【九州三国志】波乱に満ちた生涯を歩んだ男!山内二十六ヶ山の総領、神代勝利の物語
かつて高良大社の大宮司を務めた名族、神代氏。
その一族の末裔、神代勝利(くましろかつとし)の人生は、栄華と没落、剣と策略に彩られたものでございました。
幼き頃、父の代に没落した神代氏は肥前の地に流れ着き、勝利は千葉興常に養育されました。
そして、奇妙な夢が勝利の運命を動かすのです。
同じ興常の家臣である江原石見守が見た「龍になる夢」。
勝利はこの夢を「人に売れば吉夢になる」と買い取り、そこから勝利の武勇伝が始まりました。
やがて勝利は三瀬城主・野田宗利に請われ、剣術師範として名を馳せます。
その教えを受ける者は500名にも達し、山内二十六ヶ山の総領として推挙されました。
武辺氏とも称したその頃、勝利は剣と策を駆使して龍造寺一族と激しく対立。
度重なる戦いの中、千布城の湯殿に忍び込んだ刺客を呼び寄せて酒を酌み交わしたという逸話など、豪胆な性格で知られました。
しかし、戦場の運命は無情なものでございます。
龍造寺勢の猛攻に敗れて山内を追われた勝利は、失地を取り戻すべく幾度も戦いに挑みました。
永禄元年(1558年)には正月の油断を突いて旧領を奪還。
さらには春日山城攻めで勝利を収めるものの、隆信勢との対立は熾烈を極めたのです。
最終的には大敗を喫し、家臣や家族を失いつつも、勝利は隠棲を選びます。
その3年後、膈(かく)の病を得て生涯を閉じました。
勝利亡き後も神代家の苦難は続き、度重なる不幸が一族を襲いました。
それでも、長良の子孫は川久保鍋島氏として幕末を迎え、歴史の中に名を留めることとなりました。
この波乱に満ちた物語、ひとえに武士の運命の儚さを物語っていると言えるでしょう。