチやイルカイ・ギュンドアンは物足りなさがあったし、事実、失点も増えて、混乱が増した(バックラインの高齢化やけが人の多さ、さらにGKの不安定さもあったが)。

 ロドリに代わるMFは地球上にいないと言える。

 攻撃力が極端に低下したわけではないが、点が入らないと単調になった。そこでロドリがいれば、テンポを作って再攻撃、リスタートのスイッチを押せた。しかし焦ったままでは無理が出ることになった。

 自慢の攻撃が不発になると、守備のリスク管理でずれが出た。格好のカウンターを浴び、後手に回る。今シーズン、チームのベストプレーヤーとも言える活躍を見せるヨシュコ・グバルディオルのような選手でも、後ろ向きでプレーを強いられると、良さが出ない。そこで浴びた失点は、さらに焦りを募らせた。

 それが乱調の構造だ。

 もっとも、グアルディオラ監督は「やってられない」と投げ出すタイプではない。悪戦苦闘しながら、仮説の中で最適解を出そうと、試合直前まで、試合中も志向を巡らせる。骨の髄まで監督なのだ。

グアルディオラという作品

「自分のチームは、常に選手ありき。監督は選手の良さを引き出し、みんなで何かを成し遂げるのが仕事と言える。私も、そこに喜びを見いだす」

 そう主張してきたのは、他ならぬグアルディオラ監督だった。以下は共著『レジェンドへの挑戦状』での彼の言葉だ。

「選手たちやスタッフがどんどん良くなっていくような、居心地の良い環境を作り出したい。もちろん、切り盛りのところで間違いが生じることはあるんだが、そのとき、監督が言い訳を言い募るのは厳禁だね。『もしお金があったら』とか、『もしあそこでゴールをしていればな』とか。たら・れば、に意味はない。たしかなアイデアを持って、それを信じて仕事をし続ける。そうすれば、直感が働くようになって、自分を行くべき場所へ導いてくれる」

 それは指導者として答えに辿り着くアプローチなのだろう。 

 優れた指揮官はピッチ外から、少しずつ乱れを修正し、ずれをなくすことができる。それは一朝一夕ではないし、時間がかかる。(どうやってもロドリの代わりはいないので)同じではないが、どうにか帳尻を合わせられる。

 例えば、左利きのサビーニョを左サイドで、クラシックなウィングのように起用する策は一つだろう。単純明快のサッカーへの回帰である。すなわち、左足で一歩早いクロスを浴びせ、ハーランドの高さを生かす。クロス攻撃は単純なだけに相手は読むことができても、対処には苦労する。事実、レスター、ウェストハム戦ではサビーニョのクロスをハーランドが決めている。

 煮詰まった時は、こうしたシンプルな戦いが功を奏す。そもそも、サビーニョはジローナでも左サイドからの攻撃を得意としていた。当然、グアルディオラはそれも考えていたはずだが…。

 監督は頑固な生き物である。より手の込んだ策を見つけようとするところもある。その点、始末は悪い。しかし、そのエゴや挑戦精神があるからこそ、単純な攻撃が効果を出すこともあり、一概に否定はできないのだ。

 それこそ、直感、フィーリングだ。監督は、監督のパーソナリティによって集団を率いている。

「監督が結果の上に立っている、というのは間違いない。自分たちは、勝ったときには良くて、負けたときには悪者になる。でも、まずは監督がやっているサッカーの本質を見て欲しい」

 グアルディオラは言う。結局、「選手次第」に回帰するが、選手任せ、ではない。優れた監督は、表現したいものをピッチで示すのだ。

 それは映画監督と映画作品とも似ている。役者がいなければ、演技は成り立たない。しかし、作品としての方向性や色合いを決めるのは監督の人間性や表現力である。

 グアルディオラは監督でいる限り、シティで作品を作り出す。勝ち、負け、とは別の次元で。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

小宮良之の最近の記事