【登山の歴史】明治の山岳譚!近代登山の幕開け
明治七年、六甲山にてガウランド、アトキンソン、サトウの三人の外国人がピッケルとナーゲルを携え登山を試みたこと、これが日本の近代登山の黎明とされます。
彼らの足跡はやがて槍ヶ岳や穂高岳に至り、ガウランドは「日本アルプス」の名を世に広めたのです。
続く時代、ウェストンがテントとザイルを持ち込み、小島烏水らが山岳会を設立します。
志賀重昂の『日本風景論』がベストセラーとなり、山は宗教的聖域から探検と趣味の舞台へと姿を変えました。
その背後には冠松次郎ら多くの先駆者たちの挑戦があったのです。
北アルプスの険しき峰々を制し、地図を作成し、探検時代と称される栄光の軌跡を刻む彼らの名は、いまなお登山史の一頁を飾っています。
また、山を知る地元の猟師たちも登山の案内役として欠かせぬ存在でした。
梓川渓谷の上條嘉門次、高瀬川の遠山品右衛門らは、挑む者たちの背を押した名案内人たちです。
測量や地質学的目的での登山も見逃せません。
ナウマン博士の指示による南アルプス横断やライマンの助手坂本太郎による槍ヶ岳の縦走。
これらの試みは日本近代登山の礎となり、山々はただの聖域から、人々が記録と発見を求めて挑むべき場所へと変貌したのです。