復活に懸けるドウデュースの友道師と武豊騎手、ダービーを制した際のエピソード
指揮官とレジェンドの関係
今週末、行われる京都記念(GⅡ)で戦列復帰を果たす予定なのがドウデュース(牡4歳、栗東・友道康夫厩舎)だ。
凱旋門賞(GⅠ)を目指して遠征したフランスでは前哨戦のニエル賞(GⅡ)が7頭立ての4着で、本番が20頭立て19着。思わぬ大敗に終わったが、これがこの馬の実力ではない事は、皆さんご存知の通り。渡仏前の昨春には日本ダービー(GⅠ)を優勝。2着が後に天皇賞(秋)と有馬記念(GⅠ)を制し年度代表馬に選定されたイクイノックスで、3着が秋には菊花賞(GⅠ)をレコードタイムで勝利するアスクビクターモアだったのだから、フロック視は出来ない戴冠劇だった。
管理する友道は、語る。
「最初から良い馬とは感じたけど、正直、ダービーを勝てるまでとは想像出来ませんでした。1戦毎に確実に成長して、凄い勢いで力をつけてくれました」
ダービー当日は大きな期待を持てるまでになったと言い、更に続ける。
「武豊騎手と共に挑めるというのに、心が躍りました」
先日JRA通算4400勝を達成した日本競馬界のレジェンドより、指揮官は5歳も年上。しかし、次のように語る。
「私が競馬の世界に入った時、武豊騎手はすでにトップジョッキーで、憧れの存在でした。その後、言葉を交わすようになり、年齢は関係なく尊敬出来る存在だと思いました。そんなスーパースターと臨める事が嬉しかったのです」
見えない力が働いたダービーのゴール前
ただ、憧れの存在と挑めるだけではなく、何としても勝ちたいという強い気持ちも、同時に持っていた。それまでにも2度、ダービートレーナーの称号を掌中に収めていた伯楽だが「勝ちたい」と願ったのには、当然、理由があった。
「ダービーはそれまでにマカヒキとワグネリアンで勝たせてもらっていました。ただ、そのワグネリアンが年頭に死んでしまいました」
その後、同じ金子真人ホールディングスがオーナーのヨーホーレイクが日経新春賞(GⅡ)を勝ち、ポタジェは大阪杯(GⅠ)を優勝した。そして、ワグネリアンの死後、最初に迎えた日本ダービーが、ドウデュースと挑んだこの時のレースだったため「どうしてももう一度勝ちたいという気持ちになった」のだ。
そうして迎えたダービーのゴール前。まず抜け出したのはアスクビクターモアだった。これを武豊操るドウデュースが外からかわしたが、今度は更に外からイクイノックスが差を詰めてきた。しかし、その猛追をクビ差抑え込んだところが、栄光のゴールだった。
「最後はワグネリアンが押してくれたのかも……」
ダービー後の指揮官の行動
そんなふうに感じたという友道だが、その後の行動は「過去2回のダービー制覇時と違った」と口を開く。
「マカヒキの時もワグネリアンの時も、嬉しくてすぐに下馬所まで、馬を迎えに行きました。でも、ドウデュースの時はそうはしませんでした」
「過去2度の方が嬉しかったから……」というわけではない事を、更に続けた。
「武豊騎手のウイニングランを、一競馬ファンとして目に焼き付けたかったんです。だから、ウイニングランが終わるのを見届けた後、下馬所まで急ぎました」
さて、先述した通り、その後のフランス2戦では思わぬ結果に終わってしまったが、そこから一息入れ、今週末が復帰初戦となる。この後はドバイへの遠征が予定されているダービー馬が、本来の姿を取り戻してくれる事を願いたい。ドウデュース物語の第2章が華やかに幕を開ける事を祈りつつ、応援しよう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)