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なぜこの会社は、創業者の父から子息への事業承継がうまくいったのか【後編】

千葉哲幸フードサービスジャーナリスト
淳さんは父武久さんから与えられた課題をすべてクリアした(キイストン提供)

■12月17日(火)11時25分に公開した【前編】から続く。

現在、とんきゅう株式会社の代表取締役社長、矢田部淳さん(36歳)は、10年間の料理人としての修業を経験して、父の矢田部武久さんと母のシャイニーさんが創業した「とんきゅう」に2014年4月に入社した。そして「アルゾーニ イタリア」の副店長兼料理長に就任した。

とんかつが主力業態のとんきゅうにとって、同店はイタリア系イギリス人であるシャイニーさんの飲食企業経営者としての挑戦であり、同社としても新事業であり業容拡大の象徴的な店舗であった。出店している街、茨城県つくば市内においてもハレの要素があるイタリアンである。同店は2004年12月にオープンしている。

父の武久さん(中央)は豪快で、従業員のすべてから愛された(とんきゅう提供)
父の武久さん(中央)は豪快で、従業員のすべてから愛された(とんきゅう提供)

料理づくり、お客とのトーク、数値管理のすべてを行う

淳さんが同店の副店長兼料理長に就いたのは、同店がオープンしてから丸10年が経過していた。当初は90坪100席で2500万円を売っていたが、淳さんが就いたときにはその半分程度1300万円となっていた。ちなみに客単価はランチ2800円、ディナー5000円あたりである。

父の武久さんが淳さんに期待したことは、ずばり「店の業績回復」である。

「淳は、いままでミシュランの店で料理をやってきたんだから、それを存分に生かしてくれ。そして売上を上げろ」と。

淳さんもその言葉通り、オシャレな盛り付けを心掛けて、低温調理といった斬新な調理法を取り入れたり、これらで売上を上げようと試みた。しかしながら、売上は一向に上がらない。

このような店の状態を経験して、淳さんはこのように考えた。

「飲食の商売とは、おいしい料理というだけでは成立しない。きちんとした姿勢でお客様をお迎えすること。接客しかり、店の清潔さしかり。料理、サービス、クレンリネスの一つでも欠けていたら、お客様は『なんだ、この店は』と良くない印象を抱かれる。私は、これまでキッチンしかやっていなくて、ホールをやったことがない。結局店の売上は上がらない」

ただし淳さんは、当時の店長をはじめ、店の従業員の全員からはリスペクトされていた。それは、ミシュランのレストランを渡ってきたという、料理へのプライドとクオリティの高さであった。残念ながら、それだけではチームづくりにつながらない。

このような様子を見ていた武久さんは、「じゃあ淳、一人で一から店をやってみろ」とガストロキッチン「JUNBOO」という店を立ち上げる機会を与えてくれた。35坪程度の店で、店舗全体をはじめ厨房設計に至るまでのすべてを見た。

「料理をつくりながら、お客様とトークをしたり、店の数値管理も、そんなことの全部を淳がやれ」と言われて、その通りに店の営業に取り組んだ(JUNBOOは、その後アルゾーニがリニューアルしたことで吸収合併となり、いまはない)。

「店長をやり続けるのではなく、スーパーバイザーを目指せ」

しかし、店の売上は上がらない。父の武久さんは、このように淳さんに諭す。

「飲食店の経営とは、料理だけじゃないんだよ。サービスも数値管理も、何もかもだ」

ここから、父の武久さんから淳さんへの個別指導が始まった。キッチンで淳さんが従業員に調理の指導を行っている様子、淳さんが接客をしている様子、このような一つ一つを武久さんは見ていた。淳さんの笑顔が弱いと「笑顔!笑顔!」と声を掛けた。このような日々を重ねていくにつれて売上は上がり、安定していった。

そのような状況の中で、淳さんが抜けた「アルゾーニ イタリア」の売上は低迷していた。すると武久さんは、こういった。

「淳、JUNBOOだけじゃなくて、これからはアルゾーニも見ろ」と。こうして、淳さんはJUNBOOが休みのときに、アルゾーニも見るようになり、休みなく働いた。そして、心なしか「もっと給料が欲しい」と思うようになった。

お客の多くから、「淳さんは、とんきゅう社長の息子」ということが知られていた。

あるとき、カウンターで働いていると、そこでお酒を飲んでいたお客から、窓の外を見ながらこのように言われた。

「あそこに止まっているBMWは淳さんのクルマだろ。社長の息子はいいね」と。

しかし、実際は全く違う。淳さんはこう応えた。

「いや、私のクルマは向こうにある国産のボログルマです」と。

このような返答をしながら、自分自身に悔しさがこみ上げていったという。

そして、武久さんにこのように相談した。

「自分をステップアップさせたい。もっと収入を増やしたい」と。

武久さんは、このように伝えた。

「淳、店長を続けるんじゃなく、これからスーパーバイザーを目指せ」

「そのためには、JUNBOOの店長として、この店の売上を上げて、そしてアルゾーニの売上も上げる。それがマネジメントというものだ。ここから先は、自分で考えろ」と。

こうして、淳さんは遮二無二働いて二つの店の売上を上げた。そして、2017年に洋食部門のスーパーバイザーに就任した。父、武久さんから初めて認められた瞬間である。

その後、とんかつ店のスーパーバイザーも兼任するようになった。武久さんは淳さんにこう言った。

「スーパーバイザーの仕事は、洋食もとんかつも一緒だから。分からなくなったら俺に聞け」と。

淳さんは「JUNBOO」の立ち上げから運営を任され、さらに洋食部門と、とんかつ部門のスーパーバイザーという重責をこなしていく(とんきゅう提供)
淳さんは「JUNBOO」の立ち上げから運営を任され、さらに洋食部門と、とんかつ部門のスーパーバイザーという重責をこなしていく(とんきゅう提供)

「店長の育成」で実績を挙げ、評価される

スーパーバイザーの主たる仕事は、「店長の育成」である。つまり、「自分で考えて、率先垂範して、売上を伸ばす店長」を育てる、ということだ。

こうして、淳さんは「店長の育成」に努めていった。

ここで淳さんが店長に習慣化させたことは「振り返り育成」ということ。それは、店長に対して「この仕事をする上で、どのような人生を送りたいか」「いま自分にとって、足りていないものはどのようなものか」ということを書かせて、それについての「振り返り」を毎日行うということ。こうすることによって、会社の経営理念から物事を考える発想の回路が出来上がっていく。とんきゅうの経営理念とは「三位一体の歓喜・感動『夢実現・感動共有カンパニー』」というものだ。

これによって、淳さんが担当した店長はみな、みるみる成長していった。こうして淳さんは営業部長に昇格した。営業部長とは、店全体の売上を上げることが仕事である。

しかしながら、店舗の売上は押しなべて芳しい状態ではなかった。店長会議のときに、当時社長の武久さんは、いつもみんなを叱咤激励していた。

「このままでは、息子に会社を継がせるわけにいかない。いま、M&Aの話しがいっぱい来ている」

このようことを泣きながら訴える武久さんを見ていて、淳さんは「自分がなんとかしないと……」と、想いは募っていった。

そして、営業会議は社長である父の武久さんと、営業部長の淳さんの二人きりとなる。ここでは会社の経営方針について、お互い言い合う場面が増えていった。しかしながら、淳さんには、武久さんの親心を理解していた。武久さんは、淳さんにこのように伝えていた。

「M&Aをやってしまうと、お前と俺の関係は終わってしまう。なるべくお前に事業を託したい。しかし、お前はまだ半人前だから……。どうしたらいいか分からない」と。

時代は、コロナの真っ最中である。そんな状況の中で、武久さんは、淳さんに「最後の課題」と言って、「アルゾーニ イタリア」の立て直しを命じた。

最後の通告「営業利益率8%超え」を達成

このときの同店は、コロナ禍にあってお客が来ず、従業員を解雇する場面もあり、月商800万円を切っていた。2021年暮れに、武久さんは淳さんにこう伝えた。

「アルゾーニをすべて淳のものにする。そこで、経営者の感覚で、アルゾーニの立て直しを一から行うように。2022年の4月の段階で月商1000万円を超えることができなかったら、この会社を売る」と。

「アルゾーニ イタリア」は淳さんの人生を支えてくれた母シャイニーさんの想いがこもった店である。そして、同店の立て直しに一生懸命取り組んだ。テイクアウト、デリバリーをはじめ、コロナ禍にあって店の立て直しにつながることに、惜しみなくチャレンジしていった。

そして、2022年の3月には月商1300万円を超えることができた。この淳さんの功績を武久さんは認めて、2022年10月に淳さんは代表取締役社長に就任した。

ここで武久さんは、淳さんに条件を与えた。それは、暫くは「共同代表」であること。自分はこれから旅行に出て(北米大陸・南米大陸の自動車による縦断、2023年7月から1年間)、そして旅行から戻ってきて、会社の営業利益率が8%を超えていなかったら、会社を淳さんに譲渡しない、といった内容であった。

淳さんはこう思った。「父が社長をやっていた当時の営業利益率は3.8%だった。それが8%とは、かなりハードルが高い」と。それは当然であろう。しかし、「その目標が存在することによって、それを達成するためのアイデアが次々と生まれていった」という。

それは「明確な評価」である。例えば、各店舗の売上目標を設定して、それを達成すると給料2カ月分のボーナスを支給する、などである。

店長からも、営業利益率を上げるための店舗での具体的な対策が挙げられるようになり、全社的な協力体制が高まっていった。

こうして、営業利益率は半年間で12.8%となった。このことを旅行中の武久さんに電話で報告した。するとこのような返答があった。

「それはよかったな。しかし、まだ半年あるからな」と。

そして、淳さんのアイデアはさらに湧き出していった。それは、店舗の営業時間短縮、店休日の増加などによって集中して営業に取り組むことによって売上を伸ばし、給料のベースアップや決算賞与。福利厚生も整えた。こうして、2024年3月期の営業利益率は10.2%で着地した。

この営業利益率の数字を武久氏は聞いて、淳さんに一言「よかった」と言った。それ以来、会社の動向についてはノータッチである。

いま、創業者である武久さんは、自分の経営者仲間に「早く息子に任せろ」と言い広めているという。武久さんは、淳さんに対して投げかける言葉は少ないが、父の息子への愛情とともに信頼を抱いているからこそ、事業承継がスムーズに成し遂げられたものと拝察される。

フードサービスジャーナリスト

柴田書店『月刊食堂』、商業界『飲食店経営』とライバル誌それぞれの編集長を歴任。外食記者歴三十数年。フードサービス業の取材・執筆、講演、書籍編集などを行う。

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