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「日高屋」創業者、神田正会長83歳が若き経営者に贈る戦略の話 連載3回その2

千葉哲幸フードサービスジャーナリスト
「日高屋」が企業化の道を歩んだことたんたんと語る神田氏(筆者撮影)

5月13日に公開した連載第1回では、神田氏が「ラーメン屋」という仕事に出合うまでの沿革と、創業してから「ラーメン企業」に進んでいく転換期の話をまとめた。第2回は、本セミナー参加者である6人の若手飲食業経営者に向けた神田氏の談話となる。

「経営計画発表会」で夢を語り実現させる

前回の最後のところで、日高屋が飛躍するために行った戦略について述べました。ここでもう一つ、私の成功した戦略を述べます。

私は、会社(1978年3月設立)にして3年目、大宮、蕨(埼玉県)、西川口(同)の3店舗のときから「経営計画発表会」というものを行いました。

【1980年代前半】

これは是非やった方がいいです。

これは自分で考えたのではなく、税理士さんが指導してくださったことです。

当時の私は税理士さんに、いつもでっかい夢を語っていました。すると、あるとき税理士さんはこう言いました。

「お前、そんなでかいことを俺に言うんだったら、みんなの前で言いなさい」と。

「じゃあ、どうやってやったらいいんですか」と聞いたら「経営計画発表会」だと。

このやり方はこうです。

当時、当社には3店舗ありました。「経営計画発表会」を行うために全店を休みにしました。ここに全社員が出席します。最初の1~2回は、税理士さんが原稿をつくってきたのを私が棒読みしただけ。それが3回4回と続けていくうちに、「ああ、こういうことか」と分かってきたのですね。

「経営計画発表会」とは「将来こうなりたい」ということを訴える場なのですね。社員に加えて、銀行、生命保険、八百屋さん、肉屋さんなど、いわゆるステークホルダーのすべてのみなさんに来ていただきました。第1回以来ずーっとやっています。発表会が終わってからホテルの宴会場を借りてみんなで食事会をします。コロナのときは3回休みましたが。 

この「経営計画発表会」を継続してきたことが成長のエンジンとなりました。

ここで将来こうなりたいとういうことを発表します。ここで発表したことは全部その通りになってしまいますよ。

銀行も最初は、若いお兄ちゃんが上の人から「行ってこい」と言われて来ていたのでしょうね。そのうち、だんだんと偉い人が来るようになった。支店長が来て、そして役員が来るようになりました。

「経営計画発表会」で「なりたい将来像」を発表すると、一番プレッシャーがかかるのは自分です。今年何店舗出すとか、利益をどれくらい出すとか、あれだけのことをみんなの前で宣言したのだから、実現しないといけないと。実現しないとただのほら吹きになってしまいますから。

一番印象に残っていることは、「週休二日制を絶対にやる」という話をしたこと。それまでは月に2日くらいしか休みはありませんでした。そこで週休二日制をどこよりも早くやるんだと。すると、日高屋はラーメン業界で一番早く週休二日制になりました。

いまは社員が約1000人ですから、経営計画発表会は数回に分けて行っています。

「経営計画発表会で話すことは、すべて実現する」と語る神田氏(筆者撮影)
「経営計画発表会で話すことは、すべて実現する」と語る神田氏(筆者撮影)

パート・アルバイトを「感謝の集い」でねぎらう

もう一つ当社が行っていることは、パート・アルバイトの方に向けた「感謝の集い」です。これは年に数回、1組300人ずつ。6組から7組に分けて行います。

当社の店は夜遅くまで営業している店舗がたくさんあるのですよ。みんな大変な思いをしながら仕事を頑張ってくれているのに、いつの間にか辞めていったものです。そういう様子を見ていて、私は自分のことを人間的に許せないと思っていました。

私はこんな様子を見ていて、パート・アルバイトの方が日ごろ頑張ってくれていることにお礼を言わないといけないなと、常々思っていました。

それが「感謝の集い」です。「経営計画発表会」に続いて「感謝の集い」もずーっと続けています。

また、私のかみさんにもこのようなことを行いました。

ラーメン屋の店で頑張っていた当時、家賃3万、4万のアパートに住んでいました。

そこで、かみさんに「店を10店舗くらい持つことが出来たら、家を建てることができるかもしれないよ」と、また「熱海に旅行に行けるかもしれないよ」と。これがかみさんに向けての「経営計画発表会」なのです。かみさんは「本当?」って言いました。

かみさんも長靴をはいてラーメン屋で働いて、出前もやっていたのです。

私は「家をつくれるかもしれない」といったところ、小さな家でしたがつくることが出来た。旅行にも一緒に行くことが出来た。

ですからみなさん、是非かみさんにも夢を語っていただきたい。

やはり一緒に働いている人たちが「この会社はどのようになっていくのだろうか」と。これが分からないで働くのと、「将来このようなゴールを目指しているのだ」ということが分かるのとでは、仕事に対する意気込みは違ってくると思いますよ。

こういうのが分かっていないと、魂を込めて働く人はいません。

定年退職時に持ち株で資産形成できた店長の話

創業者は上場すると、自社株を持っていますから、すごい金額になってしまいます。

1999年、いまから25年前ジャスダックに上場したときに、当社の時価総額が60億円となりました。そして、いまの時価総額は1000億円を超えています。われわれは5坪のラーメン屋からここまで来ました。お金なんて慌ててもうけようと思っちゃいけません。会社が大きくなるといやでも儲かります。

上場するとお金だけではなく、社会貢献ができます。当社の場合、1万人以上の人が当社で働いて生活をしています。これは雇用促進だけではなく社会貢献です。税金は毎年何十億円と納めています。これは国のためになっています。

上場すると社員も喜びます。当社の場合持ち株会があって、時価総額が60億円から1000億円になったのですから、自分のお金が何十倍にもなってしまうのです。

定年退職で辞めるときにあいさつにきてくれた店長さんの話。この人は当社が2店舗のときに鍋を振っていた人です。中学3年生のときに学生帽をかぶって、お母さんと一緒に面接にきました。それ以来定年まで当社で働いてくれました。

持ち株会に入って、こつこつと当社の株を買って、配当金も株の購入につぎ込みました。これが定年退職のときにまとまった金額になって、感謝されました。

神田氏の講話は2時間、終盤は若手経営者からの質問に神田氏が答える形で展開した(筆者撮影)
神田氏の講話は2時間、終盤は若手経営者からの質問に神田氏が答える形で展開した(筆者撮影)

出店は雇用促進であり、社会貢献である

私はいま83歳です。本来ですと、会社を退任してもいいのですが、まだ会社にいる理由は4つあります。

1つめ。今年もたくさんの新入社員が入社しました。この子たちは、ご縁があって自分の人生を賭けて当社を選んでくれたのです。私は、彼ら彼女たちに幸せな人生を歩んでほしい。日高屋はカルチャーがいい、働きやすい、人間形成ができると。物心両面で、この会社を選んでよかったと言ってもらえること。

2つめ。当社と取引をしている、八百屋さん、肉屋さん、店を貸してくれている大家さんとか、すべてのステークホルダーの人たちから、「日高屋さんとお取引をしてよかった」と言っていただけること。

3つめ。当社では都心だけではなく郊外の方にも出店します。すると「日高屋さん、よく来てくれた」と、とても喜んでくださる。「うちの町にも来てよ」と言ってくださる。これが社会貢献です。1店舗でパート・アルバイトの方を30人くらい雇用します。雇用促進の面でも貢献できるし、町が明るくなります。そして、治安もよくなります。

4つめ。当社は上場していますから、当社の株を持っている人が、当社の株価が上がって、配当金が入ってきて、財産が増えていきます。そこで「日高屋の株を買ってよかった」と言ってくださる。

これらの想いがあって、私はいま社業に一生懸命取り組んでいます。

私はみなさんくらいの年齢のときに、家をつくりたいとか、ベンツに乗りたいとか、私利私欲というものがありました。でもいま、一切それがありません。

いま、私が「生産性を上げろ」と言っているのは、社員の給料のベースアップのためです。私利私欲ではなく、社会貢献のためですから、とても言いやすいです。

ですから、本当の経営とはここからだと思っています。いま会社に来るのが本当に楽しみです。

■連載第3回は、5月17日(金)11時25分に公開します。

フードサービスジャーナリスト

柴田書店『月刊食堂』、商業界『飲食店経営』とライバル誌それぞれの編集長を歴任。外食記者歴三十数年。フードサービス業の取材・執筆、講演、書籍編集などを行う。

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