【登山の歴史】山岳の物語を紡ぐ山伏たち!修行と登山、その物見遊山
かつて山々は、神々の宿る神聖な領域とされていました。
白山や立山などの開山伝説には、泰澄和尚や有頼といった修行僧の名が刻まれています。
そして山岳修行といえば山伏の活躍。
鎌倉・室町時代には、大峰山脈や羽黒山、日光、富士山といった名だたる山々が、彼らの修行の場となり、尾根を越える入峰修行が展開されました。
しかし、明治5年の修験道廃止令によって、この文化は一旦途絶えることに――。
一方、宗教色を超えた登山の歴史もまた、時代を経るごとに記録に残されています。
佐々成政が北アルプスを越えた「さらさら越え」や、武田信玄の配下が軍事目的で安房峠を越えた事例は、まさにその代表例。
これに続くのが、加賀藩の「黒部奥山廻り役」。
藩林の保護を目的に山々を巡った彼らの足跡は、現代登山の前身ともいえるものでした。
そして江戸時代。山を愛した文人や画家たちは、谷文晁や池大雅を筆頭に、山そのものの魅力を求めて頂を目指しました。
その一方で、山は薪や板材を求める杣人たち、狩猟や採鉱に勤しむ人々にとっても、日常の営みの舞台でした。
やがて幕末に差し掛かると、富士山には欧米人も足を運ぶようになります。
オールコックやパークス夫人、サトウといった名が記録に残る彼らの挑戦は、新しい時代の訪れを告げていました。
修行と物見遊山のはざまで、人々が描く山の物語は、今なお山々に響き渡っているようです。