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ゲノム編集の倫理:米国アカデミーの報告書を読む

児玉聡京都大学大学院文学研究科准教授
(写真:アフロ)

ゲノム編集を用いて遺伝子の改変された子どもを作ることは認められるべきだろうか。自分の子どもが自閉症を発症するのを防ぐためにゲノム編集を受けさせることができたら、あなたはどうするだろうか。さらに、通常の知能ではなく、通常よりも高くするために遺伝子を改変することも認めるべきだろうか。

すでに国内でも報道されているが([www3.nhk.or.jp/news/html/20170215/k10010877041000.html NHK]、朝日など)、米国の科学アカデミーが人間へのゲノム編集技術の適用についての報告書を先日(本年2月14日)に公表した。この報告書の特徴は、ヒトの生殖細胞にゲノム編集を行って遺伝子改変された子どもを作る可能性に踏み込んで論じている点である。

本報告書が出たからと言って、直ちに生殖細胞へのゲノム編集を通じて子どもを作ることが解禁されるわけではないが、ゲノム編集の倫理を考えるうえで重要な文献になることは間違いないため、以下で報告書の内容を紹介する。

誰が作ったのか

報告書を作成したのは、米国の科学アカデミーおよび医学アカデミーに設置された「ヒトのゲノム編集に関する科学的、医学的、倫理的考察のための委員会」だ。米国の科学アカデミーは、日本で言えば日本学術会議に相当する組織と言える。

この委員会は、総勢22名からなり、科学者や法学者、科学政策研究者等で構成されている。しかも、米国だけではなく中国の科学アカデミーや英国、カナダ、フランス、イスラエルの研究者も名を連ねている(日本人はいない)。本報告書は、米国国内だけに向けられたものではなく、国際的な射程を持った報告書であることがわかる。

報告書の正式なタイトルは「ヒトのゲノム編集:科学、倫理、ガバナンス(Human Genome Editing: Science, Ethics, and Governance)」だ。報告書はここからダウンロードできる(無料登録が必要)。

ゲノム編集とは

報告書の内容に入る前に、ゲノム編集について簡単におさらいしておこう。

先日、CRISPR-Cas9(クリスパーキャスナイン)を開発した二人が日本国際賞を取ったことが報道されていたが、CRISPRはゲノム編集技術の一つである。CRISPRやTALENやZFNsといった技術はそれぞれ作製方法に違いはあるものの、DNA上の狙った部分を切り取ったり、新たなDNA配列を組込むことで、遺伝子の発現を変化させるものである。DNAを切るハサミとよく表現される。

技術的には、意図したところ以外の部分のDNAを変化させてしまうオフターゲットの問題や、細胞ごとに編集に成功するものとそうでないものが生じるというモザイクの問題などがあるものの、従来の遺伝子組換え技術に比べると、圧倒的に正確かつ容易にDNAの書き換えができるため、人間や動植物の遺伝子編集の可能性が注目されている。

本報告書の特徴は

今回の報告書の特徴であるが、何といっても生殖細胞に対するゲノム編集の臨床利用の可能性に踏み込んで論じている点である。これはたとえば、遺伝性疾患である血友病の患者の受精卵にゲノム編集を行って、血友病にならない子どもを作ることが許されうるということだ。

本報告書の元になったのは、2015年末に公表された米国科学アカデミーの国際ゲノム編集サミット宣言である。この宣言では、ゲノム編集を用いた基礎研究は、適切な規制の下でヒトの体細胞や生殖細胞(卵子や精子や受精卵等)で実施してもよいとされた。また、実際に身体に用いる臨床応用についても、体細胞のゲノム編集であれば許容されるとされたが、生殖細胞に関しては許されないとされた。これはつまり、血友病の患者などに遺伝子治療を行うのはよいが、血友病の患者の受精卵にゲノム編集を行なって血友病にならない子どもを作ることは現時点では認められないと述べたということだ。

その理由として、上記の国際宣言では、現時点では上述のオフターゲットのような技術的問題が十分に克服されていないこと、またデザイナーベビーのようなエンハンスメント利用が懸念され、一部の人だけが利用できると不公平になること、さらにまた、受精卵に介入するとその次の世代の子どもも同じような遺伝的特性を受け継ぐことになること、などの問題が指摘されていた。

しかし、本報告書では、厳格な条件をクリアできるなら、ゲノム編集を用いて遺伝子の改変された子どもを作ることが許されうるとしている。報告書の内容を詳しく見てみよう。

ゲノム編集を用いて遺伝子の改変された子どもを作る

すでに生殖細胞のゲノム編集を通じた個体の作製は動物では行なわれているが、人間ではまだ安全性の問題があるため行われていない。しかし、この技術は、一遺伝子の変異による遺伝性疾患を持っている人にとっては福音になりうる。生殖細胞のゲノム編集によって遺伝性疾患が次世代に引き継がれることを避けられるとすれば、重要な選択肢になりうるからだ。

しかし、生殖細胞にゲノム編集を施すことは、社会には大きな一線を超えたように受けとめられるため、文化的な規範や、子どもの身体的・精神的な福祉や、親の自律性といった考慮のバランスを取ること、また濫用を認めないための適切な監視体制などが必要になると報告書は述べている。

そのうえで、委員会は次のように慎重に結論している。今日の医学研究において臨床研究を承認するさいに用いられているリスク・ベネフィット評価に耐えうるようなところまでゲノム編集研究が進み、またこの技術を使う説得力のある理由があり、かつ厳格な監視体制下でのみ、生殖細胞を用いたゲノム編集の臨床研究が認められる。この研究は注意深く行なわれることが不可欠であり、市民の広範なインプットを基に進められるべきである。

また報告書によれば、現在の米国では、ヒト胚を用いて次世代に遺伝する遺伝子編集を行う研究を公的資金を用いて審査することをFDA(食品医薬品局)が禁じているため、このような研究計画が仮に出てきたとしても審査することができないが、もしも将来的にこのような規制が取り除かれた場合には、少なくとも以下の要件を満たさない限り、臨床研究が行われるべきではないとしている。

生殖細胞のゲノム編集を用いた臨床研究が認められる諸要件

  • 合理的な代替の選択肢がない
  • 深刻な疾患や病状を防ぐという目的に限定
  • 当該の疾患や病状を生み出すと科学的に説得力のある形で示された遺伝子の編集に限定
  • 当該の遺伝子の編集に際しては、通常の人口集団に見られ、通常の健康状態と関連していると知られており、また副作用を生み出す可能性が低い遺伝子へと修正することにのみ限定
  • 当該の遺伝子編集技術の健康へのリスクとベネフィットに関する信頼できる前臨床および臨床的データがあること
  • 当該の遺伝子編集技術が研究参加者の健康におよぼす影響に関する臨床研究を継続的かつ厳格に監視する体制があること
  • 個人の自律性(プライバシー)を尊重しながらも、長期間の多世代に渡るフォローアップ調査をする包括的計画があること
  • 患者のプライバシーと両立する限りでの最大限の透明性が確保されていること
  • 健康および社会に対するベネフィットとリスクに関して、継続的な再評価がなされ、その際に市民の広範な参加とインプットがあること
  • 深刻な疾患や病状を防ぐという目的以外の使用へと拡大していかないように信頼できる監視メカニズムが存在すること

報告書は、上記の要件のいくつかは曖昧であり、異なる文化や社会によって解釈に違いが出ることを認めている。たとえば「代替の選択肢とは何か」とか、「深刻な疾患や病状とは何か」などだ。

デザイナーベビーを作ることは認められない

また、報告書は現時点ではゲノム編集技術を用いて通常以上の能力を持つような人間を作ることは認められないと主張している。この点は、上記の国際宣言とも軌を一にしている。ただし、体細胞へのゲノム編集を用いたエンハンスメントの可能性は、市民で議論すべきであり、政策的な議論も行うべきとしている。

とはいえ、治療(正常に戻す)とエンハンスメント(正常以上にする)は、「何が正常か」が定義できなければ区別が困難である。また、実際上も以下のような問題がありうる(ハーバード大学の遺伝学者のジョージ・チャーチが挙げている例を基にした)。

たとえば、自閉症の発症の一要因だとされている遺伝子GRIN2Bの変異を、将来的には治療することが認められるかもしれない。ところが、この遺伝子の変異によりGRIN2Bのタンパク質を通常以上に作る人は、知能が高いことで知られている。そうすると、自閉症を治療するための技術が、エンハンスメント目的でも使えることになりうる。もし将来、あなたが自分の子どもに自閉症の予防のためのゲノム編集を受けさせることになったら、知能が通常になるようにではなく、むしろ通常よりも高くなるように遺伝子を改変することを求める可能性がないだろうか?

ヒトのゲノム編集のガバナンスのための諸原則

なお、最後に特記すべきこととして、本報告書ではヒトのゲノム編集のガバナンスのための諸原則を提案している。報告書によれば、これらは単に米国だけでなく、ヒトのゲノム編集のガバナンスを考えているどの国でも採用が望ましいものである。以下に諸原則を列挙する。関心のある方は報告書を読んでほしい。

ヒトのゲノム編集のガバナンスのための諸原則

  1. 福祉を増進する
  2. 透明性
  3. 相当な注意 (デュー・ケア)
  4. 責任ある科学
  5. 人格の尊重
  6. 公平性
  7. 国際間協調

報告書の反響と今後

以上が、本報告書の主な特徴である。本報告書は国内でもすでに報道されているが、すでにいくつかのコメントがなされている。

たとえば、ゲノム編集を用いて遺伝子の改変された子どもを作ることが許されうるとした本報告書の結論について、委員長(ウィスコンシン・マディソン大学のAlta Charo)は完全な禁止は現実的ではないとしているが、障害者差別や優生学につながるという批判もすでに出されている

また、米国の生命倫理シンクタンクのヘイスティングズセンターのGregory Kaebnickは、報告書がゲノム編集の生殖細胞への適用の問題を単に科学的な問題ではなく倫理の問題でもあることを強調している点を評価している半面、報告書が再三強調している市民参加がどのぐらい現実的かについて若干懐疑的な意見を述べている。

本報告書が出たからと言って、直ちに生殖細胞へのゲノム編集を通じて子どもを作ることが解禁されるわけではない。とはいえ、すでに述べたように本報告書は国際社会に向けられたものであり、各国の対応を迫るものとも言える。

日本でも内閣府の生命倫理専門調査会が昨年4月22日に「ヒト受精胚へのゲノム編集技術を用いる研究について(中間まとめ)」を出し、臨床応用を認めない方針を打ち出していた。国内でも本報告書の内容を精査して、今後の対応を考える必要があるだろう。(了)

京都大学大学院文学研究科准教授

1974年大阪府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。東京大学大学院医学系研究科医療倫理学教室で専任講師を務めた後、2012年から現職。専門は倫理学、政治哲学。功利主義を軸にして英米の近現代倫理思想を研究する。また、臓器移植や終末期医療等の生命・医療倫理の今日的問題をめぐる哲学的探究を続ける。著書に『功利と直観--英米倫理思想史入門』(勁草書房)、『功利主義入門』(ちくま新書)、『マンガで学ぶ生命倫理』(化学同人)など。

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