体罰の連鎖を防ぐために:速見元コーチが会見で宮川選手への暴力行為を謝罪
■速見佑斗元コーチ体罰謝罪記者会見
速見元コーチは、真摯に全面的に、体罰を認め、処分を受け入れました。誠実な態度だったと思います。しかし逆に言えば、その誠実で選手からも信頼されているコーチですら、体罰を使っていたという深い問題が示されました。
■体罰の悪影響
体罰は、短期的に言うことを聞かせるには効果的でしょう。しかし体罰には、次のような恐ろしい副作用、悪影響があります。
人間関係を悪くする、自主性の喪失、心の健康被害、他の指導法を学べなくなる、さらに高圧的になる、いじめの誘発、そして暴力を教えてしまうということです。
今回は、周囲が恐怖を感じるほどの体罰や怒鳴り声などがあったとされていますが、そうなれば、周囲で見ているだけの子供若者にも悪影響が考えられるでしょう。
研究によれば、たとえば親が良かれと思って殴る蹴るなどの体罰を使ったときでも、子供は「必要があれば暴力を振るっても良い」と学んでしまい、大きくなってから暴力をふるいやすくなると言われています。
速見氏は、体罰による指導方法が若い宮川紗江選手に悪影響を与えた可能性を述べました。速見氏は宮川選手が小学校5年生からコーチしていきました。小中高と体罰を受けてきたとしたら、成長の上で悪影響があった可能性はあるでしょう。
報道によれば、宮川選手は、当初体罰があったことを証言しないとまで言っていました。速見コーチとともにオリンピックを目指したいと語っていました。体罰があったことを認めながらも、本人も親も、それを受容していたようです。現在は、体罰はいけないことだと語っていますが、体罰をふるった速見元コーチへの処罰には不満があるようです。
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もしも宮川選手が体罰を愛のムチとして受容してしまえば、今度は彼女が指導者になった時に、体罰への抵抗感が薄れる危険性があるでしょう。
「愛のムチ」はあるかもしれませんが、愛のムチを口実にして恒常的に体罰を許容することは許されません。
選手に体罰をふるうスポーツのコーチや、後輩に暴力をふるう先輩たちは、しばしば自分たちもかつて上から同じような扱いを受けてきています。
このような良くない連鎖は、ここで断ち切らなければなりません。
■体罰とは。暴力とは。
会見中、用語の混乱があったかと思います。たとえば、体罰を使用したと語る速見元コーチに対して、「それは指導の一環だったのか」といった質問がされました。マスメディアの記事でも、暴力と体罰を同じ意味で使っているものも見受けられます。
「暴力」は、常にだめです。殴る蹴るの肉体的暴力も、言葉を使って心を傷つける精神的な暴力もだめです。不当に体を傷つけるような行為は、暴行罪や傷害罪にもなります。言葉も、場合によっては侮辱罪などにもなるでしょう。違法でない場合でも、私たちの社会は暴力を否定します。
「体罰」は、指導の中で行われるものです。そうでなければ、ただの暴力です。戦争中に上官が部下を殴るのも、少なくとも上官自身は指導だと思っていたことでしょう。単純に腹が立ったから殴る、気に入らないから蹴るというのは、上官でも教師でも体罰ですらなく、認められない暴力です。
体罰は肉体的苦痛を与えるものです。殴る蹴るはもちろん、長時間立たせたり、食事を取らせなかったり、トイレに行かせないのも、体罰です。現代の日本では、教育現場でもスポーツトレーニングの現場でも、体罰は禁止されています。
ご飯を一回食べさせないのは、普通は暴力とは言われませんが、体罰なので認められません。大声で怒鳴りつけるのは、体罰ではありませんが、恐怖感を与えたり、人権を侵害するようなことであれば言葉の暴力であり、もちろん許されません。
体罰は、なかなか無くなりません。優秀とされるコーチや、一流とされるスポーツ集団の中でも、残念ながら続いてきました。今回のことを通し、様々な暴力はもちろん、体罰のないスポーツ界を作って欲しいと願っています。
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*会見では、体罰問題よりも塚原夫妻によるパワハラ問題に関する質問が多かったように思いました。パワハラ問題も、また新たなページを準備中です。