なぜレアルは”無料のD・アラバ”を獲得したのか?守備陣を支える「皇帝」の到着とポリバレントな能力。
静かな夏には、なりそうにない。
レアル・マドリーが、動き続けている。ルカ・モドリッチの契約延長、ジネディーヌ・ジダン監督の辞任に続いて、ダビド・アラバ(前所属バイエルン・ミュンヘン)のフリートランスファーでの獲得が先日正式に発表された。
D・アラバは、アウストリア・ウィーンのカンテラ出身選手だ。その才能は早くからビッグクラブの関心を引き付けるものだった。16歳でバイエルンのカンテラに引き抜かれ、その後ホッフェンハイムへのレンタルを経て、2011-12シーズンからバイエルンのトップチームに定着した。
ナイジェリア人の父親とフィリピン人の母親を持つ。父はDJで、母はフィリピンの美女コンテストで優勝した経験がある。そんなD・アラバは、かつてバイエルンへの移籍を拒んでいた。「育成年代のトーナメントで、バイエルンの選手たちはいつも豪華なバスに乗ってきていた。プロの選手が着るようなジャージを身にまとい、僕には思い上がっているように見えた」と語っていたことがある。
バイエルンでは、公式戦449試合出場35得点47アシストを記録した。チャンピオンズリーグ(優勝2回)、ブンデスリーガ(10回)、DFBポカール(6回)とタイトルを総なめにしてバイエルンを退団する決断を下している。
■ベッケンバウアーのように
「ダビド・アラバは、黒人のベッケンバウアーだ。ベッケンバウアー以降、最終ラインからチームを統率できるプレーヤーは存在しなかった。そういう意味で、アラバは大きく成長した」
これはバイエルンのカール=ハインツ・ルンメニゲCEOの言葉だ。1970年代にバイエルンとドイツ代表で活躍して、”皇帝”と呼ばれたフランツ・ベッケンバウアーを引き合いに出し、D・アラバへの賛辞を送った。
最終ラインからチームを統率する。ただ、D・アラバの魅力はそれだけではない。そのポリバレントな能力が、バイエルンと歴代の指揮官を唸らせてきた。
2012-13シーズン、バイエルンはユップ・ハインケス当時監督の下でチャンピオンズリーグ、ブンデスリーガ、DFBポカールを制して3冠を達成した。ハインケスからD・アラバに与えられたポジションは左サイドバックだった。
以降、ジョゼップ・グアルディオラ監督、カルロ・アンチェロッティ監督、ウィリー・サニョル監督、ハインケス監督、ニコ・コバチ監督、ハンジ・フリック監督と多くの指揮官がバイエルンで指揮を執った。その度に、D・アラバのポジションは変わっていった
左サイドバック(243試合出場)、センターバック(116試合)、ボランチ(74試合)、左サイドハーフ(17試合)、右サイドハーフ(4試合)、右ウィング(1試合)...。アラバが複数ポジションでプレーできるのは、すでに証明されている。
「アラバは10年以内にバイエルンの歴史に名を刻むだろう。ほとんどすべてのポジションでプレーできるんだ。彼は信じられないくらいにフットボールに情熱を捧げている」
2016年、バイエルンを率いていたグアルディオラ監督が、そう語っていた。
■マドリーでのポジション
現在、マドリーはセルヒオ・ラモス、ラファエル・ヴァラン、エデル・ミリトン、ナチョ・フェルナンデスと4人のセンターバックを抱えている。今季終了時に契約満了を迎えるS・ラモスの去就は不透明で、2022年夏まで契約を残すルラファエル・ヴァランにも、移籍の可能性が浮上している。
監督交代が行われたマドリーだが、D・アラバのポジションはセンターバックだろう。ただ、彼は中盤でのプレーを望んでいるといわれている。近年のマドリーにおいては、カゼミーロ、トニ・クロース、ルカ・モドリッチが盤石の中盤を形成してきた。とりわけ、シーズン中にカゼミーロを休ませるのが難しかった。システムを変え、D・アラバを組み込み、クロースあるいはフェデリコ・バルベルデとダブルボランチを組ませれば、それはひとつの解決策になり得る。
「僕は何か新しいことがやりたい。一歩、前進しなければいけない。成長したければ、コンフォート・ゾーンから出る必要がある。どこか知らない場所に行かなければならない」
「終わりを迎える時というのは、非常に難しい。僕はバイエルンをいつも自分の家のように感じてきた。すごく寂しいけど、同時に未来に期待する気持ちがある。バイエルンはこれからもずっと僕の心の中にある。本当に、とても感謝している。バイエルンが、今後も成功の歴史を築いていくことを願っている。でも、正直にいえば、心配は無用だなと思っているよ」
彼がバイエルン退団の際に残したコメントだ。コンフォート・ゾーンから出てーー。D・アラバは新たなチャレンジを決意している。